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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「虐待報道ガイドライン」の必要性

 近年、スポーツ選手や芸能人の薬物依存事件を報道が大きく取り上げます。しかし、これらの報道の中には、薬物問題や依存症問題の社会的克服に逆行しかねない問題点があると指摘されてきました。

 そこで、TBSラジオのSession-22でパーソナリティを担当する評論家の荻上チキさんをはじめ、依存症問題に取り組んでいる支援者や医療の専門家が議論を重ね、「薬物報道ガイドライン」を番組として提案しています(https://www.tbsradio.jp/108928)。

 この「薬物報道ガイドライン」にはとても重要な中身があり、ぜひ全文をお読みいただきたいと思います。ちなみに、このガイドラインは、WHOの「自殺報道ガイドライン」を参考に作成されたものです。

 直近のところでは、ダルクの活動に参加していた元タレントのTさんが、覚醒剤所持容疑で逮捕された「事件」の報道をめぐり、11月7日にラジオ番組のSession-22が専門家を交えて問題を掘り下げていました。

 これまでの薬物依存症事案についての報道は、薬物依存への誤解と偏見を招き、依存症からの回復を目指して努力している当事者の腰を折り、そして、場合によっては、薬物への興味を煽りかねない内容があること等の問題点が指摘されています。

 国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部の松本俊彦さんは、次のように指摘しています(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/040500003/041400006/)。

 覚醒剤事件の報道でテレビに映し出される「白い粉と注射器」は、薬物依存からの回復に取り組んでいる患者さんに「欲求のスイッチを入れる」のです。

 しかも、この映像は、覚醒剤事件の報道に使用する「定番資料」としてあらかじめ用意しているもの(つまり、取材した映像ではない)で、同種の事案の報道内容としては、諸外国では決してみられない日本の特異な報道だと指摘します。

 この他にも、ガイドラインはとても重要な問題指摘をしています(一部抜粋です)。

  • ・依存症は「逮捕される犯罪」で、「犯罪からの更生」というイメージだけをふりまくのではなく、医療機関や相談機関を通じて「回復」していく事実や重要性を伝えること。
  • ・依存症の背景には、貧困や虐待などの社会的な問題が深くかかわっていることを伝えること。
  • ・「人間やめますか」のように依存症患者の人格を否定する表現は用いないこと。
  • ・「がっかりした」「反省して欲しい」という街録・関係者談話などを使わないこと。
  • ・ヘリを飛ばして車を追う、家族を追い回す、回復途上にある当事者を隠し撮りするなどの過剰報道を行わないこと。
  • ・家族の支えで回復するかのような、美談に仕立て上げないこと。

 そして、これらの全体を通して、「薬物依存症の当事者、治療中の患者、支援者およびその家族や子供などが、報道から強い影響を受けることを意識すること」を要望しています。

 この薬物報道ガイドラインを前にすると、私は虐待報道にもこのようなガイドラインが必要だと思います。

 11月7日のSession-22では、薬物依存症の専門家である松本俊彦さんが報道機関からの問い合わせについて、大略次のように語っています。

 まず、問い合わせの内容については、「いかに薬物が怖いか」「いかにやめるのが難しいのか」「どんな特効薬的な治療があるのか」というところが多いということです。

 次に、報道機関の関心の持ち方についてです。半分くらいの人は、ネットの記事や薬物問題をめぐるこれまでの私の発言や本に目を通して、薬物依存症問題に継続的な関心を持っていると感じます。

 しかし、残りの半分は、「主にテレビですけれど、とにかくコメントが欲しいという格好で、明らかに薬物依存症問題には関心のない方たちでした」といいます。それを受けて荻上さんは、「芸能報道の文脈の上で、パーツを埋めるために専門家の一言を求めるという流れ作業という感じですね」と指摘していました。

 虐待事案をめぐる報道についても、全く同様の問題指摘ができると思います。

 虐待者をより悪者扱いして「犯罪者に仕立て上げる」、児童相談所や市町村の対応のまずさだけをやり玉にあげる、虐待者と被虐待者がさまざまな支援の下で慈しみ合いに向けた関係の組み替えの努力をしている営みへの強い影響を考慮しない。

 要するに、虐待防止に向けた社会的取り組みに資する報道というよりも、誰かに、あるいは特定の機関に責任を帰結させていく内容に強く傾斜しつつ、「こうすればうまく虐待を克服できたという事例はありますか」と「(報道内容の)パーツを埋める専門家の一言」を問い合わせてくるのです。

 その典型が、2006年に秋田県で発生したシングルマザー畠山鈴香による彩香ちゃんと豪憲君の「殺人事件」をめぐる報道でした。

 シングルマザーの貧困や子育て支援に係わる支援がどうであったのかについてはまったく検証することなく、極悪非道で「鬼のような母親」というイメージを作り上げていくことに大きく加担したのは、当時の報道(とくにテレビ)であったことは間違いありません。

 秋田県の田舎町に、テレビ局のクルーが大勢押しかけてこの母親を追いかけ回し、シングルマザーが一瞬振り向いたところの怒りに満ちた形相をアップにした映像を、繰り返し垂れ流していたことは今でも鮮明に覚えています。

 このシングルマザーは、幼少期から繰り返し受けた虐待の精神的外傷によって解離性障害があり、自殺願望や摂食障害も併せて、精神科に通院しながら生活保護を受給していました。この点にかかわる報道は皆無に等しかったのです。

 そして、「殺人事件の犯人」として刑事裁判にかけられ、検察の主張を取り入れて問題の本質を解明しようとしない日本の裁判所にふさわしい「判決」が下りました。この一連の経緯は、鎌田慧さんの『橋の上の「殺意」-畠山鈴香はどう裁かれたか』(講談社文庫、2013年)に渾身のルポルタージュがあります。ぜひお読みください。

 報道には、「何のための」「誰のための」報道であるのかを永遠に追求し続けなければならない宿命があります。

最期を迎えつつあるアキアカネ

 庭の木の枝先に、アキアカネが留まっています。私が近寄ると10㎝ほど上に飛ぶのですがすぐに元の枝先に留まります。よく見ると、羽はすでに相当傷んでいます。おそらく、このアキアカネは最期の時を迎えつつあるのでしょう。

 アキアカネは1年のシーズンで一生を終えます。春先に水中でヤゴとなって、トンボになって空を飛び回り、暑さに弱いトンボなので夏場は山の方に避暑に行って、秋になって里に戻ってきます。移動距離は、トンボの中でもかなり長距離になるらしく、秋に里に戻って雌雄の交尾に至るまでには、相当数が命を落としていることでしょう。

 このアキアカネもきっと台風の激しい風雨を凌いだでしょうね。本当にお疲れさまでした。