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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

ロストロポーヴィチの足跡から

 20世紀後半の世界を代表するチェロ奏者であったムスティラフ・ロストロポーヴィチ(1927-2007)。クラシック音楽の愛好家であれば、彼の名を知らない人はいないでしょう。

 最高度の技術に裏打ちされた繊細かつ豪壮な演奏は、世界中の人々を魅了しました。その演奏は「勇気と良心の旋律」と呼ばれ、平和・自由・人権擁護のために不屈の魂で闘い抜く良心は、彼の芸術の源泉であり支えであったと言われています(ソフィア・ヘントヴァ著『ロストロポーヴィチ―チェロを抱えた平和の闘士』、新読書社、2005年)。

 彼は、1970年代の初頭から、物理学者アンドレイ・サハロフ博士や『収容所群島』の作家ソルジェニーツィンを擁護し、ソヴィエト政府から弾圧を受けることになります。

 ソヴィエト作家同盟から追放されたソルジェニーツィンが、極寒のロシアの冬に暖房を当局に止められ、室内温度マイナス20℃以下の生活を余儀なくされているところに、ロストロポーヴィチは温かい手を差し伸べました。

 そして、反体制作家を擁護したことによって、ロストロポーヴィチも反体制芸術家として当局から演奏活動の機会の一切を剥奪されるようになります。それでも彼は人前で演奏する機会を求め、ヴォルガ河を渡る汽船の中で「ストリートライブ」のような演奏を重ねた時代がありました。

 しかし、彼の音楽師匠の一人である作曲家ショスタコーヴィチが、「ロストロポーヴィチは自分の音楽演奏だけに携わるべきだ」と考えていたことに従うことはありませんでした。

 圧制や社会的不平等に抗して自らの良心を貫くことが、「彼にとって芸術、音楽、そして彼の演奏家としての信条に結びついていた」のであり、「稀にみる繊細さをもつロストロポーヴィチの直感は、困難だが創作活動にとって恩恵をもたらす道へと彼を導いた」のです(前掲書、243頁)。

 彼は1974年に国外に出て、1978年にはソヴィエト市民権を剥奪されます。それ以降、アメリカに拠点を置きながら亡命演奏家としての活動を続ける中で、比類なき演奏芸術を持つ偉大な音楽家として不動の地位を築くのです。そうして、彼は世界中の人々から「スラヴァ」(ロシア語で「栄光」)と呼ばれるようになりました。

 80年代の後半になり、ゴルバチョフの進めたペレストロイカの下で、ソヴィエト国籍への復帰と帰国が許されることになります。

 1989年のベルリンの壁崩壊の時には、崩れた壁の傍らでバッハ無伴奏チェロ組曲を演奏し、1991年のモスクワ・クーデター未遂事件ではエリツィン大統領(当時)とともにロシア共和国庁舎に立てこもり、ロシアの民主化を守り抜く行動をとったことでも知られています。

 20世紀の激動の時代を生き抜いた偉大なアーティストであるロストロポーヴィチには、圧制と社会的不平等を憎む自らの良心に従って生きることに、芸術性の源泉がありました。不合理で抑圧的な国家権力に拝跪し「音楽演奏だけに携わること」は、アーティストのあり方ではないことを証する体現者だったのです。

 私見によれば、ヨーヨー・マのチェロ演奏には大道芸人的なエンターテイメント性があるのに対し、ロストロポーヴィチの演奏には常にアーティストとしての気品と気迫が滲み出ていたと思います。

 ロストロポーヴィチにとっての音楽芸術は、すべての人たちが社会的不平等のない平和と自由を享受できる共生社会の実現に向かう営みの中で、開花表現しうるものでした。

 「自分自身のために精一杯、よい演奏(プレー)をすれば日本中に明るいニュースを届けられる」、「演奏家(選手)が何を言おうと世界は変わらない」、「演奏家(選手)はそれぞれできることをやって、日本に勇気と感動を届けることしかできない」という台詞を、もしロストロポーヴィチが聞いたとすれば、どのような感想を抱いたでしょうか。

 この軽佻浮薄そのものの台詞を「オリンピアン」と称する人が平然と語るところに、茶番と欺瞞に満ちた商業五輪の本質が露呈しています。わが国における「最高度のアスリート」は、政治的幼児性に佇む未熟な市民に過ぎません。

 今まさに、夥しい数のCovid-19感染者が発生し、エクモを装着されて生死の境をさまよっている人たちがおり、速やかに医療機関につながらないまま亡くなる人さえいるのです。

 この明らかに悲惨な現実を前に「よいプレー」をすることが、Covid-19の患者さんや廃業・休業を余儀なくされた飲食店・自営業の方たちに対しても「勇気と感動を届ける」ことになると考えるアスリートがいるとすれば、よほどのバカとしか言いようがありません。

 ギリシャに起源をもつオリンピックの競技選手は、ギリシャ時代のゾーン・ポリティコン(政治的社会的動物)から時を経て退化したのです。このようなアスリートによるスポーツ興行が、本当の感動を産み出すことは絶対にありません。

 そして、日本のテレビの今は、ロストロポーヴィチが闘ったソヴィエト時代の体制側のマスコミや言論界と見まちがうばかりに近似した様相を呈しています。

 Covid-19禍の下で開催を問題視する姿勢をチラつかせる一方で、「選手はちっとも悪いわけではありませんから、みんなで応援しましょう」と軽薄なアナウンサーが無駄なおしゃべりを並べたて、「支払ったオリンピック放映権料の元を取ろう」と画策しています。見苦しい。




 そして、スポーツへの強迫的感動をふりまきながら不動産でちゃっかり大儲けしている大企業のコマーシャルがテレビで流れています。オリンピックの開催そのものに、少なくとも過半数の国民が疑念を抱いている現実の下で、「スポーツには感動がある」と言い放つことがコマーシャルになると考える粗雑な神経は、もはや正気の沙汰ではありません。

 商業主義に塗れたオリンピックとパラリンピックが、民衆に「感動」を与えるという幻想の時代は、東京2021オリパラで歴史的な終止符を打つことを望みます。

大トロ、中トロ、ロストロ(笑)

 ロストロポーヴィチは寿司が大好物で、「大トロ、中トロ、ロストロ」と言われたそうです。来日したときには必ず、築地に通い、九重部屋の朝練習を見に行ったそうで、大の日本ファンでした。以前にブログで紹介したリヒテル(2015年6月8日ブログ参照)を含め、ロシアの音楽家には日本びいきの人が多いようですね。