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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

理を更新するは我にあり?

 開催まで残すところ数ヶ月なのに、組織委員会の会長が女性蔑視発言をして辞任したり、後任人事をめぐってひと悶着あったり、何かとざわつく東京五輪です。私にも思うところはありますが、気になるのは「蔑視」の発想の源である価値観です。

 そもそも価値観はかなりの曲者です。それは私たちが、その価値観がどれだけオーソライズされているのかには無頓着なまま、無邪気に「正しい」と信じ込むため、常にトラブルの種になる危険性があるからです。

 ジェンダーにまつわる出来事として、医学部受験で大学が得点を操作していた問題がありました。得点を操作した理由の一つは、「女性は男性より優秀なので合格しやすい」というものでした。ならば、「男性の多い会議は短時間で済むがポンコツな決議になりやすい」と考えて良いのでしょうか。

 また、江戸時代の離縁において夫が妻につきつけた「三行半」は、男尊女卑の象徴のように思われていますが、本当のところは違います。良妻は引く手数多であったため、離婚してより条件の良い家に嫁ごうとする女性も多く、夫は「妻に三行半をつきつける」ことで辛うじて面子を保ったのだといいますから、まさに張子の虎のような男尊女卑です。

 さらに、新発見が続き徐々に明らかになりつつあるバイキングの実像には本当に驚きます。力にものを言わせ残忍に略奪の限りをつくす恐い海賊のイメージとは程遠いからです。兜に角はありませんし、男性優位社会でもありませんし、訪れる先々で人々とは友好的に交流していましたし、紛争は地域のリーダーたちの話し合いで解決していたからです。

 極めつけは、150年間も男性だと思われていたリーダーの遺骨は、実は女性のものであり、当時は、性差より統治能力がより高く評価される社会だったと考えられる、とさえいいます。ここまでくると、価値観というフィルター越しに何かを評価するのは、相当危険なことだと思わざるを得ません。

 どうすれば良いのか考えていたら、歴史学の教授から聞いた話を思い出しました。先生曰く、「理系の学生の場合、何年に何が起こったなど、記憶中心の教科として教えると一気に興味を失うが、何がどうしてこうなったと、理(ことわり)中心の教科として教えると途端に目を輝かせる」というお話です。

 そこで私は、「理の説明を更新し続けることに尽きるのではないか」と考えました。たとえば、何かの新発見があってその価値観が覆ったら、それまでの理を再考して説明を更新していくわけです。

 そして改めて考えてみると、他者を害する蔑視については、新発見によって価値観が覆ったとしても、その理を説明できそうにはありません。しかし、虐待問題への取り組みについては、理の説明を更新し続けることはできそうであり、これこそが私のライフワークなのかもしれません。

「ドブに捨てるな!」
「そっちかい!?」