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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

Covid-19禍と虐待の顕在化

 この一年ほどの間にCovid-19禍の下で発生した障害のある人への差別と虐待のほとんどは、福祉・保健・医療・雇用等の制度領域と家族・地域社会がこれまで抱えてきた構造的問題を顕在化させたものと考えています。

 この30年、ずっと増加し続けている子ども虐待対応件数は、2019年度に193,780件(速報値)になったことはすでにお伝えしました( 2020年11月30日ブログ参照)。

 2020年度の虐待件数がさらに増加することはまず間違いないでしょうが、Covid-19禍に直接起因するものではありません。これまでは家族内部の子育てにおいて、不適切な養育を織り交ぜながらも何とか虐待に振りきれないようにやってきたところが、ステイホームや親の失業・収入減等によって持ちこたえることができなくなったのです。

 一部の議論で、昨年の4~5月の緊急事態宣言と学校の休校のあった時期に、虐待対応件数が減った事実に着目する有識者もいるようですが、それは単純な無理解だと思います。

 子ども虐待はゴールデンウイークや夏休みなど、子どもたちが家庭にとどまる期間は余り表面化せず、休み明けに一挙に児相等に持ち込まれる傾向のあることは、これまでに確認されてきたからです。

 さて、「これまで抱えてきた構造的問題が顕在化する」と言っても、事態はとても複雑だと思います。この複雑さを考える上で、「精神医療の最前線-コロナ時代の心のゆくえ」を特集した雑誌『現代思想』2021年2月号(Vol.49-2、青土社)は実に読み応えがありました。

 とくに、斎藤環さんと東畑開人さんの対談「セルフケア時代の精神医療と臨床心理」や貴戸理恵さんの「コロナ禍と家族」、渡邊琢さんの「自立生活、その後の不自由」等は、子育て、虐待防止及び障害者の地域生活に係わる相談支援者には実に示唆に富む内容があり、お読みになることを強くお薦めします。

 この雑誌の対談では、阪神淡路大震災の直後、精神科医の中井久夫さんが「ハサミ状格差」を指摘したことが改めて取り上げられています。震災を機に「親密さを増す家族」と「破綻する家族」に両極化する問題のあることです。

 この指摘は中井久夫さんの専売特許ではありません。たとえば、夫婦子ども二人の家族がいて、突然、お父さんが交通事故や労災に遭って長期の入院・療養が必要になったとしましょう。ここで、お父さんの一大事を機に「親密さを増す家族」と「破綻に向かう家族」のあることは、家族支援の領域ではかなり以前から広く知られています。

 しかし、この分岐を左右する要因はまことに複雑です。

 経済的な困窮につながるかどうかについても、多様な事態が想定できます。交通事故の法的責任が相手にあるとしても相手が任意保険の対人賠償に入っているかどうか、入院から療養への運びの中で休職扱いになるかどうか、自営業で無収入に直結するかどうか、後遺障害が残り職場と職種の変更を余儀なくされること等、さまざまな要因が絡んできます。

 それぞれの家族員の抱える困難をみんなで話し合って支え合う日常のある家族かどうか、とくに、困ったことに直面したときに家族の中で「助けて」と支援希求を出すことのできる家族であるかどうかの問題は重要です。

 しかし、家族の一大事を機に「まとまろうとする」か「バラバラになるか」の分岐が生じるからと言って、普段の家族関係のあり方だけに問題があるとは言えません。

 家族が地域社会の中で孤立した状態なのか、地域に活用できる支援や資源があるのか。家族員それぞれがもつソーシャル・キャピタルや家族単位の困難にみんなで立ち向かうレジリエンスに通じる文化資本の質と量も、事態を左右するでしょう。

 雑誌の対談で斎藤環さんは、Covid-19禍に発生した自殺が女性に偏位している事実に対して、女性の持つソーシャル・キャピタルに着目します。

 「ママ友」や「カフェ友」のように利害の絡まない関係性は、援助希求がしやすく、男性よりも相対的に自殺リスクを抑え込むことに役立っていた。Covid-19禍の下で、働く女性には仕事だけでなく家事・育児をめぐるストレスが強くかかったところに、Covid-19禍が女性のソーシャル・キャピタルを激減させたことが自殺を増加させたのではないかという、斎藤さんの仮説的な提起です。

 貴戸理恵さんの「コロナ禍と家族」では、母親としての自身が子どもの休校期間中にこの際だから漢字学習をしっかりさせよう考え、いささか強迫的な子どもとの関係性に陥った体験を開示されています。「漢字帝国」で「濃霧問題」が発生したため、子どもの方から「家族も換気してくれ」と言われたそうです。

 現代の家族の中は外から見えるものではなく、外に向かって語られることのない不適切な養育や、場合によっては虐待も、そこかしこに抱え込みながら、多くの家族は何とか虐待に振り切れないように踏ん張っている事実にもっと目を向けるべきです。

 貴戸さんの論考においても、「ママ友」というソーシャル・キャピタルの重要性が指摘されています。貴戸さんご自身の体験として、Covid-19禍の合間を縫って開かれた対面形式の「ママ友会」の中で、普段は語られることのない不適切な養育や母親自身の悩みを話し合う機会になった事実が述べられています。

 『さいたま市障害者相談支援指針』の虐待に係わる説明の中で、私は「不適切な養育」を「虐待の芽」であるからいち早く「摘み取るべき悪」と捉えるのは間違いであることを指摘しました。「不適切な養育」は「虐待に振れる」か「新たな親密さを産み出すか」の分岐点にあることに着目して、後者に向かう支援を組み立てることこそが大切なのです。

 現在の問題は、「不適切な養育」の状態が家族の中にありながら、外の支え合う関係において語られて知恵の交換をして「新たな親密さを産出する」方向に運ぶシステムが欠如しているところにあるでしょう。

 ママ友やカフェ友がソーシャル・キャピタルとして重要な役割を果たすとしても、そこから外れている、または外されている母親も山のように存在するでしょう。

 保育所と学童保育を重要な資源とした私の子育ての時代は、「父母会」がそのような役割を果たしていました。その時代にも、保育所と学童保育の利用要件に入らずに排除されたままの親子は山のようにいたのは事実です。

 しかし、子育ての営みを、それぞれの家族に閉じ込めることなく、地域の父母が対面して語り合うことによって知恵を出し合い、不断に不適切な養育を乗りこえるシステムの萌芽的形態だったと思います。

 Covid-19禍の下で、ステイホームが始まったらDVや虐待が増加する方向に振れてしまう現代家族の状況は、不適切な状態を外に開示して語り合い親密さを作り上げる地域システムの必要性を明らかにするものです。

川越の桜の花芽

 近所の桜の花芽が色づいて膨らみを増しています。これを見て、福島県三春町の瀧桜を思い出しました(2017年3月13日ブログ参照)。

 「東日本大震災から10年」という先日の報道の多くに、私は失望を禁じ得ませんでした。福島の原発事故をめぐる廃炉処理の報道の多くは、事故の発生から3年以内に指摘されていたものがほとんどだったように思います。三陸沿岸の甚大な津波被害があった地域の再建についても、かさ上げ工事が始まった段階で指摘されていた内容を今さら後追いしているだけの報道が目立ちました。

 実態を掘り下げて報道する努力を棚に上げ、「被災者個人に物語を語らせる」ことでお茶を濁す手法も目立ちました。家族の中の問題と同じで、通常は「語られない」「語ることのできない」ところに、今日なお積み残されたままの重大な問題があると思います。