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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

仮面を被ると「らしく」なる?

出来ませんリミッター

 先日、女優で元バレリーナの草刈民代氏が、イタリアのベネチアに渡り、古くから伝わる仮面即興劇に挑戦した、という番組を視聴しました。挑戦ですから、実際に舞台に立って演じるわけですが、私は、その練習の様子に大変興味を持ちました。相談援助の演習に通じるところが多かったからです。

 たとえば、いくつか単語を知っているだけで、実際には話せない外国語を使い、あたかも流暢に話しているように演じる、そんな課題を与えられます。むろん、草刈氏はすぐにつまってしまいます。ところが、ある感情について身体表現をするという課題では、さすがに元バレリーナ、実に見事に表現することができます。

 つまり、言語表現は苦手だが身体表現は得意、それが氏の特徴なのだと言えます。同様の得手不得手は誰にでもありそうですが、そこで、登場するのが「仮面」です。不思議なもので仮面を被った途端、あれほど窮していた外国語風の言語表現でも、それなりに表現できているではありませんか。

 どうも、素顔でいると自動的に「出来ませんリミッター」が働いてしまうけれど、仮面はこのリミッターを簡単に解除してくれるらしいのです。そこで、研修のなかで「専門職であることは忘れて、ドキュメンタリー映画監督になったつもりで」と伝えた途端に、参加者による事例のアセスメントが活き活きとしてきた、という経験を思い出しました。

「らしく、ぶるな」

 いわば映画監督の仮面が功を奏したのでしょう。しかし、考えてみると「専門職」というのも仮面のようなものです。それなのに上手くアセスメントできない、というのはどこか変です。そこで私は、現実の事例をモデルや理論といった枠組みに当てはめて説明しようとするからではないか、と考えました。

 モデルや理論というのは、実践家や研究者が沢山ある個別の物語に共通する部分を抽出して作ったものです。学術用語などはその象徴でもあります。そして、私たちはそれらを先に学んでしまうため、往々にして現実の事例を色眼鏡をかけて見るような状態に陥る、というわけです。

 いくら確立されたモデルや理論であろうと、眼前の事例に合わなければ、現実を歪めて見るに等しく、座りの悪いアセスメントになるのも道理です。ですから、まずもって個別の物語そのものを見るように努めれば、少なくとも「現実」は捉えやすくなります。そして、映画監督の仮面のご利益も、ここにあったように思います。

 案外、相談援助のプロの真骨頂は、理屈による解釈を現実の物語を見出した後に回せる点にこそあるのではないでしょうか。以前このブログ「けだし名言「らしく、ぶるな」」
で、対人援助者としての心構えについて述べましたが、仮面を被らないとかえって「ぶる」ことになりやすく、仮面を被るとかえって「らしく」なる、そんなところがあるのかもしれません。

「日本人なら歌舞伎で!」
「相談援助にならない…」