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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

抜本的改善の必要な働く取り組み


 前回に引き続き、障害のある人の働く取り組みの抜本的改善が必要だと考えるようになった、もう一つのエピソードを紹介します。

 特別支援学校の高等部に在籍する子どものお父さんたちから、さいたま市の障害者施設・事業所の働く取り組みに抱く強い疑問を伺う機会がありました。

 まとめ役をしているお父さんは、最先端技術を駆使するものづくり系大手企業の中間管理職です。自分の子どもの進路を考えようと、地域の障害者雇用の実態と障害者支援施設・事業所の働く取り組みについて丹念に調べていました。

 「クッキー、パウンドケーキ、パン、弁当など、すでに品質の高い商品が激しい競争を繰り広げ、市場は過飽和状態にある商品を、なぜ障害者支援施設・事業所は漫然と作業品目にするのか全く理解できない。」

 「常識的に考えれば、障害者の生活のゆたかさに資する工賃のアップに及ばないことは分かり切っている。大量生産と大量消費の枠組に入る商品は、基本的に太刀打ちできない。」

 「地域のニーズを見極め、物づくりの生産と販売に係わるネットワークづくりを進めながら、小規模・少量生産だからこそ可能な品質の高い商品づくりによって収益を上げ、高い工賃の確保を展望するのが当然ではないのか。大量生産・大量消費と小規模・少量生産との商品の棲み分けは、物づくりの世界では常識です」と。

 このお父さんのお話を伺った当時、さいたま市内の作業製品であるクッキー等の品質向上をめざす、あるNPOの取り組みがありました。

 それに協力したパレスホテル大宮のパティシエは、すべての作業製品のクッキーを試食した上で品質の低さに驚き、「売り物は一つとしてない」と評価したことが大きなニュースになっていました。

 さいたま市内の働く取り組みは、前回のブログで紹介した、はらから福祉会の働く取り組みのように、地域で自立生活するに必要十分な所得保障に結びつく作業製品の品質と具体的な工賃の金額を目標に据えていませんし、原材料の仕入れと販売の両面で地域のネットワークに位置づくことも十分考えているとは言えません。

 障害者施設・事業所の「製品」を扱う埼玉県内のほぼすべてのショップで、私は定期的に店員の方に売れ行きを伺ってきました。この30年間ほど、ずっと「どれもこれもほとんど売れませんね。弁当やパンはお昼時に少し売れる程度で、コンビニが増えてからは、この方もあまり売れません」と。

 障害者施設の製品の販売に協力するある喫茶店があり、レジ傍の棚に小物のアクセサリーやさおり織製品を陳列していました。このマスターに伺うと、「10年間で、三つ売れたかどうか。どうしてこんな売れないものを作っているのか不思議ですね」と。

 このマスターは通所施設を利用する障害のあるきょうだいがいて、働く取り組みについて事業者に提案もしてきた方ですが、「暖簾に腕押しでした」と嘆きます。

 埼玉県は2000年代の前半、働く取り組みの改善を後押しする特別支援策を設けたことがあります。障害者支援施設・事業所から、工賃を上げるための新しい取り組みの事業計画を提案してもらい、それを県が審査して実現可能性の高い事業計画と認めることができれば、施設設備への全面的な補助を含めて支援するという施策でした。

 ところが、いざ蓋を開けてみると、障害者支援施設・事業者からの応募は一件もなかったのです。当時の埼玉県の障害福祉課長は、この現状に、「憤慨を通り越して、心底落胆しました」とおっしゃっていました。

 「普段から、補助金が少なく、まともな工賃保障を展望できる本格的な取り組みができないと言うから、福祉部局から財務当局まで根回しして、やっと施策化できたのにこのざまですよ」と自嘲していました。

 はっきり言いますが、これまでの障害者支援施設・事業所の働く取り組みの多くは、一般市民はもとより、当事者・家族の本音との間にも大きな乖離があります。これも、働く取り組みに係わる「障害者施設・事業所の常識は、世間の非常識」です。

 問題は大きくいって二つあると考えます。一つは、働く取り組みに係わる障害者支援施設・事業者の通時的(歴史的)な理解と、当事者・家族・一般市民の共時的理解に生じる大きな乖離です。もう一つは、障害者の労働保障にかかわるわが国の弥縫的制度が矛盾を引き摺り、問題を深刻化させてきた問題です。

 まず、障害者支援施設・事業者と当事者・家族・一般市民との間に生まれる働く取り組みに関する理解の乖離についてです。

 1979年養護学校義務制に伴って、卒業後の「受け皿づくり」の問われた時代、障害のある親御さんたちにとっての主要な課題は卒業後の「行き場」の確保でした。「受け皿」で多少なりとも工賃が出てくるのであれば、なおのこと「御の字」と胸を撫で下ろしたのです。

 それ以来、施設・事業者には働く取り組みに係わる様々な試行錯誤と努力があったことでしょう。しかし、今日でもなお、工賃の向上に必要十分な作業製品の吟味や品質を担保しきれていない現実を引き摺る障害者支援施設・事業所は、珍しいとは言えない。

 福祉領域の「働く取り組み」について、施設・事業所側は自らが「努力を積み上げてきた歴史的経緯」から現在を捉えるのに対し、当事者・家族・一般市民は障害者雇用やモノづくりの現代社会の到達点から、共時的(歴史的にものを見るのではなく、一定の時期における事実を考察する見方)に捉えます。

 「共時的」な理解を出発点にする当事者サイドの捉え方はまったく正当です。歴史的な経緯がどうであれ、障害のある人の労働者としての権利が現代にふさわしく保障されているかどうかが重要だからです。

 1980年代には、大企業の関与する福祉工場や特例子会社の新しい取り組みが始まりました。たとえば、大分県別府市や岡山県吉備地方の取り組みがあり、技術革新の成果を生産設備だけでなく作業環境の整備にも積極的に取り入れ、最低賃金上回る待遇を作り出しました。

 当時、これらの取り組みに係わる大企業は、障害のある人の働く領域に係わる「ノーマライゼーション」をテーマに掲げていました。別府や吉備の福祉工場(当時)や特例子会社の障害者雇用は、ソーシャル・インクルージョンの点で批判的な指摘はありましたが、障害のある人たちの労働者としての権利保障を進める点では高く評価されました。

 そして、1990年代の後半からは、経団連と大企業が障害者雇用に力を入れるようになり、法定雇用率の遵守又はそれに接近する大企業が増えました。中小企業の方が雇用率の高かった以前の長い時代から、障害者雇用にも大きな変化が生まれました。

 つまり、高度経済成長期の町工場等の中小企業で働く古典的なイメージは障害者雇用のスタンダードではなくなったのです。障害者雇用の主要な舞台は第三次産業に変わり、労働環境の合理的配慮と地域生活の自立に資する待遇改善が漸進的に進んできたのです。

 障害のある人の働く世界に訪れたこの40年余りの歴史的な変化を前に、障害者支援施設・事業者の働く取り組みのあり方が問われています。これまでの延長線上の取り組みを積み重ねるだけでは、私見によると、淘汰される宿命から逃れることはできません。

 もう一つの問題についてです。「働く取り組み」を福祉制度の中に設けている国は世界で日本だけです。福祉制度である「就労継続支援A・B」はこのままでいいのでしょうか。

 この問題の歴史的な起源は、労働政策の枠内で労働者の貧困を克服するのではなく、救護法(1929年公布、32年施行)にもとづく救貧費の抑制の観点から、社会事業(1938年日中戦争以降は厚生事業)の枠組の中に「授産施設」を設置したことです。

 それが、戦後の障害福祉制度に引き継がれたものが授産施設であり、さらに現在の就労継続支援A・Bに引き継がれました。労働政策としては、わが国は雇用促進法の割り当て雇用が遅々として進捗せず、保護雇用制度も採用しなかった。

 以前の授産施設や今日の就労継続支援は、労働政策が本格的に対処しなかったことの代替的な対応策を社会福祉に放り投げ続けたのです。学校教育について「就学猶予・免除規定」のあった時代の障害児施設の代替的役割と同じです。

 障害児施設が「学校教育もどき」として低劣な条件に置かれたのと同様に、労働政策による「雇用もどき」である福祉政策の就労継続支援は、最低賃金に満たない工賃や社会保険もつけないことがまかり通ってきたのです。

 障害のある人の障害特性にふさわしい特別の支援や、きめの細かい合理的配慮が必要であるとしても、「働くことを保障する制度」というなら、労働者としての権利保障を担保する支援制度でなければならない。

 労働者としての権利保障とまではいかない代わりに、福祉制度の支援の下でできるだけ頑張ってもらうというような弥縫的制度には終止符を打つべきです。

 働く取り組みの支援と推進に必要な専門的人材の養成制度も必要不可欠です。障害のある人のQWL(quality of working life)の向上を目指し、ILOの「ディーセント・ワークへ障害者の権利」を実現に資する専門人材の育成です。

 前回のブログで、大豆加工製品に取り組むはらから福祉会の職員のほとんどは食品加工の専門性を持つ人であり、障害特性を踏まえた支援や合理的配慮は特別支援学校の元教員が担当し、全体を取り仕切ってきた現理事長の武田さんは、もともとは経理が専門の先生で工賃を上げるために必要な製造・販売の具体的な事業計画を立案できる人でした。

 それに対して、福祉的支援の管理者・職員の一般的現状は、企業的な経済活動をマネジメントできる人材ではありません。むしろ、障害のある人の工賃を上げるための企業的事業活動には、不向きまたは不得手な傾向のある人が福祉・介護の領域の職員に多いのが実態ではありませんか。

 暫くは現行制度を維持するとしても、就労継続支援B型事業所は最低賃金の7割を目標とし、5割を下限とするべきです。これができない施設・事業所は、日中活動主体の生活介護又は地域活動支援センターに移行する。日中活動で作られた製品の販売収益の還元は、賃金の方向性をもつ「工賃」ではなく、「手間賃」等に名称変更することが望ましい。

 障害のある人の生活の質(QOL)の向上は労働を抜きにしても実現しうることは、1970年代以降のQOL研究によって明らかにされています。「人間にとっての働く意義」が謳われても、「工賃」は一向に上がらない「働く取り組み」は、ミッションの失敗です。

雨の降り方、雲の様子が違う

 台風6号が九州の西側を北上している頃、関東では、熱帯のスコールのような雨が降りました。真っ黒な雲が空を覆い大粒の雨が降ったかと思えば、雲が割れて日差しが差し込み、青空が覗きます。私は、温暖化に起因する気候の変化に不気味さを感じています。