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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

結婚を望む知的障害者に不妊手術


 北海道江差町の社会福祉法人あすなろ福祉会が運営するグループホームの、知的障害のある利用者に対して、結婚や同棲を希望する場合、男性にはパイプカットを、女性には避妊リングの装着を「提案」してきたことが報道されました。

 東京新聞の報道(https://www.tokyo-np.co.jp/article/220952)によると、同法人理事長は「授かる命を保障できない」、子どもの障害や養育不全などに対して「成長した子どもが『なぜ生まれたんだ』と言った時、誰が責任を取るんだという話だ」と取材に答えたとあります。

 障害のあるなしにかかわらず、子どもを産み育てることには自分で決めることのできる権利(リプロダクティブ権)があり、この権利の擁護に支援者の社会的使命はあります。

 この法人では、不妊処置を拒否した場合、就労支援の打ち切りと退所を求めていたと報じられています。このことが事実であれば、「同意」を得ていたのではなくほぼほぼ「脅迫」といっていいでしょう。支援の打ち切りと退所を条件に強迫することによって、形だけの「同意」を取り、法人のアリバイとしてきた悪質さ感じます。

 同理事長は、障害当事者への支援はするが、生まれてきた子どものケアまでしなければならない責任はなく「その法人の考え方、支援の幅」でいいと答えています。障害のある人の権利を実現するかどうかは、「その法人の胸三寸」で左右して構わないと開き直っているのでしょうか。

 この理事長には、障害者権利条約と障害者差別解消法・障害者虐待防止法を虚心坦懐に学習することを強くお薦めします。障害者権利条約に即して障害のある人に係わるこれまでの権利侵害を抜本的に改めていく特別の社会的責任が、支援に係わる法人・施設・事業者にあることは明言しておきます。

 知的障害のある人の結婚から出産への支援については、中央法規出版の『医療福相談ガイド』で実例を紹介し、具体的な支援のあり方を提示しています。この事例について、『医療福祉相談ガイド』を補足するかたちで改めて紹介しておきましょう。

 結婚した知的障害のあるご夫婦は、民間企業で働き、グループホームで暮らしていた方たちです。この二人は、私見によれば、発達年齢が概ね7歳程度でした。

 このグループホームを運営するする理事長は、結婚後の暮らしに係わる助言と相談を進める中で、避妊の方法と同時に妊娠した場合の対処についても懇切丁寧な説明を繰り返し実施しました。

 この法人の理事長は、あすなろ福祉会の理事長とは、真逆の方針で臨みました。出産の希望があれば、法人だけでなく、地域の保健所や医療機関の総力を挙げて支援することを夫婦に約束しています。

 実際、妊娠が明らかになった時点から、グループホームを運営する社会福祉法人の支援者を起点に、地域の連携支援体制の構築を図り、この夫婦の「夢」である出産をみんなで支えていくのです。

 たとえば、産婦人科へ妊婦をつなぐ、母子健康手帳の交付手続きを支援する、保健所の出産前教室(母親教室、母親学級など自治体によって呼称は異なります)については看護師・保健師と事前の打ち合わせをして進める、夫婦の実家とも協力体制を作る、出産後の授乳やおしめ替えなどを母親自身ができるよう支援する特別プログラムを医療機関の看護師が策定し実施するなど、地域の総力を挙げた連携支援体制を作っています。

 このご夫婦の出産は、いささか難産でしたが健康なお子さんに恵まれ、子どもの乳児期における支援には、法人の看護師による支援と0歳児からの保育所利用を活用することに加え、夫婦の自宅での育児を側面的に支援する観点から、ホームヘルパーの家事支援を導入しました。

 子どもの年齢が3~4歳に達し、自我が形成されてきた辺りから、親子支援のあり方を変える必要に迫られました。すでに子どもは2歳児までのように親の言いなりになる存在ではなく、子どもの側からの活動要求が鮮明になり、両親が子どものニーズに適切に応えていくための支援が必要になったのです。

 この時点で、私に法人から連絡があり、知的障害のある夫婦の子育て支援ブログラムの策定と実施のために、支援者チームに入って協力することになりました。

 まず、私はこのご夫婦と面談し、日常生活に必要なコミュニケーションについては基本的な問題はないこと、子どもに対する情愛は十分にあること、3歳以降になって子どもが親の言うことに従わなくなって「どうすればいいか困ってしまう」状況にあることを確認しました。

 そこで、子どもの活動ニーズは「遊び」を柱とする親子の触れ合いであると判断し、子どものニーズに即した遊びを暮らしの中で充実するために、学生ボランティアによる支援を週2~3日の割合で入れるプランをご夫婦に説明して共有し、実施することにしました。

 ご夫婦が子どものニーズを適切に見極めることが難しい場面で、学生が支援を行い、ご夫婦に状況を説明しながら、子どもの遊び活動を組織しつつ、親子の関係に橋渡ししていくのです。

 このようにすることによって、子どもと両親との信頼感が深まり、食事や入浴などの生活と団らんの場面でも、柔和な時間帯が増えました。当時、お子さんは入浴中にお母さんに「コアラ抱っこ」してもらう(お湯の中なので、ある程度体重が重くなった子どもでも、浮力が作用して抱っこできる)ことを毎日の楽しみにしていました。

 小学校入学以降は、遊びに係わる支援だけでなく、学生ボランティアには学習支援の役割も加えることにしました。そうして、小学校3~4年生までの子育て支援は順調に運び、喜怒哀楽に彩られるこのご家族は、安定した暮らしを続けることができました。

 子どもが小学校の高学年を迎え、また新たな支援課題が浮上しました。子どもの知的能力が親のそれを上回るステージに入ったため、親子の日常生活世界とコミュニケーションの中で信頼関係を維持・発展させることの難しさが出てくるようになったのです。

 ただ、明治5(1872)年の学制頒布以降、近代的な学校教育を受けていない親の下で、子どもたちは学校教育を通じた学習を積み重ねて成長と発達を遂げていく時代にも、子どもが親の能力を上回る事態は広範囲に発生していたと考えることができます。

 私自身の生い立ちにおいても、前思春期(小学校5年生頃)以降は経済的な生活基盤の問題を除けば、自身の成長・発達に係わるニーズに両親が応えたことは基本的にありません。両親は大学出ではなく、人間と社会に係わる価値観や、大学進学とそれ以降の進路について両親から学ぶことは実質的になかったと言っていいでしょう。

 すると、知的障害がある親であることに特別の問題があると決めつけることは間違いです。知的障害のある両親の下でも子どもの自立向けた成長と発達を展望することは可能であると考えていました。

 つまり、子どもが9~10歳にある発達の質的転換期を越え、抽象的な論理操作の力を獲得するようになった子どもの力を基盤にして、知的障害のある親の限界を乗りこえて自分の未来を切り拓くことのできる社会的条件(自立に向けた経済的支援・多彩な対人支援など)を整えることができればいいのです。

 このご家族はお父さんの病死とお母さんの入院が重なり、中学校を目前にした子どもは児童養護施設に入ることになりました。この親子の子育てに係わる私の関与は、ここまででした。それでも、この親子の子育てが放つ光は子どもの幸を紡いでいたと実感しました。

 現代の家族は、代々続くイエ制度から離脱し、子育ての営まれる期間に限られた一過性を持つようになりました。そこで、現代の子育ては「子別れの練習」だという考え方を汐見稔幸さんは紹介しています(https://www.nhk.or.jp/sukusuku/p2018/756.html)。

 民衆の生活世界において、親のできることは物質的にも精神的にも限られています。この現実を「親ガチャ」に帰結させるのでなく、親の出自や障害のあるなしにかかわらず、子どもそれぞれの可能性を最大限に拓く「社会全体での子育て」を実現することが求められているのです。

 保護観察官の経験から「親になる」ことを論じる青木信人さんも、一人一人の子どもにふさわしい道を見出すことに「子育ての基本」があり、そのためには「親だけに負担をかけるのではなく、学校や地域社会を含めた私たちの社会全体で子育てを支援していく態勢がぜひとも必要」だと指摘しています(青木信人著『「親になる」ということ』、35-36頁、青弓社、2002年)。

 このような子育ての展望をすべての国民が共有できるようになる政策こそ、「異次元の少子化対策」といえるのです。

さまざまな親子

 親は子どもに願いを託しがちです。しかし、子どもは親の期待や願いとは違う道に進むこともあるのが普通です。多くの学生の実態を通じて、そのような親子のすれ違いが山のようにあることを知ってきました。子どもなりの生き方を「信じること」にも親の務めはあるのです。

 しかし、すべての子どもたちがそれぞれにふさわしい自立を実現できるような社会的条件整備の拡充がなければ、親が子どもたちを安心して「信じること」のできることが難しくなり、親の子に対する「毒親」的強迫性を強めていくだけでしょう。

 知的障害のある夫婦の出産を容認することのできない某社会福祉法人の理事長は、家父長制的な「毒親」的偽善のかたまりではないでしょうか。