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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第63回①
池田祐介 オビヤマベース 自立(生活)訓練事業 アクセンス株式会社代表取締役
「就労支援をする仕事」が新鮮で楽しく、
10年間で4社の新規事業立ち上げに関わる

池田祐介
オビヤマベース 自立(生活)訓練事業 アクセンス株式会社代表取締役
1981年生まれ。中央大学卒業後、政治家秘書、医療関連の営業職を経て、懇意だった医療法人が障がい福祉サービス事業を開始するにあたり業界に興味をもち、当法人に入職。その後、約10年の間に4社にて就労移行支援、就労継続支援A型、B型の設立及び運営に携わる。2022年5月に独立。自立訓練オビヤマベースを運営するアクセンス株式会社の代表取締役に就任。

 取材・文:毛利マスミ

―2023年10月で開所1年を迎えました。この地に自立(生活)訓練事業所を開いた理由を教えてください。

 名前の「オビヤマ」は、事業所がある熊本市中央区帯山の地名から名づけました。中央区には熊本県庁もあり、文化・行政・医療の中心地です。熊本のなかでも文京地区といわれ、人口が多い土地柄です。人口が多いということは、障害がある方も多いということになるのですが、就労支援事業に比べて自立訓練事業所の数は少なく、地元密着というか、近隣の方に利用していただきたいという思いから、事業所名にオビヤマ(帯山)という名前を入れて開業しました。

 開業から1年を迎えましたが、現在、登録している利用者さんの数は20名。利用者さんはそれぞれ週に3〜4回のご利用で、1日の定員が20名ですので、定員的にはまだ余裕がある状態です。この数字はそもそもの事業計画の想定内ではあるものの、実際、資金繰り的にはすごく厳しいです。

―経営という視点では厳しい側面もあるとのことですが、アクセンス株式会社の自立訓練事業所以外の事業もあるとうかがいました。

 障害のある方々の就労をコーディネートする事業をしています。私が以前働いていた会社が、全国に医療関連のクリーニング工場を持っているので、地域の福祉施設やA型B型の事業所とマッチングさせ、相談・交渉をしてお互いのニーズに合うようにつなげています。工場は人材不足に困っているし、事業所も生産性のある仕事の確保に苦慮しているという実態に即した事業です。事業は私の個人的なつながりをベースに進めていて、アクセンスの名前ではホームページもつくっていないので、「どんな会社なんですか」と聞かれることも多いです。こうしたビジネスモデルはあまり聞いたことがないので、もしかしたら、全国でも私くらいしかやっていない事業かもしれません。
 工場は北海道、京都、奈良、福岡、宮崎、大分、熊本にあり、関連工場ということであれば、それこそ日本全国にありますので、今後の広がりにも期待しています。

―既存の枠にとらわれないお仕事をされていますが、池田さんご自身が福祉の仕事を始めたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

 私は、熊本で生まれ育ちました。東京の大学に進学し、一度は東京で仕事もしましたが、結婚を機にUターン。営業職に就いていたのですが、たまたまお客様に医療法人関係がいらして、その法人さんが障害のある方の就労移行支援事業を始めたということで興味を持ったのが最初です。医療法人の理事長先生とは懇意にしていたということもあり、色々なお話をする中で自分もやってみたいなという気持ちになったんです。それまで福祉とは接点すらありませんでした。
 就労移行支援事業所は、今では福祉業界のなかでもメジャーな事業という感じがありますが、当時はまだ珍しさがあって、「 障害のある方の就職支援」という分野が、私のなかでとても新鮮でした。私自身それまでは、「障害のある方が仕事をする場合には、作業所というようなところに行くのかな」というような拙いイメージしかなくて、仕事をするとか、就職をするとかといったイメージを持ったことさえもありませんでした。ですから、 障害のある方が「一般企業に就職をする」ことや「その支援をする」ということ自体が、聞いたことなかったですし、それを「お手伝いするという仕事」にとても興味が沸いたんです。
 理事長先生には直接、働かせてもらえないかと相談して転職が決まりました。その会社で私は、雇用先となる企業開拓や雇用の開発を進めました。
 仕事は楽しく、やりがいもあったのですが、事業が安定したら次の立ち上げに関わりたいという思いが強くなってしまう私の性分があって。それに当時は、就労支援事業が目新しい事業だった為、色々な仕事・キャリアを積む機会、自分で仕事を選べるというチャンスがたくさんあったんです。 給与にしても、働き方にしても、自分がちょっと頑張ればキャリアアップがしやすかったんですね。
 そんな状況のなかで、声をかけてもらったりすることも多く、いわゆるヘッドハンティングというような形で、その後の10年間で4社に勤めました。この業界はネットワークが強いので、「独立した」とか「新規事業を起こした」といったこともふくめ、情報があちこちから入ってくるんです。

―ありがとうございました。次回は横のつながりの大切さやオビヤマベース開業までの歩みなどについておうかがいします。

熊本市中央区の閑静な住宅地に立つオビヤマベース。