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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

感染拡大と人間の抽象化

 Covid-19の感染拡大が止まりません。すさまじい勢いで加速しています。「人流は減少している」から感染拡大には歯止めがかかると繰り返し耳にしたのは、私の聞き間違いだったのでしょうか。

 ドイツのメルケル首相が昨年の3月18日に行った、Covid-19感染症対策に係わる有名なテレビ演説には次のようなフレーズがあります。

「ドイツは、世界有数ともいえる優れた医療体制を誇っています。このことは安心材料ではあります。ただし、あまりに多数の重症患者が極めて短期間のうちに搬送されるようなことになれば、わが国の医療機関も対処できない状況に陥ってしまうでしょう。


これは、単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする、実際の人間が関わってくる話なのです。そして私たちの社会は、一つひとつの命、一人ひとりの人間が重みを持つ共同体なのです。」

 メルケル首相の演説は、個別具体性のある国民それぞれの命と暮らしを守る観点から、感染拡大防止のための必要不可欠な国民の協力を呼び掛けている点が明確です。1日当たりの感染者数が2千人台に落ち着いてさえいれば「安心安全」だなどという発想は全くありません。

 そして、どこかの知事が以前は繰り返し使っていた用語で、最近はさっぱり使わなくなった「エッセンシャル・ワーカー」について、メルケル首相の演説は次のように語ります。

「さてここで、感謝される機会が日頃あまりにも少ない方々にも、謝意を述べたいと思います。スーパーのレジ係や商品棚の補充担当として働く皆さんは、現下の状況において最も大変な仕事の一つを担っています。皆さんが、人々のために働いてくださり、社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます。」

 未曾有の困難が社会を襲う中で、それぞれの思惑や利害から民衆に亀裂と分断が走るところで、政治家が果たすべき責任のあり方は、メルケル首相のこの演説に端的に示されていると言っていい(全文はhttps://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2331262)。

 エッセンシャル・ワーカーとして働くわが国の運送業、スーパー等の小売業、福祉・介護等の従業員は、非正規雇用の割合が高く、低賃金や不安定収入を強いられてきました。

 東京商工リサーチによると、2020年「老人福祉・介護事業」の倒産は118件で、過去最多を更新しました(https://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20200108_00.html)。同年のホームヘルパーの有効求人倍率は14.92倍と極端な人手不足が続いています。

 ホームヘルパーは、Covid-19禍でデイサービスの縮小と休業が相次ぐ中で、介護を必要とする人とそのご家族の暮らしを守るために必要不可欠な役割を担ってきたことは言うまでもありません。

 しかし、ホームヘルパーの雇用形態は54.2%が非正規雇用で、有効求人倍率が15倍前後でも待遇は殆ど改善しません(https://www.minnanokaigo.com/news/kaigogaku/no916/)。

 そして、ホームヘルパーの高齢化に歯止めがかからないのです。8月1日の朝日新聞朝刊別刷『GLOBE』の記事「暮らしを支えるヘルパーの怒り」は、ヘルパーの劣悪な待遇を背景に若い人が就職せず、60代、70代のヘルパーが現場を支えている現実を報じています。

 わが国の政治では、感染者もエッセンシャル・ワーカーも、数合わせに用いられるだけの、抽象化された人間に過ぎないのです。

 




 そこで、このような現実を質す日常的役割を期待されている領域は、メディアのジャーナリズムです。

 森達也編著『定点観測新型コロナウイルスと私たちの社会』2020年前半と後半(論創社)を読みました。まことに読み応えがあり、民衆の生活と労働がCovid-19禍を機に、どのような困難に直面しているのかの確認と、これからをどう展望すればよいのかについて考えるための必読文献です。

 これら前半・後半の2冊は、領域ごとに同じ書き手が配置されているのですが、ただ一つ「メディア」だけが前半と後半で違う人になっています。ここで、後半本の「メディア」は大治朋子さんの「コロナ禍で認識する報道の課題」(後半書、77-95頁)です。この内容はいささかおめでたいのではないでしょうか。

 ここではまず、Covid-19感染が始まりつつあった2020年初めの段階で、日本のメディアの報道の誤りについて取り上げた雑誌『選択』(2020年9月号)の論文を取り上げます。

 『選択』の論文によると、Covid-19の疫学調査として積極的にPCR検査を行うべきという方針を示したWHOの見解に即した報道は17%にとどまり、重症肺炎の確定診断にPCR検査を用いるという厚労省の見解に即した報道が81%であったことが、これがPCR検査による疫学調査を土台にした感染防止対策を退けるミスリードの役割を果たしたところに「大罪」があると指摘しています。

 次に、アビガンの治験が進み有効な治療薬として承認されるという政府の流した甘い見通しを、多くのメディアがそのまま垂れ流した事実も指摘しています。

 さらに、医療従事者への差別、パチンコ店や「夜の街」に対する「スケープゴーティング」が発生するメカニズムにまで掘り下げて報道した記事は、朝日新聞8月12日の記事だけだということを指摘しています。

 これらのことは改めて言われるまでもなく、多くの人がすでにメディアに対して不信感を抱き、今日ではもはや多くのメディアを見限る根拠となったことに過ぎません。

 しかし、この文の末尾近くで次のように述べます。

 「発言を表面的に伝えることが、はたして『客観報道』なのか。ジャーナリストとしての職務を放棄していないか。権力に利用されないためにも、社会で起きている様々な事象に本当に詳しい『専門家』を探し出し、その知見を社会に共有する努力を惜しまぬようにしたい」と。

 このようなあまりにも常識的内容をCovid-19禍の下で改めて確認しなければならないところに、わが国メディアの致命的な堕落が示されています。同書の別のところで、宮台真司さんがわが国のマスコミは「記者会を通じて政府や行政のケツをなめる権益団体」と指摘した点(同書、295頁)の例証です。

人流が減ったそうな―8月1日の池袋

 まいど。機関車トーマス・抜歯金次郎ですわ。うちのスポーツ興行も道半ばまで進ませてもろて、日本の皆さんにはホンマ感謝してます。Covid-19の感染拡大が進んでも、日本の組のもんで文句言うてくる奴は、一人もおりまへんから太平楽なもんです。

 それに、ここの公共放送は政府とうちの思惑通りに広報してくれはるし、民放はんの方も、急速な感染拡大が深刻やと言ったしりから、すぐにスポーツ興行での選手の活躍ぶりに切り替えて盛り上げてくれますな。わしが観てても、ちょっとえげつないんちゃうか、と心配になるんですけど、ジャーナリスト風芸能人の「記者」と「アナウンサー」がよう矛盾を感じんとやっとるわと感心しますわ。

 Covid-19禍の最中にスポーツ興行をやらせてもらうところが、ちょうど日本の順番にあたってよろしおました。ホンマ、おーきに。