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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

卒業生との会食から


 私のゼミの卒業生の皆さんと会食する機会に恵まれました。学生同士や私との関係性に親密さのあった時代の卒業生だったように思います。久しぶりの集まりでしたが、普段の苦労話に業界裏話など、いろんな話に花が咲きました。

東京駅に集合しました―さて、どこにするかな?

 首都圏の自治体の福祉職を勤める40代が中心メンバーで、民間で働く人も交じっています。職場での責任は重くなり、子どもたちの進路や老親の行く末にも心を砕かなければならない。人生でもっともきつい坂道を上らなければならないライフステージでしょう。

 事情が許せば、この辺りで仕事を切り上げたいとの思いが募りがちです。何人かが顔を合わせると「いつ辞めようか」なんて台詞を吐きながら、日頃の仕事で溜まりに溜まった毒を撒き散らすための飲み会が始まるようです。

 もし、年寄りの私から参会者の皆さんに少しだけ示唆する言葉があるとすれば、「あと10年経つと、今のライフステージとは異なる人生の地平線が穏やかに見えるようになる」でしょうか。職業人・家庭人・個人として、諦観すべきことと堅持すべきものが力まずに、自ずと整理されていくからです。

 「他者を支援する・育む」という職業ほど困難な営みはありません。大学に30年以上勤めていると、それぞれに異なる学生の気質や性格を理解することや、毎年の入学生の「人間と社会の見え方の違い」を見極めることには、大変な難しさを痛感しました。

 福祉系の大学には「これからの福祉人材を育てたい」と公言する教員が少なからずいて、とても不可思議に思えてならないのです。弘法大師級の人物か、教えることにつきまとう罪深さを自覚できない自己愛的万能感にひたる人物かのどちらかだと考えていました。私自身はそのどちらでもないので、割り切れない難しさを抱え続けてきたと思います。

 卒業生と話をしていると、他者を支援することにつきまとう難しさと責任の重さに耐え難さを憶える場面がそれぞれなりにあることが分かります。その事実に、私はかつての教師として、また現在の個人として、はかり知れない信頼を憶えるのです。

 会食が進む中で、福祉の仕事をとりまく厳しい職場環境の問題を指摘する声が多く出ていました。

 その一つは、非正規公務員が多くなってきたことです。

 仕事の引継ぎがうまくいかない、長い目で職務分担を考えることができない、頭数をそろえれば仕事は回るという前提で非正規の割合を増やしていくが、現実的には正規職員にしか割り振ることのできない職務も多い。

 結局、職場のひずみを拡大し、何かの節にそれが職場の亀裂に発展しかねないと言います。いうなら、職場に断層を作り込んで、いずれは地震をひき起すエネルギーをひずみに溜めていくような塩梅です。これでは、職場のアンサンブルから協同は生まれない。

 もう一つは、福祉系大学出身の新人に対する不満です。この問題点が、複数の異なる自治体で共通の話題になっている事実に、私はいささか驚きました。

 会食に集まった自治体福祉職のメンバーは、毎年度入職してくる福祉プロパーの新人を育てる経験をこれまでに重ねています。ところが、近年、これまでにない深刻な事態が起きているというのです。

 仕事ができずに住民とのトラブルをおかしかねない新人を、課長級の指示で、止むを得ずワーカー業務から外すことが珍しくなくなったというのです。そのために、膨大なケースをベテランのワーカーだけで分担する羽目に陥っているそうです。

 卒業生から聞いた新人問題は、私にとっては初耳ですが、根深い問題が伏在しているように思います。

 まず、福祉系大学の「Fラン化」の急激な進行です。この事態が職能の低下にそのまま平行移動して、以前よりも明らかに基礎学力が低く、仕事の理解力が乏しい新人が現れる。そのため、これまでのように、ベテランが仕事を共にしながら新人を育てていく手法がまったく機能しなくなっているのです。

 このような大学の一つに厚労省が予算をつぎ込み続けているのは、予算の無駄遣い以外の何物でもありません。福祉系の大学がどこにもなかった時代に設立された意義はありますが、もはや過去のものです。全国のいたるところに福祉系の大学やコースはあるのですから、国の予算はなくし、廃学するか完全な私立大学にすべきです。

 次に、Covid-19禍で発生した大学教育の問題です。実習を含む多くの科目履修がオンラインを余儀なくされた影響を受けて、学生時代の社会的で現実的な対人関係に経験が乏しく、対人支援の専門性が大学教育の中で十分に培われないまま卒業しているのです。

 さらに、Z世代の問題があるのではないかという話が出ました(Z世代の特徴は、次を参照のことhttps://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/alphabet/generation_z)。

 福祉の仕事は、コスパ・タイパでは割り切れない特質を持っています。しかし、Z世代の新人がコスパ・タイパを重視した視点から仕事に入ろうとする強い傾向をもつところに福祉の仕事に係わる基礎的な無理があるという指摘です。

 仕事に無駄な労力や時間をかける必要はありませんが、回り道を惜しまない仕事の運びが支援の仕事には必須です。クライエントとの出会いを担保し、その人の生活現実と苦悩を分け入って理解することに、労力と時間がかかるのは支援の仕事の日常です。ケアの基軸に人間関係がある限り、コスパ・タイパで押し切ることはできません。

 その他、虐待防止や障害者差別解消の取り組みに必要な人的資源や環境整備の絶対的不足について、国が十分な問題意識を持っているとは全く思わないと口を揃えます。せいぜい「モグラ叩き」の継続だけで、虐待や差別を社会的に克服するために必要十分な施策にはほど遠いと指摘します。

 会食の中で盛り上がった話題の一つに、神奈川県立中井やまゆり園の虐待とそのETV特集(2023年8月21日ブログ参照)がありました。

 埼玉大学で社会福祉士養成をしていた時代の教育・研究の基礎単位は特別支援教育講座にあり、障害特性や障害ごとの「心理と指導法」についての科目が位置づいていたため、ETV特集の描いた欺瞞と虚偽に呆れる声が充満しました。

 強度行動障害として登場した利用者3人は全員強度行動障害ではないこと、外部専門家の対応は強度行動障害への支援としては間違っていること、日常の支援業務を担当する職員は支援事例の中で登場せず「ずぶの素人の新旧施設長」だけが支援者であるかのように登場するのは、中井やまゆり園の現実を描こうとしない明らかな作為のあることなど、私がブログで指摘した通りの問題点をあらかじめ抱いていたようです。

 この問題と関連して、国の障害者施策の進め方の中で、第三者であるかのように装う「特定の人物」や「当事者団体」が、実は厚労省の別動隊になっているのではないかという不信感も出ていました。

 卒業生の話を振り返ってみると、やるべき仕事をそれぞれによく尽くしていると感心します。それと同時に、このような弛まない現場支援者の営みの持続可能性を高めるためには、制度と条件整備の両面から抜本的に改善すべき課題が山のようにあると感じました。

 現行制度の基本が改善されないならば、自治体における福祉の仕事の担い手から魂が消えて形だけのものとなるか、キルケゴールのように「絶望してもなお自己自身であろうと欲する絶望」に身を置いて福祉の仕事に埋没するかのどちらかしかないでしょう。

 これらはいずれも、福祉の現実に対する諦観です。仏教で諦観は悟りに通じていると説きますから、お坊さんになるための苦行になるかも知れませんが、支援を要する人には何の利益ももたらしません。

 2月3日の朝日新聞朝刊は、46都道府県知事へのアンケートで、9割の知事が大規模地震で「共助困難」と回答したことを報じています。大きな自然災害に係わる調査の回答ですが、少子高齢化に伴う人口減少によって地域社会と家族は暮らしを支え合う資源としては、すでに「不良債権化」している現実を反映した回答です。

 そこで、このアンケート結果では、「共助が可能となるような公助が必要不可欠だ」という点に知事の要望が集約されています。

 わが国は既に、家族と地域社会が暮らしを支え合う「含み資産」ではなくなっているのですから、痩せた公助で我慢するか市場サービスを使うかの選択に迫られてしまう。要介護高齢者を抱えれば、特別養護老人ホームに入ることができなければ有料老人ホームを検討しなければならない。

 特養と有料老人ホームを増加せざるを得ない現実があるにも拘らず、障害領域では地域生活移行を進めようとする間尺の合わなさは一体何なのでしょうか。障害者権利条約のいう障害のある人に、要介護状態のある高齢者も含まれます。

 強度行動障害のある人でさえ地域生活への移行を進めようとするのであれば、当然、有料老人ホームの縮減にも着手すべきです。でも、そのような施策は進めることはできない。要介護高齢者の施設やサ高住への集住化が進むのは、家族と地域社会がもはや「ケアの資源」ではなくなっている現実に由来する必然です。

 個人の人権モデルに立脚したケアの創造に向けて、社会福祉政策の基本理念、制度設計の骨格、支援者の専門性、専門職制と待遇、これらのすべてを根本的に見直すべき地点にあることは間違いありません。

 この見直しを通して、すべての人たちが尊厳をもって生きることを支える「ケアの仕事」のやりがいと担い手の待遇を高い目標をもって構築すべきです。

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