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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

ETV特集「鍵をあける 虐待からの再出発」の批判的検討


 神奈川県立中井やまゆり園の虐待事案の発覚を契機に、支援のあり方を抜本的に改善しようとするこの間の取り組みを扱ったETV特集「鍵をあける 虐待からの再出発」(8月12日放送)を観ました。

 この番組の視聴直後、私はキツネにつままれた心境に陥りました。障害者支援に取り組む業界関係者から問い合わせの電話もあり、いずれも私の抱いた疑問に近い内容でした。それは、「強度行動障害の基準は変更されたのですか?」や「話せばわかる強度行動障害という状態像はあるのですか?」です。

 番組タイトルの冒頭にある「鍵をあける」は、フランスの精神科医ピネルが1793年に精神障害者を病棟から解放した有名なエピソードからすれば、現代では当たり前に保障されて然るべき生活条件に過ぎません。

 このような極めつけの時代錯誤が、今日の「神奈川県立施設」でまかり通ってきた背景について、この番組が独自に掘り下げた形跡はありません。しかし、この問題はひとまず棚に上げましょう。地域とともにある暮らしへの移行という方向性を提示している点に、私は全く異論がないからです。

 また、今回のブログは、中井やまゆり園で支援の再構築に真摯に取り組まれている多くの方々を批判する意図はまったくありません。むしろ、この番組の取材と作り込みのプロセスにおいて、番組制作者の強度行動障害に関する無理解と、地域生活移行に向けた未来に美しいストーリーを描くための歪んだ作意が介在したのではないかと疑っています。

 私や業界関係者の戸惑いと疑問は、次の二点に集約できます。一つは、この番組の議論の出発点にある「強度行動障害」の捉え方です。もう一つは、新たな支援を提示する事例が「濃厚な身体接触と言語的コミュニケーション」を基軸に据えている点です。

 これらの内容は、日頃から強度行動障害の軽減・緩和と地域生活に向けた支援に取り組む障害者支援施設の関係者に憤りや誤解を招きかねない重大な問題が含まれており、とても看過できるものではありません。問題の重大性を指摘する必要から、今回のブログはいささか長文になることをお許しください。

 なお、神川県立中井やまゆり園の虐待事案については、このブログで複数回にわたって取り上げてきました。行論の重複を避けるため、次に示す過去のブログもご参照下さい。
2021年9月27日ブログ「支援条件の改善課題を明らかに」
同年10月4日ブログ「障害者支援施設における身体拘束」
同年10月11日ブログ「強度行動障害をめぐる疑問点」

 まず、「強度行動障害」の捉え方についての疑問です。

 強度行動障害は行政上の操作概念であり、これまでの経緯については、特定非営利活動法人全国地域生活支援ネットワーク監修『強度行動障害のある人の「暮らし」を支える』(2020年、中央法規出版)に的確な解説があります(7-11頁、112-115頁)。

 起点は、1989(H1)年「強度行動障害児(者)の行動改善および処遇のあり方に関する研究」(行動障害児(者)研究会編)にあります。この研究は、私の理解に誤りがなければ、当時の厚生省の浅野史郎さんが「強度行動障害」への政策的対応の必要性から研究を指示したものです。

 この研究報告書は画期的な労作で、私は高く評価しています。要点は次の通りです。
・強度行動障害は、精神医学的な診断としての定義ではない
・直接的他害(噛みつき、頭突き等)、間接的他害(睡眠の乱れ、同一性の保持等)、自傷行為等が通常考えられない頻度と形式で出現すること
・通常の養育環境と養育努力の範囲内では対応が難しく、処遇困難が持続する

 この研究にもとづき、1993(H4)年から「強度行動障害判定基準」(11項目1点・3点・5点の3段階の頻度または強度の評価)で、合計得点20点以上を強度行動障害と判定し、「強度行動障害特別処遇事業」(現在は廃止)に使われていましたが、現在は福祉型障害児入所施設と放課後デイサービス等の「強度行動障害児特別支援加算」に使われています。

 2014(H26)年以降は、障害支援区分の認定調査項目における「行動関連項目」(12項目0点・1点・2点の3段階評価)の合計得点10点以上について、行動援護、重度訪問介護、重度障碍者等包括支援などの支給決定の基準点を算出するために使用されています。

 このように、「強度行動障害」とは特定の制度サービスに紐づけられた行政上の操作概念です。「強度行動障害判定基準」における11項目と「行動関連項目」の12項目は異なっており、サービスの判断基準となる項目構成の変更根拠は明らかではありません。つまり、今後の制度サービスの変更に伴って「強度行動障害」の基準も変更がありうる、行政による操作可能な裁量的概念です。

 さて、この番組で取り上げる支援事例では、「すみれ」さん(女性)、「ひろし」さん(男性)、「たける」さん(男性)の3人が登場します。

 映像を観たかぎり、これら3人の方は、上記の「強度行動障害判定基準」や「行動関連項目」の評価で、はたして強度行動障害に該当するのかどうか疑わしい。「濃厚な身体接触と言語的コミュニケーション」を基軸とする支援を展開しているとすれば、なおのこと疑わしい(この点については後で詳述します)。

 むしろ、映像の中で断片的に登場する他の人たちこそ、強度行動障害の状態像の特質を端的に示しています。居室に寝たきり状態の人、居室内の生活用品のすべてを置かないようにしている人、ヘッドギアをかぶり舌を噛み切らないための布を口にかませている人、音と光の刺激を遮断した真っ暗な部屋にずっといる人などで、いずれも施錠監禁されてきたと説明しています。

 すると、拘束や虐待の事案に係わる専門的知見からいえば、中井やまゆり園の一連の虐待事案において程度の重い虐待を被った人たちは、支援事例に登場する3人の人たちではなく、コミュニケーションの成立に困難の高いその他の人たちではないのかという疑問が真っ先に浮上します。

 つまり、番組の議論の出発点に大きな疑問符がつくのです。

 私に連絡をしてきた支援者たちが、「強度行動障害の基準に変更があったのか」とか、「話せばわかる強度行動障害ってあるのか」と質問するのは、支援事例に登場する3人が、多くの支援現場で今もなお悪戦苦闘している「強度行動障害」のある人たちの状態像と大きな隔たりがあるからです。

 支援事例に登場する3人について、中井やまゆり園が強度行動障害と言い張るのであれば、どの基準の評価にもとづくものであるか明らかにすべきです。むしろ、施錠監禁を正当化するために、行政上の操作概念であることを好いことに、恣意的に「強度行動障害」と決めつけてきた疑いが濃厚です。

 実際、この番組にも登場する菅野園長(番組の最後で退任)は、中井やまゆり園の虐待事案が明るみに出た当時、「拘束するための法的要件を満たしている」と記者会見で話しています。ここでは行政上の操作概念である「強度行動障害」を「法的要件」にすることができるとの勝手な思い込みがあったのではないでしょうか。

 次に、「濃厚な身体接触と言語的コミュニケーション」を基軸に据えた支援方法についての疑問です。

 精神医学と心理学の二次障害に関する研究では、自傷・他害・器物損壊・睡眠障害・異食などの「強度行動障害」の状態像が出現するのは、大部分が知的障害とASDを併せもつ人であることを明らかにしています。

 そこで、強度行動障害が生起する障害特性と環境要因の不適切な相互作用については、知的障害とASDの障害特性に注目して次のように整理されてきました。

◇本人の障害特性
・知覚過敏
 ・言語発達の遅れ
 ・情報処理能力の低さ
 ・コミュニケーションの困難
 ・認知の歪みによる受けとめ方の偏り
 ①これらの障害特性から、「分からない」「伝わらない」の積み重ねが生じる

◇環境要因
・知覚過敏・嫌悪刺激に配慮できていない環境(光、音、気温、臭気、接触)
 ・指示内容の情報過多
 ・指示の声が大きすぎる
 ・問題の発生要因を考慮しない叱責
 ②これらの環境要因から、周囲の人と施設という場に対する不信感やもどかしさのうっ積が生じる

◇強度行動障害という二次障害の発生
 上記の①と②の相互作用により、やり場のないストレス・高い不安感情・苛まされる苦痛が連続することによって、自傷・他害等の行為が発生する

 このような強度行動障害に関する定説は、留意すべき支援の要点がASDの障害特性にあることを提示しています。「強度行動障害に対する支援」という問題発生後の事後処理ではなく、ASDの障害特性に着目した支援を、強度行動障害の発生予防の視点を含めて進めるべきだと私がつねづね主張してきた根拠もここにあります。

 ASDの特徴はウィングの3つの組によると、(1)社会性の障害(双方向の交流が難しいことでASDの障害特性の中核部分です)、(2)コミュニケーションの障害(言語発達の遅れ、会話による気持ちの交流の困難)、(3)想像力の障害(反復的な自己刺激行動、自分に掌を向けてバイバイする、こだわり行動の生起)です。

 つまり、双方向のコミュニケーションや活動目標について言語を介して共有することに困難のある人がASDであり、ここに強度行動障害に陥りやすい傾向が生じてしまうのです。

 しかも、知的障害とASDを併せもつ人の情報処理能力は低いため、コミュニケーションをとる場合には、支援現場では一般に様々な工夫を重ねます。画像、絵カード、ピクトグラム等を用いた説明(視覚的構造化)、スケジュール・カードを用いた日課や日程の説明(時間の構造化)などの工夫に加え、「身体的接触を極力避ける」原則があります。

 身体接触を極力回避する必要性は、身体接触が嫌悪刺激であるかもしれないことに由来するリスクを避けるためと、身体接触によって情報処理能力のキャパシティが一杯となり、伝達すべき言語的・視覚的な肝心の情報が、全く頭に入らなくなることに由来します。

 したがって、大人3人がかりで羽交い絞め状態にして、言語的コミュニケーションを基軸に据え、支援の転機を作る「ひろし」さんの事例は、多くの支援者にとって信じがたい異様な光景です。菅野園長退任時のバイバイも、正しい掌の向きです。ひょっとすると、「ひろし」さんには「奇跡」が起きたのかも知れませんが。

 また、「すみれ」さんの頭部を外部の専門家が自らの股間に挟み込むという姿勢で「脈が速いね」と声をかけるシーンは、もはや正気の沙汰とは言えません。

 ASDのある子どもについて、アタッチメントの形成不全が尾を引き、それに由来する不安感情の高まりを低減する目的から、俗にいう「スキンシップ」を図る場合があります。北欧では「ハグ療法」と呼び、「ハグ文化」のある国々では広く行われるアプローチです。

 ところが、わが国には「ハグ文化」はなく、成人にこのようなアプローチをすることは不適切であると考えられてきました。股間に頭部を挟んで寝転ぶ姿勢で言葉を交わす行為について、成人女性である「すみれ」さんが成人男性の股間なら落ち着けることを学習した場合、新たな性的虐待の火種を形成したと指摘されてもやむを得ないでしょう。

 このように、番組が取り上げた3人の支援事例は、いずれも言語的コミュニケーションを基軸に据えて、2人については濃厚な身体接触を介在させて支援の転機を作っています。これらはすべて、強度行動障害に係わる支援のあり方とは真逆であり、私見によれば、むしろやってはいけないアプローチです。百歩譲って、仮にこの3人が本当に知的障害とASDを併せもつ強度行動障害にあるとすれば、例外的な支援事例であると断言します。

 この番組は、事実を恣意的で断片的に切り取り、さまざまな点で間尺の合わない内容から構成されています。この番組で主に取り上げた3人は、中井やまゆり園のごく一部の人であり、ごく軽症の「強度行動障害」か、「強度行動障害」であることそのものが疑わしい。

 そして、中井やまゆり園の虐待事案の本態部分を構成したはずの、重症度の高い強度行動障害の状態像にある人を含めて、園の支援の全体があたかも地域生活移行の方向に向けて進んでいるかのように「美しい物語」を描くのは、いかがなものでしょうか。事態は、そんなに簡単ではないことに真実があると考えます。

 最後に、管理者のあり方と現行制度に係わる問題指摘をしておきます。

 中井やまゆり園の虐待が明るみに出た当時の菅野園長は、記者会見で「身体拘束の要件は満たしている」と言い切っていました。実際は、「一時性・切迫性・非代替性」という身体拘束の要件は全く満たしていなかったのです。

 この番組の冒頭で菅野さんは、強度行動障害のある人たちの「安全確保」と「人権」を天秤にかけて「安全確保」を優先してきたという考えであったことを表明し、現在でも施錠監禁している人たちのいることを紹介しています。これらを天秤にかけてきた発想そのものに関する反省は、丸でありません。

 ASDのある人たちに嫌悪刺激はありますから、それを回避することは必要です。しかし、嫌悪刺激の回避によって落ち着いた環境にすることは、それぞれの人にふさわしい対人関与や活動の豊かさを作るための条件づくりに過ぎません。

 このような支援を見通すためには、高い専門性を持つ職員の配置基準と合理的配慮のある環境整備を大幅に拡充する以外に手立てはありません。支援の視点と方法論の変更のみで事態を改善できる範囲は、ごく一部に限られます。

 たとえば、知的障害とASDを併せもつ人が、どのような環境において最も落ち着いて活動に入ることができることを確かめる社会資源(スヌーズレンを応用開発したホワイト・ルームの取り組み)は、ドイツで5000カ所以上、オランダでも1500カ所以上整備されています。

 一切の刺激を遮断したホワイトルームの中で、さまざまな音、光、光景、振動などを試行錯誤し、もっとも穏やかになることのできる環境条件(一切の刺激を遮断した状態ではない)を個別に明らかにしていくのです。この方法論へのアプローチの欠如がわが国における決定的な問題の一つであり、強度行動障害を産出し続ける背景をなしています。

 つまり、強度行動障害のある人たちが、地域とともにある生活の中で、様々に活動できるようになるための合理的配慮の一環としての環境整備には、わが国の現状に根本的な制度的欠陥があるのです。

 「ひろし」さんや「たける」さんと将来について話し合う場面が登場します。空間的構造化によって余計な刺激を排除した面接室ではなく、職員の会議室か園長室のような雑然とした環境の部屋で面談しています。この光景には心底驚きました。

 このような環境で面接をする施設が、強度行動障害の拠点施設であったというのは、わが国と神川県の強度行動障害に係わる施策の悲惨さと破綻を雄弁に物語っています。

 大勢の利用者と職員が訓練室または体育館のようなところに集まっている場面では、外部専門家と菅野さん・吉田さんの新旧園長が登場します。この場面で、周囲にいるその他の職員は全員腕時計を外していますが、二人の新旧園長は腕時計をしたままです。他の場面では新園長が指輪をはめたままであることも映像に写っていました。

 知的障害やASDのあるひとへのアプローチをする場合、「光もの」を身につけるのはご法度です。これは最低限度の常識で、埼玉大学の特別支援教育に在籍する2年生でも知っています。「光もの」に反応するだけで、興奮の生じるリスクがあるからです。

 この最低限の常識もない支援の「ずぶの素人」が人事異動で管理者になる現実は、専門的な支援の向上に向けた施設全体のマネジメントと管理者をコアとするガバナンスを機能不全に陥れ、その背後にある制度上の欠陥への気づきを阻止してきたのです。専門性の欠如と制度的欠陥を車の両輪として、強度行動障害問題への適切な対応が放置されてきたと言っていい。

 菅野園長は、「すみれ」さんがコンビニで買い物をして店員さんに「ありがとう」という場面の映像を観ながら、「こんなことができるんだ」と言う場面が出てきます。支援者としての専門性のイロハがあるのであれば、このような戯言は絶対に出てきません。

 私は、菅野さん個人を批判しているのではなく、高度な専門性を持った人しか管理者になれないという制度的要件の必要性を、わが国が未だに無視し続けている点に問題の深刻さがあると考えます。

 この番組をご覧になった方は、強度行動障害の状態像にある人たちへの支援について、この番組の支援事例を絶対に見本としないでください。この番組に現れる間尺の合わなさと矛盾にこそ、強度行動障害問題に対するわが国の無策が現れていると考えます。

真夏のカラス

 先月末に開催された福島県の伝統祭である相馬野馬追で、参加した馬が熱中症で死んだと報じられました。年中、真っ黒のいでたちをしたカラスにも、熱中症で亡くなった事例があるかも知れない。カラスたちも地球温暖化に悩ましい思いをしているのではないでしょうか。嗚呼、暑い。