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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

底なし沼にはまり込んだ子ども虐待

 先日厚労省は、令和元年度における児童虐待対応件数が193,780件(速報値)であると発表しました。この11月は児童虐待防止推進月間に当たり、今年は特に児童虐待防止法の施行から20年を迎えました。

 この統計が開始された平成2年度の1,101件から176倍の増加ということになります。今年はCovid-19の問題から学校の休校や自宅での親のテレワークの影響もあり、令和元年度よりもさらに子ども虐待が増加している兆候も指摘され、厚労省は現在「子どもの見守り強化アクションプラン」を推進して虐待防止に努めています。

 マスコミの報道は、児童相談所等の虐待防止に係る体制整備の遅れを指摘すると共に、Covid-19の影響の下で、子育ての渦中にある親子と独身者のシェアハウスによる協働親密圏を作って、子育ての困難を乗り切ろうとしている事例の紹介もしていました。

 しかし、来年の今頃は、まず間違いなく、子ども虐待対応件数が「ついに20万件を超えた」となっているでしょう。エビデンスを提示することなく虐待発生そのものが増えている訳ではないと発言する無責任な人がいるようですが、虐待対応件数が減少傾向に転じたことは一度もありません。

 ここまでくると、わが国における子育てのシステムそのものにある深刻な問題を正視するほかないでしょう。

 それぞれの家族の子育てが、しかもその多くが夫婦と子どもからなる核家族において、「保活」を含めた自助努力を強いられる営みは、危機的状況にあると言っていい。「綱渡りの子育て」を多くの親は毎日強いられています。

 貧富と社会文化資本の格差の拡大によって、子育てに係る家族リテラシー(情報活用能力)を高めることのできる階層とそうでない階層との格差も拡大する一方です。

 地域の中で孤立した核家族において親が子育ての責任を負わされるシステムは、この50年ほどの現象に過ぎません。長い歴史の中で子育てのあり方を見れば、特異に歪められた子育ての営みを強いられています。

 わが国において1950年代頃までは専業主婦はほとんど存在していませんから、母親も野良仕事や家事労働を担っています。乳飲み子の段階を過ぎれば、地域社会の「丸ごと」が子育て支援システムだったのです。

 このような子育てについて、汐見稔幸さんは比喩的に、「昼間は地域社会で放牧されていた」のであり、「朝夕になると厩舎に戻していた」と表現しています(「心が育つ場所としての親密圏」、『親密圏のゆくえ』唯物論研究年誌第9号、210-229頁、青木書店、2004年)。

 しかも、この厩舎は現在の核家族の特徴である公共領域から分離したところではなく、「隣近所にも、出入り自由な厩舎がたくさんあって、なんかあったらそこに避難することができる」共同体の機能がありました。

 それが今や、子どもをうまく育てることができるかどうかは親の資質や能力の問題に還元されています。以前は子どもたちが放牧されていた牧草地(地域社会)がなくなり、家の中でゲームをさせながら育てなければならないのですから、親が子育てに難しさを感じるのは当たり前です。

 Covid-19の影響で子ども食堂の運営にも制約が増える一方で、ゲーム機はバカ売れしていると言いますから、子育てを地域社会で協働する文化運動も危機にあるといえるでしょう。

 次に、現在の親は、「教室のいじめ」が深刻化した1980年代以降の子ども世代に当たります。90年代に入り、「教室のいじめ」は特定の子どもの問題ではなく、ほとんどすべての子どもが「いじめる側」と「いじめられる側」に日替わりメニューで変わる日常生活世界の中で子ども時代を過ごしています(2012年3月5日ブログ参照「暴力の連鎖を乗りこえて」)。

 この問題について、汐見さんは次のように言います。
「いじめというのは、いつ自分にいじめが来るのかわからない、という緊張関係の中で過ごさなければならないから、いかに自分を防衛するのかというのが一番の関心になってしまいます。そうすると自己防衛の盾を作りながらしか他者との関係を持てなくなります。」

 そこで、本音を出し合って他者との親密な関係を紡いでいく親子関係や夫婦関係に困難が広がっていると指摘するのです。家族でありながら、親密圏を形成するために必要な所作を持ち切れない親が一般化したということです。

 さらに、他者との親密な関係性を紡いでいく関係能力が、「身体のレベルから衰退」している問題の指摘があります(前掲書、金井淑子さんの指摘)。

 以前は、押しくらまんじゅうをしながら遊びと力の加減を学んだり、手をつないで土手を登る協力の仕方を習得していた。ところが、今、保育園や幼稚園で手をつないで土手を登らせようとするとパニックが起きるという指摘があります(前掲書)。

 大学の授業で、移動支援に関連した車いすの介助の仕方を学習する時間を設けてきました。1990年代は、階段の昇降に係る介助について、踊り場を挟んだ1階と2階の間の階段を上り下りする場面を設けていました。

 ところが、2000年あたりを境にしてこれができなくなったのです。大人一人が乗った状態の車いすを4人がかりで介助するのですが、体の動きが硬く4人の共同作業がにわかには成立しないのです。危なくて見ていられないため、3段程度の階段に場所を変更せざるを得ませんでした。

 このような事実は、児童相談所の一時保護所の職員が「虐待で保護された子どもの体は硬い」と指摘することと符牒が合うような気がします。親密圏を紡ぐために必要不可欠な力が身体レベルの基底部分から損なわれている問題になっているということでしょう。

 このようにみてくると、多くの家庭の日常生活世界において不適切な養育(maltreatment)が当たり前の、ごくありふれたシーンとなってしまっているのではないでしょうか。わが国における子育ての実態はまことに深刻であるとみるべきです。

 虐待防止の取り組みは虐待対応を進めることにとどまるものではありません。豊かな子育ての営みと文化を再建するための施策の具体化が問われているのです。

川越の感染危険地帯

 さて、この一週間のCovid-19をめぐる報道を俯瞰すると、わが国はどうもオリンピック・パラリンピックを中止に追い込みたいと考えているように思えて仕方ありません。

 スイーツの食べ歩き通りである川越の「蔵造の街並み」は、若い観光客がソーシャルディスタンスなんてものともせず、スイーツを買うための行列をつくり、マスクを外してぺちゃくちゃスイーツを頬張りながら、大声でおしゃべりしています。

 室外だからと言って、これほどの3密となれば感染リスクは間違いなく高くなっているでしょう。お店の人には行列の間隔を開けようとするなど、少しでも事態を改善しようとする気配は丸でありません。

 高齢者・障害者等の重症化リスクのある人は無論、この地域を生活圏とする市民にとっては、もはや川越最大の感染危険地帯となっている現実が放置されています。これがわが国の政治と行政の現状です。だから、感染防止も「自助」ということですね、怒!!!