メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

虐待の報道

 先週、東京都大田区で発生した3歳児ネグレクト死事件が報じられました。児童虐待防止法の施行から20年を迎えた今日、虐待防止の視点から報道の現状を考えてみたいと思います。

 この事件の一報を受けて、まず私は、2010年7月に大阪で発生した2児ネグレクト死事件と虐待の発生関連要因に共通性があるのではないかと感じました。

 子どもの養育に困難がありながら支援につながっていない孤立、子どもとのアタッチメントを形成するまでに至らない自身の空虚さと寂しさ、その背後には親自身の被虐待経験があるのではないか。

 マスコミで報道されるような重症化した虐待事案は、複数の発生要因が一定の時間をかけて複雑に絡まり合って生成したものです。

 したがって、虐待防止に資する報道は、センセーショナルに扱うべきではなく、孤立、貧困、虐待の世代間連鎖などの発生要因を克服するための課題を明らかにする社会的責任があるものと考えてきました(2010年8月12日ブログ参照)。

 大阪2児ネグレクト死事件から10年が経過し、虐待死亡事件に係る報道は両極化しているようです。目についた報道から考えてみます。

 まずは、文春オンライン。3回に分けて報じています。一つ目は、『【3歳女児放置死】ゴミ屋敷化した自宅で稀華ちゃんが過ごした最後の8日間「放置は常態化していた」』。二つ目は『母親が夢中になった“鹿児島在住の元同僚男性” 男性は「(Kが)来たけど、別れたかった」』。最後は『加害者も虐待されていた!「8歳で両親が逮捕」3歳女児放置死は“負の連鎖”が生んだ悲劇か』(https://bunshun.jp/articles/-/38948)。

 この報道は、児童の死に至る状況の事実報道とともに、この母親自身が子ども期に重症度の高い虐待を受けていた事実を明らかにした上で、虐待の世代間連鎖が重要な発生要因の一つではないかと指摘するものです。子ども虐待の防止につながる視点を担保した第一報であると評価できます。

 次に、ABEMA TIMESです。「子どもを育てられない親、預ける親を認める社会に…3歳女児ネグレクト死事件から考える」の見出しで報じています。

 この報道は、問題の分析と社会的支援の具体的手立てについて論及しています。

 まず、児童虐待防止全国ネットワークの高祖常子理事のコメントから、「8日間放置した」背後には、「放置しても大丈夫だった」というこれまでのネグレクトをめぐる誤った成功体験から、今回も「命を奪おうという意識は本当になかったのではないか」と分析します。

 その上で、さまざまな社会的支援を活用しながら育児を進めて行くような「受援力」を高める課題を指摘し、児童養護施設による社会的養護や親戚に頼る育児などを実際に活用してきた事例を紹介しながら、「育てられない親、預ける親」を積極的に認める社会にしていくことの必要性を報じています。

 この記事は、ネグレクトが常習化する暮らしと加害者の供述等の限られた事実から、第1報の時点で考えることのできる問題の所在と処方箋を明らかにしようとする報道として高く評価できます。

 以上の二つの報道とは対照的な報道が、週刊朝日の記事です。タイトルは「ゴミ屋敷で娘を餓死させ、彼氏に会い、偽装工作した24歳母親の鬼畜な素顔『飛行機が満席』と嘘も」(https://news.yahoo.co.jp/articles/6e64ef7ae6f5ffe5ca0e02bfd14a20c6f245465e)です。

 このタイトルにあるとおり、加害者である母親の「素顔」と行状の極悪非道さを暴き立てる内容です。最後に、母親の「知人の言」として、「頭の中は彼氏と遊ぶことに支配されていた。鬼畜のような母親ですね」という引用もあります。

 この報道の内容と姿勢は、2006年秋田児童連続殺人事件(彩香ちゃん・豪憲君)当時の煽情型ワイドショーとほとんど差異がなく、時代錯誤そのものです。子ども虐待が発生する関連要因を考える意思と能力は皆無で、下世話なゴシップ記事に過ぎません。

 子ども虐待の問題性を「虐待者である親が悪い」ことに帰結させる非科学的で有害な報道ですから、虐待に関する間違ったメッセージを社会に広め、虐待防止の取り組みに係る社会的障壁を作り出す点で、まさに「鬼畜の報道」と言っていい。

 自殺や薬物依存など、社会的な取り組みによって克服していくことが必要不可欠な領域では、報道のあり方が問われてきました。自殺や薬物依存をめぐる有名人の報道等をセンセーショナルに扱うのではなく、自殺防止や薬物依存の社会的克服に資する報道にしていこうというガイドラインが提起されています(2019年11月11日ブログ参照)。

 児童虐待防止法が施行されて20年も経つ今日に、週刊朝日のような「鬼畜の報道」がまかり通るのは、マスコミの社会的影響力の大きさを考慮すると決して看過できるものではありません。

 虐待防止に向けた社会的な取り組みの一環として、「虐待報道ガイドライン」の作成が求められていると考えます。近日中に私案を作成し、社会的な議論の一助にできればと願っています。

7月12日の川越・時の鐘付近

 さて、新型コロナをめぐるさまざまな制限が解除されるようになってきました。川越の蔵造りの街にも人が押し寄せるようになりました。しかし、観光客の2~3割はマスクを着用していません。観察すると、いろんなお店のお菓子を食べ歩くためにマスクを外してしまうことが分かります。

 市中感染の広がりが懸念されているただ中にあって、川越市当局が果たしてこのようなリスクの高い状況を回避するための手立てを考えているのか、不信感が募る一方です。

 個人的には、政府・自治体の発表する感染状況については、一切信用することができないようになりました。「緊張感をもって」何をするのかは具体的には言わない、「スピード感をもって」いつまでに何を成し遂げるのかも結局は言わないという政治的レトリックのオンパレードです。

 デンマークの福祉サービス事情を訊ねてみると、外出自粛には不満が溜まっているようですが、支援者と利用者のすべてにPCR検査が実施されるために、安心して支援サービスを使えるシステムが維持されているそうです。訪問系と通所系のサービスが減少したわが国とは対照的です。

 この数か月間に「PCR検査を拡充する」という発表を聞かされ続けましたが、いつまでにどこまで拡充するのか、即刻明らかにしてもらえませんか。