メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

日本の持続不能性―ケアの再家族化の歴史的誤り


 わが国の2022年合計特殊出生率は過去最低の1.26に落ち込み、23年の出生数も過去最少の75万8631人(外国人を含む速報値)となり、8年連続で減少しています。

 少子化の深刻な実態は、人口置換水準(人口を維持できる水準のこと)を大きく下回り、このまま行くと日本は「持続不能社会」となるリスクが現実のものとなる可能性が出てきました。

 政府は、そのタイムリミットを2030年としており、残り僅か6年間の猶予しか残されていません。若者人口の急減が見込まれる30年代までに少子化傾向を反転できなければ、人口減に歯止めをかけることのできない不可逆的な状態に陥るためです(2月29日朝日新聞朝刊)。

 お隣の韓国は、合計特殊出生率が0.72と日本より深刻であるとしても、このような傾向は東アジア諸国に共通しており、この圏域全体の持続不能性が指摘されています(落合恵美子著『親密圏と公共圏の社会学』191‐208頁、有斐閣、2023年)。

 先の朝日新聞では、日本と韓国に共通して、重い教育費負担や激しい競争にさらされる生き辛さが背景にあると指摘します。この記事の中で、国立社会保障・人口問題研究所人口動向研究所第1室の森泉理恵室長は、「少子化は世界のメガトレンド」と指摘しています。

 このような表面的な説明とは異なり、落合恵美子さんは、東アジアの出生率の低下に係わる深刻な真相を明らかにしています(落合前掲書)。

 北西ヨーロッパを皮切りに、1960年代末以降、人口置換水準を割り込む出生率の低下が始まります。「結婚するかどうかはもはや制度ではなくライフスタイルの選択の問題」となり、結婚制度によらない同棲の増加と婚外子の割合の上昇につながっていきました。

 つまり、ヨーロッパでは、20世紀家族である近代家族が終焉を迎えたのです。近代家族は〈男性稼ぎ主-女性主婦モデル〉(近代家父長制家族)であり、男性は公共の世界で働き、人間の再生産に必要不可欠なケアを〈主婦化=私事化〉することによって不可視なものとします。

 ところが、ヨーロッパでは1973年の第一次石油ショックによって長い不況に入り、男性の稼ぎだけでは家族を養うに十分な所得を得ることができなくなり、共働きによるジェンダー平等とケアの脱家族化を図ることによって、日本や韓国のような極端な低出生率に陥ることを回避することに成功しています。ここにギデンズの指摘する「親密圏の変容」が生じます(アンソニー・ギデンズ著『親密圏の変容』、而立書房、1995年)。

 ヨーロッパは、社会を構成する基礎単位が近代家族ではなく、「個人」になったのです。

 それでは、わが国の低出生率の要因はヨーロッパと同様のトレンドと言えるのか。全く違います(以下、落合さんの前掲書54頁より抜粋しています)。

 同棲経験のある30代女性の割合は、日本26%、韓国2%と、6~8割にのぼる欧米圏とは比較にならないほど少ないのです。婚外子の出生割合は日本2.0%、韓国1.5%と、婚外子の割合が過半数である北欧だけでなく、南欧の2~3割と比べても極めて低い。

 「日本の『できちゃった婚』の増加(2009年には25.3%)は、婚前の性交渉は活発になっているものの、子どもを産むなら結婚せねばならないという規範が揺らいでいない証拠である」と、落合さんは指摘します。

 その上、わが国では18~34歳の未婚者の内、「交際している異性はいない」の回答割合は、1982年の男性36.8%、女性30.1%から、2021年の男性72.2%、女性64.2%と増加の一途をたどっています。

 ヨーロッパでは、結婚はしないが同棲して婚外子をもうけて「変容した親密圏」を生きているのに対し、わが国の「婚姻年齢と生涯独身の上昇は、『親密圏の変容』からもたらされたのではなく、『親密圏の欠如』を意味している」と(落合前掲書199‐200頁)。

 このようにみてくると、わが国は結婚規範を堅持する一方で、親密圏形成の著しい困難が進行してきたということになります。落合さんはこのねじれを「家族主義的個人化」と指摘し、この問題を出来させた政策決定の誤りは、中曽根内閣にはじまる「日本型福祉社会論」(1985年体制)にあったことを明らかにしています。

 このブログでも日本型福祉社会論の誤りについては指摘しました(2023年12月18日ブログ参照)。中曽根内閣の推し進めた「社会福祉改革」は、福祉国家型福祉の削減を強める一方で、ケアの供給主体として家族を強化するために「主婦の座」を守る家族主義的な改革を進めました。

 この時期の一連の改革には、1985年に労働基準法改正による女性保護の撤廃、1986年に国民年金第3号被保険者制度の創設、1987年に労働基準法改正による変形労働時間制、裁量労働制、フレックスタイム制の導入と配偶者特別控除の導入等がありました。

 家父長制的な近代家族の下で、主婦である女性のケア役割を維持しながら、女性労働者の低賃金を固定化する構造を固めて行ったのです。

 それは、今日、20歳代後半から、全産業で女性の年収は男性のそれを下回る(朝日新聞デジタル)ことに帰結し、職場と家庭における男性の力の優位性を生み出し、ハラスメントやDVを産出する土台を構成しています。ジェンダー平等を阻み続ける改革でした。

 つまり、「ケアの脱家族化」が必要な時代に、わが国は後ろ向きの「ケアの再家族化」に向けた政策決定をしたのです。今や、ケアの提供者は主婦だけでなく、「ヤングケアラー」である「子ども」まで引っ張り出す始末です。

 ケアの供給主体としての家族の役割を強調することは、自分が家族から助けてもらうばかりでなく、助ける側に回ることをも強迫します。すると、条件次第で「家族関係は社会的資源からリスクに変貌する」のです。

 家族形成の規範は生きていながら、結婚と出産によって自分がケアを提供する側に回るリスクを回避する―これが「家族主義的個人化」の実態です。

 実際、三十路を過ぎても「結婚する気配」がない、結婚しても「一向に子どもをつくらない」という娘や息子の様子を嘆く初老にさしかかった親の嘆き節は、あちらこちらで耳にします。親と同居してパラサイトを続ける場合がある一方で、老親の介護負担を避けることを見込んで、絶対に同居しようとしない若夫婦がいるのも事実です。

 簡単に言えば、家族主義が家族を滅ぼしてきたのです。

 「日本型福祉社会論」の背後には、日本的経営と日本の家族に係わる誤った自惚れがありました。とくに、「ケアの供給者としての家族」と「良妻賢母」の言葉に象徴される「主婦」に関する時代錯誤です。

 落合さんは「子どもや高齢者、病人、障害者等のケアは、伝統的に家族によって提供されてきた」というステレオタイプな理解は、誤りであることを指摘しています(落合前掲書96‐106頁。なお、広井良典著『ケアを問い直す』148‐151頁、ちくま新書1997年は、落合さんが誤りだと指摘するケアに関するステレオタイプな理解を提示しています)。

 中曽根康弘さんは首相在任中の国会(1982年12月3日)で、「家族が家路を急ぎ、夕べの食卓を囲んだときに、ほのぼのとした親愛の情が漂います」と発言しています。

 この発言からほどなくパブルの時代に突入し、男性サラリーマンは野放しの残業に単身赴任が、子どもたちは夕方から塾通いがそれぞれ当たり前になり、専業主婦のキッチン・ドリンカー(アルコール依存症)や「くれない族」が社会問題となっていた時代です。今思うと、家族を美化するだけの能天気な台詞をよくも国会で吐いたと呆れてしまいます。

 実態と大きくかけ離れたこのような家族の美化は、何に由来するのでしょうか

 小山静子さんは『良妻賢母の思想』(57‐60頁、勁草書房、1991年)で、日本には江戸時代まで「良妻賢母」という言葉はなく、明治以降に、ヨーロッパの「男は仕事、女は家庭」という近代家族を「伝統化」したものが正体であることを明らかにしています。

 つまり、「良妻賢母」はヨーロッパの近代家族に起源を持つのですが、ヨーロッパ列強に対抗する富国強兵策の下で、欧米で新しく台頭しつつあった「男性と対等な自立した女性」を欧米の女性像だとレッテルを貼ることによって、「良妻賢母」が日本の伝統であるかのように作り直されたのです(落合前掲書、75頁)。

 沢山美果子さんの『近代家族と子育て』(70‐125頁、吉川弘文館、2013年)によると、 江戸時代末期に武士が職場の夜勤に子どもを連れて行って、同じ布団にくるまって就寝する様子を綴った育児日記が残っているとあります。

 武士の職場が子どもを連れて行くことを認めているのですから、当時の子育てに夫が積極的に関与することは別に例外的なことではなかったと指摘するのです。

 育児日記や育児の体験談は、明治時代に入っても雑誌の『児童研究』(育児の啓蒙誌)や『婦人と子ども』において書き手の主流は男性でしたが、1910~1920の間に、母親の役割が肥大化し、父親が「消えていく」と指摘します。

 この時期に、わが国はヨーロッパに起源をもつ近代家族のあり方を、「良妻賢母思想」として「伝統化」していったのです。

 このように、すでにカビの生えた「主婦を中心とするケアの家族化」を「日本型福祉社会論」から推し進めたつけが、日本が持続不能社会になるかも知れない現実的可能性を突きつけるまでに回ってきたのです。

 「ケアの脱家族化」「ケアの脱主婦化」へと政策を急速に転換しない限り、わが国の出生率の向上は見込みえません。貧富の格差が拡大し、ジェンダー平等化が進まず、単身者が増え、出生率が上がらない…。家族のケア役割に大きな期待を寄せることは大きな間違いでした。

 その上、「全国総合開発計画」の失敗から、わが国の地域政策は「選択と集中」の時代に入って久しい。地方部の少子高齢化が著しく進展し、極点化が指摘されてきました。地域のケア資源として社会的ネットワークに期待できる地域とできない地域の格差は、絶望的に拡大しています。

 全国のいたるところで、子育て支援や高齢者介護に係わる「地域包括システム」をつくることができるという「地域社会幻想」を政策的に振りまくこともいい加減にやめるべきです。日本型福祉社会論がふりまいた家族幻想の二の舞をひき起すだけです。

 ヨーロッパ各国は北欧を含めて、福祉多元主義による「ケアの脱家族化」を進めてきました。それは、政府の役割を縮減し、ケアの質を担保せず、富裕層だけが利用可能な市場福祉の導入等にみられる問題だらけの福祉多元主義とは全く違います。

 次回、わが国における福祉レジームの改善課題について考えます。

花粉光環-悪魔のサークル

 大量に飛散する花粉が太陽の光が回折することによって生じる虹色の光環です。日本気象協会の解説サイトがあります(https://00m.in/IfIzj)。花粉症の人にとってはまさに「悪魔のサークル」です。花粉光環は、太陽本体を1/3くらい隠して撮影しないとうまく写りません。撮影の自信がなかったので、飛散量の少ない時と比べてみましたが、飛散量の少ない時は画像にある虹色の光環は写りませんでしたから、これは間違いなく花粉光環です。
悪魔のサークルに見えてしまう方には、申し訳ありません。