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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

熱意と愛情、直感と経験則


 今日の障害者支援施設の利用者には、自閉症スペクトラム(ASD)と知的障害を併せもつ方が大勢います。障害者虐待防止法が施行される以前、私は「障害者支援施設の支援者がASDのことを知らないなんてことはある訳がない」と勝手に思い込んでいました。

 これまで、障害者支援施設に足を運ぶときや利用者・家族と直接コンタクトをとる機会に、当事者の許可を得て、個別支援計画に目を通す経験を重ねてきました。まことに残念なことですが、その9割以上は、意味のある内容を記載していると言えません。

 手短に言えば、法的に必要な手続きとして、障害者総合支援法のサービスの種類を特定することだけは明記しているものの、個別支援の内容については無意味な作文が綴られているだけです。

 「どうして個別支援計画にこのようなことが記載されているのか」という疑問が溢れるように出てきます。個別支援計画の内容を裏打ちする根拠は、どこにも記載されていません。アセスメントの実態は不明だし、利用者本人からニーズや希望をヒアリングした形跡もない。ASDのある利用者であるにも拘らず、知覚過敏の特徴や嫌悪刺激についても全く記載がありません。

 そこで、私は二つの調査を試みました。

 一つは、虐待の発生した施設の検証活動や研修にあたり、その施設の職員を対象にしたヒアリング調査の中で、「自閉症スペクトラムについて説明してください」と「知的障害について説明してください」という項目を設定してみたのです。

 もう一つは、個別支援計画の実態について、障害者支援施設の利用者とその家族を対象に質問紙調査を実施しました。

 前者のASDと知的障害についての説明ができるかどうかのヒアリング結果は、間違いのない説明のできた施設職員の割合が、知的障害について10%程度、自閉症スペクトラムについては5%未満でした。

 ある施設では、管理者が全滅で、だれも説明できないのです。知的障害については高い割合で正答してくるだろうという予測も、見事に外れました。福祉関係の有資格者であるかどうかも全く無関係でした。

 このヒアリング調査の結果から、遡及的に確認できたことは、ASDと知的障害をちゃんと説明できた職員は、その施設の中で的確な支援のできる数少ない支援者だという事実でした。

 もう一つの個別支援計画に関する調査については、拙著の「施設利用に伴うサービス利用契約と個別支援計画に関する実態調査報告」(一般社団法人全国知的障害者施設家族会連合会編著『地域共生ホーム』、196-246頁、中央法規出版、2019年)で明らかにしています。その調査結果の一端は次のようです。

 一つは、「個別支援計画の取り組みそのものに懐疑的または否定的な見解」が利用者サイドに多く確認されました。「同じ内容を繰り返しているだけ」という指摘がたくさんありました。サービス管理責任者の研修で耳にタコができるほど聞いているはずの「PDCAサイクル」を当たり前の実務にしている施設は殆どないという実態を明らかにしています。

 もう一つは、個別支援計画の作成と更新について、利用者と家族の意見表明の機会を軽んじたまま、「自動更新」や「郵送による同意・捺印」による形式的セレモニーにしている問題点です。利用者と家族には施設に対する要望や不満が山のようにあるにも拘らず、個別支援計画に反映するシステムは機能していません。

 さらに、医療的ケアなどの連携支援の必要な課題のある利用者の個別支援計画で、連携の在り方を具体的に記載することもほとんどありません。

 詳細については、前掲書をお読みいただくとして、個別支援計画の現状は、利用者のサービス種類を特定すること以外にはほとんど有意義な役割を果たしていないと言い切っていいでしょう。

 障害特性のことを知らない職員がいて、個別支援計画も形骸化しているとなると、日々の実践はどのようにして組み立てられてきたのでしょうか。

 重症度の高い複数の虐待事案の発生した施設の職員にヒアリング調査をした時のことです。ある施設長に私が「自閉症スペクトラムについて説明してください」とお尋ねすると、「そんなことはうちの施設の実践にとって大事なことではない。うちの職員は障害者が地域の人と共に生きる営みをいかに創造するのかが大切な課題なのだ」と血相を変えて返答しました。

 教育学部の特別支援教育コースに在籍する2年生の大学生でも簡単に答えることのできる、自閉症スペクトラムや知的障害の説明がまったくできないだけでなく、この奇妙な論点のすり替えが何に由来するのか、私にはにわかには理解できませんでした。

 ここには、思いのほか根深い歴史的な背景事情があるように思います。

 1979年養護学校義務制と自治体による乳幼児健診が実施されるようになり、障害の早期発見・早期療育を含む子ども期の発達支援の社会的な取り組みは拡充し、その成果には大きなものがありました。

 その一方では、学校卒業後に成年期の障害福祉の領域に進む人たちは、子ども期の支援を経た上で、知的障害の程度が以前よりもはるかに重く、自閉症スペクトラムを併せもつ人の割合が著しく高くなりました。

 1980~1990年代の間に障害者施設の現場で盛んに指摘されるようになった「重度化・重複化」の内実は、知的障害が以前よりかなり重く、自閉症スペクトラムや肢体不自由・視覚障害・聴覚障害を併せもつ人たちのことでした。

 この中で、当時、様々な業界団体の集会で支援がうまく進まないともっとも指摘されていたのは知的障害に自閉症スペクトラムを併せもつ利用者の問題でした。

 では、この知的障害の重さに自閉症スペクトラムを併せもつ人たちの問題がかなり以前に指摘されていながら、どうして今日までの間にこの課題が克服されてこなかったのでしょう。ここには二つの問題が伏在しています。

 一つは、1979年養護学校義務制が実施される以前、障害福祉の領域は、児童と成人の施設の両方で、比較的軽い子どもたちが主流を占めていました。現在であれば、特別支援教育を卒業してすぐに一般就労に羽ばたくことのできるような人たちが、福祉施設の利用者に多かったのです。もちろん、重度心身障害児施設(現在の医療型障害児支援施設)は別です。

 そこで、障害児施設や障害者支援施設の源流には、職員に熱意と愛情があればやっていくことのできる事実と支援文化があったのです。当時の施設職員の大半は専門的な教育を受けておらず、所々に力で押し切るような無理はあったにせよ、職員の熱意と愛情の範囲内にある支援のレベルである程度の成果を上げることができました。

 つまり、当時の支援を支えていたものは、支援に係わる直感と経験則です。ここに、何らかの思想や理念をイチジクの葉のように、法人や施設の冠にくっつけているところが目立ちます。

 専門性のイロハにあたる知的障害と自閉症スペクトラムの障害特性については説明できなかった施設長が、「地域の人たちとともに生きる思想」を持ち出して、直感と経験則に依拠しているだけの実践を構想しようとすることには、このような背景があるのです。

 ところが、知的障害の重さと自閉症スペクトラムを併せもつ利用者が増加する1990年代に入ると、熱意と愛情を貫きながら、直感と経験則に依拠する支援はまったく通用しません。客観的には、障害特性と支援に係わる専門的な知見とスキルが必要になっていました。

 ところが、専門性の向上を阻むもう一つの壁がありました。

 自閉症スペクトラムや発達障害に係わる障害特性と支援のあり方についての研究は、21世紀に入って急速に進みます。この事実を裏返すと、20世紀の間に大学や専門学校で学んだ自閉症スペクトラムにかかわる知見は、とっくに陳腐化していることになります。実際、私が大学時代に学んだ自閉症スペクトラムに関する知見は、今やガラクタだといっていい。

 現在の施設で幹部職員をしている人たちの多くは、20世紀に障害福祉を学んでいます。その人たちが、21世紀に急速に発展する研究とそれに基づく支援の専門性について、意識的に研鑽を積んでいない限り、現代では素人と同然です。

 そもそも、福祉系の大学や専門学校のカリキュラムは、資格制度との関係で相談援助技術と介護スキルのいずれかが中心になっています。障害特性と支援スキルを学ぶ内容が充実しているような学校はあってもごく少数でしょう(実は、私はそのようなカリキュラムを設定している大学や専門学校を一つも知りません)。

 一方では、利用者の支援ニーズの高度化が進行し、他方では、職員の専門性の向上が進まないという支援現場の跛行的な状態の中で、さまざまな問題が噴出しました。次回に続きます。

9月11日中秋の名月

 以前のブログでは、ピンクムーンの画像をお届けしたことがあります。今回の月は、中秋の名月が満月と重なる珍しい画像です(いささかマニアックな感想ですが、同じ満月でも月の画像は異なります)。今年の夏は、空梅雨と猛暑から一転して集中豪雨の被害が各地に発生し、とても穏やかな季節とはいえませんでした。中秋の名月を眺めながら、秋以降の季節の移ろいが穏やかに進む事を願わずにはいられませんでした。