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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

イメージと言動


 知り合いが入院し、次の会議まで時間の合間ができたので見舞いたいと思い、行動した。
 おおきな白い籠に、色とりどりのたっぷり果物(子だくさんなヤツ)と、その下に隠した缶ビール。その籠をぶら下げてひょこっり尋ねる自分。
 そんな自分をイメージして、病院の最寄り駅を降りた。

 最寄り駅は都内山手線の駒込駅なので、当然のように果物屋は「ある」と思って降りたところ、駅前周辺にはなかった。

 病院までの途中に小さいながら商店街があるから「あるだろう」と思ったが、あるのは小さなスーパーに陳列された果物。それでもいいのだが「白い籠」がない。

 もうちょっといけば「あるかもしれない」。そう思って歩いたが見当たらず、病院の前にあるかもしれないと思って病院まで行きつくも果物屋はなく、病院を通りすぎたところに都内京浜東北線の王子駅があるので、そこを目指し「時間がなくなればタクシーで病院まで戻ってくればいいんだから」自分に言い聞かし歩いたが、そこにもない。

 「果物屋はあったけどなくなったよ。その先にスーパーがあるから、そこに少しはあるかな」
 王子駅の近隣の酒屋に出くわしたので尋ねると、そう答えられた。

 しょうがないから「あの商店街へ移動してみよう」と思い、電車でひと駅ずれ上中里駅に行き、降り立ってから気づいたが東十条駅と勘違いしていたようで、都内の駅前なのに、そもそもそこには店がない。

 そうこうしているうちに時間が少なくなってきたので、遠くへ移動できなくなってきた。

 「そうか、最初に降り立った駅の裏側にお店がたくさんあるから、そこならあるだろう」
 そう思い立って改めて電車で駒込駅へ移動し探すもまったく見当たらず、時間切れであきらめ会議へ向かいギリギリ到着したが、会議場に誰も居ず、僕が30分間違えていたことが判明。

 駅前・町中にこうも果物屋がないとは…

 まだ僕の中ではネットで検索して行動するというのはなく、自分の足で稼ぐという昔かたぎなだけに、80分近く歩いた・歩いたぁ~。
 何でもそうだが「探すと見つからない」もんである。

 自分の描くイメージを形にするのはホント難しい。
 婆さん支援も同じで、排せつでも入浴でも調理でも買物でもなんでも、Aさんに対してはAさんへの、Bさんに対してはBさんへの、AさんとBさんの二人に対しては二人でいるAさん・Bさんへの、それが施設内なら施設内での、商店街なら商店街での必要なことへの支援策をイメージして取り組むのが僕の基本。

 しかも婆さん支援においては「事前の準備としてイメージする=イメージトレーニング」というより、常に「直前にイメージしたことを行動に表している=イメージして行動をとるようにしている」と言ったほうが適切かもしれない。

 読んでいただければわかるが、結局お見舞いに行けてない。
 翌日退院だと聞いていても、ヤツを見舞うことより自分のイメージで見舞うことを優先したのはなぜか。

 その答えをヤツと一緒に探すために、きっと読んでくれているこのブログに書いてみた。ハハハ

写真

 先週の僕のブログや「株式会社波の女ホームページのブログ」でも紹介していますが、身寄りのない入居者の死に伴う「告別の儀」の出棺光景ですが、身寄りなくとも見送りがこれだけあれば婆さん心強かったやろね。
 一緒に共同生活を送ってきた入居者だけではなく、施設関係者だけではなくご近所の方々までお見送りに参列くださって、ホント心強かったことでしょう、職員さんも。
 全国各地でこうした光景が見られるようになってきたのは、一般社会から遠く離れた「介護事業で生きる婆さんの姿」を「一般社会で暮らす婆さんの姿」に取り戻すために尽力してきた「最期まで人として生きることを支える専門職」の実践結果ですものね。
 僕にとっては感慨深いショットです。