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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

足を知り質素だが贅沢に

 最近よく、「私たちが他者を傷つけてしまうのは、分不相応に過大な力を持っているからではないか」と考えます。権力者による不正や失言、危険運転等の交通違反、匿名による誹謗中傷や差別、新型コロナ禍の「○○警察」の問題しかり、虐待もDVも、そして学校や職場でのいじめや○○ハラスメントの問題もまたしかりです。

 確かに、力の行使が他者にどう影響するか想像する力が足りないのかもしれません。しかし、それなりに知性を持ちながら想像力だけが足りない、というのも少し釈然としません。そこで、「自分は力を適切に行使できる」と思い込んでいるものの、実は「分不相応に過大な力」を持つ人が多いのではないか、と考えたわけです。

 元凶は「思い込み」にあるのですが、困ったことに、思い込みを強化する力のなんと多いことか。悪徳権力者に忖度する観客や傍観者の力、自動車や自転車というメカの力、匿名という名の攻撃力、あるいは、一般に良いとされる価値までもが、こぞって私たちを自惚れさせます。

 それなのに、これらについて私たちはさほど戒められていません。プロボクサーが「ボクサーのパンチは凶器だ、だから素人には手を出すな。出したら破門だ」と厳しく戒められているのとは大違いです。本来なら、権力者になったとき、メカを使うとき、匿名のとき、正論を言うときにしくじったら即「破門」でもおかしくはありません。

 とはいうものの、しくじらないようにするのは容易ではありません。たとえば、現代社会で最大級の力を持つお金ひとつとっても、自分や他者のプラスとなるお金である「生き金」と、自分や他者のプラスにならないお金である「死に金」があります。これは一意に定めにくいものです。人によっても、条件によっても一変するからです。

 他者にとって贅沢でも、自分の将来に役立つ出費なら、必ずしも死に金ではありません。資格を取得しても、それを活かさないなら、かけたお金は死に金だとも言えます。借金も後に借金以上の利益が得られたなら生き金です。

 こう考えると、私たちにとって、自分の力を適切に行使するというハードルは、かなり高いものなのかもしれません。私たちには、狩猟中心から農耕中心となって以来、領地を拡大して富を蓄えることに固執し、自然でさえ屈服させようとしてきた、という力礼賛の根っこが生えていますし。

 現実は、富は増えたものの富をめぐる戦いもまた増えてしまい、捻じ曲げた自然は今や持続そのものが危うくなっているのだと思います。それなのに、「分不相応に過大な力」を持つ数多の人々にこの現実は見えず、バスに乗れて分不相応に過大な力を振り回す人々と、バスに乗れずに捨て置かれる人々の差は開くばかりです。

 そろそろ、富を蓄えることにも自然を捻じ曲げることにもあまり固執せず、「足るを知る」潮時だと考えてみてはどうでしょうか。きっと、足るを知りつつ生活していけば、自分の力を適切に行使でき、質素ながらも真に贅沢に暮らせるようになる気がします。

「分不相応に過大な力の行使!」
「口ばかり達者になって!」