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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


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花げし舎ホームページ:
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プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第43回① 益川恒平さん  株式会社 ゆめ工房 代表
シングルファザーになって
初めて気づいた人とのつながり

益川恒平さん
株式会社 ゆめ工房 代表
1977年京都生まれ。2004年義肢装具士免許取得。2010年一級義士製作技能士取得。2011年一級装具製作技能士取得。4年間シングルファザーとして子育てをした経験を持つ。当時周囲の人から助けてもらった恩返しと、すべての子どもたちに夢を持ってもらいたいと2018年小児用補装具専門のゆめ工房を設立。補装具製作以外の活動も展開中。

取材・文:石川未紀

―ゆめ工房は、子ども専門だそうですね。全国でも珍しいと聞きました。

 はい。まだ、子どもだけを専門に扱う補装具屋さんは全国的にもほとんどないと思います。
 僕は小さいころから人と同じことをするのが苦手な子どもでしたから、人がしていないことをしたいという思いもどこかにはあったと思いますが、最初から、この世界で子どものために何かしたいと考えていたわけではありません。
 高校時代は、やりたいことが見つからず、卒業後は23歳くらいまで、その日暮らしのアルバイト生活。まさにフリーターでした。
 そろそろ手に職をつけて自分の生活をしっかりさせないと、と思い、人のためになり、かつ自分が好きだったモノづくりの仕事、ということで義肢装具士になろうと専門学校へ通い国家資格を取りました。そのころは独立したいとか、子どものために何かしたいということもなく、京都の企業に就職して働き始めました。
 今思うとダメな社員でしたね。志というものがありませんでした。ただ業務をこなすだけ。自分は手先が人より器用だと思っていましたが、この業界ではそれが前提、というか当たり前で。ですから、僕などは技術も知識も周りより劣ると思っていました。

―子どもの装具にかかわろうとしたきっかけはあったのでしょうか?

 はい。実は、僕は一度離婚してシングルファザーとして、当時4歳と5歳の子育てをしながら働かなくてはならなくなりました。それまで、なんとなく仕事をしていたのがガラッと変わりました。シングルの親はたくさんいますが、シングルファザーはまだまだ数は圧倒的に少ないのです。情報もないし、世間の目も冷たかった。
 人付き合いは苦手だと思っていましたが、そんなことは言っていられません。とにかく誰かに助けてもらわないと生きていけませんでした。
 そこから、子ども中心の生活が始まりました。当初は自分たちの生活や自分の子どもばかりに目が向いていましたが、次第に生きづらさを抱えている子どもにも意識が向くようになってきたのです。
 世間の目を気にして、なんとなくシングルファザーと言えずに生活していたのですが、ある時から、話してしまった方が楽かもしれないと、周囲の人やSNSなどでも発信するようにしたんです。
 そうしたら、拍子抜けするくらい、「言うてくれたら、なんぼでも手伝うのに」といろんな人たちが手を差し伸べてくれたんですね。心を閉じていたのはこちらの方だった。
 今の妻も同じ専門学校出身なのですが、SNSで知り合いました。二人のお母さんになりたいと言ってくれたんです。

―益川さんの行動の変化が周りの人たちも変えていったのですね。

 はい。ただ、結婚して子育てを妻も担ってくれるようになり、仕事もできるようになってきたのですが、果たしてこれでいいのか? と違和感を抱くようになったんです。

―というのは?

 自分だけ結婚できたらそれでいいというのは違うなと。当時は障害のある子の補装具を製作することが多かったのですが、なんだか流れ作業のようになっていました。数をさばくという作業が嫌になってしまったんです。障害のある子と向き合わずして作ることに罪悪感もありましたし、失礼だなと。
 それで会社を辞めようと決意しました。辞めてからゆっくりと考える時間が持てるようになりました。
 これまで障害児の補装具を作ってきましたが、じっくりと障害のある子の生活までを見ていませんでした。でも、SNSなどで発信されている障害児のご家庭の様子を見ると、障害児がいて育児がより大変な状況なのにシングルの親も多いこと、両親が思うように働けずに貧困に陥っているケースも少なくないことを知りました。また、地域によっては障害に対する偏見があり、自分の子に障害があることを隠して生活しているという方もいらっしゃいました。孤立したなかで切実な悩みを抱えている親が多いことを知ったのです。それで、僕は、これまで助けてくれた人たちへの感謝の気持ちと恩返しのつもりで、これからはすべての子どもたちが笑顔になってもらえるような仕事をしようと決意したのです。
 妻は当時別のことをやりたいと考えていたそうなのですが、僕が子ども専門の補装具を扱う工房を開きたいと言ったら、やってみたらと賛成してくれて、2018年ゆめ工房を設立したのです。

―ありがとうございました。次回は、立ち上げ後のゆめ工房の活動ついて伺います。

今では5人家族