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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

現行制度の前提条件は破綻している

 先の「こどもの日」に総務省は、今年4月1日時点のわが国における子ども人口を発表しました。子ども総数は1,493万人で、昨年より19万人減少し、1982年から40年連続の減少を続けていることを明らかにしました。

 この背景には、「保育所落ちた日本死ね」と親が叫んでしまうような子育て支援策の貧困だけでなく、非婚化の進行が指摘されてきました。

 1980年の生涯未婚率は、男性2.6%、女性4.5%でしたが、2020年には男性26.0%、女性17.4%に上っています。この間、生涯未婚率が急増してきた最大の要因は、非正規雇用の増大に伴う稼働収入の減少と雇用の不安定化が、結婚して家族の形成を見通すことのできない人たちを増大させてきたことにあります。

 国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」は生涯未婚率が今後も増加していくことを予測しています(http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Mainmenu.asp)。

 すると、家事・育児・介護等の負担の多くを家族に依存する日本型福祉社会論は、この間の子ども人口の著しい減少を直視するだけで、すでに根底から破綻していることが分かります。家族がそもそも形成できない事態に陥っているのですから。

 現行の多くの制度的支援サービスを支援現場の実態から評価すると、支援サービスの利用者の家族に経済力・支援力がある程度期待できる社会階層は何とか支えることができるというところに限界があると言われています。

 落合恵美子さんによれば、専業主婦のいる家族が家事・育児・介護等のニーズに対応可能であったのは1960~1970年代の限られた期間に過ぎませんし、この時期においても福祉・介護ニーズに対応する戦力は専業主婦だけではなく、「親族・家族ネットワーク」の総体にありました。

 簡単に言えば、専業主婦のいる核家族をとりまく親族ネットワークによる支援力が、家事・育児・介護等のニーズに対応していたということになります。それは「日本の文化的特質」ではなく、人口構造の転換と都市化の進展するプロセスの、限られた時期にみられた過渡的な状態に過ぎなかったのです。

 1980年代以降の家族は、親族ネットワークが「親のみ」に限定されるようになり、「『日本型福祉社会』はもはや実現不可能な幻想でしかない」(落合恵美子著『近代家族の曲がり角』、角川学芸出版、2000年)状態になりました。

 しかし、ここで疑問が起きるのです。

 統計数理研究所「日本人の国民性調査」は、「あなたにとって一番大切と思うものは何ですか。一つだけあげてください」の問いに「家族」と回答する者が最多であることを明らかにしています(https://www.ism.ac.jp/kokuminsei/table/index.html)。

 「家族」以外の選択肢には、「生命・健康・自分」、「子供」、「家・先祖」、「金・財産」、「愛情・精神」、「仕事・信用」、「国家・社会」、「その他」があり、家族を選択する回答率は1953年の19%から2013年44%へと増加し続けてきました。

 社会保障・社会福祉による生活の底支えが貧しい下で、わが国の民法が長年にわたり、生活を支える「含み資産」として家族を位置づけてきたことの残照があるとしても、この統計データに表される家族への期待の背景に何があるのかは明確ではありません。

 生涯未婚率が増大する現実を前に、家族形成に対する「見果てぬ夢」としての幻想的期待が逆説的に膨らんでいるのか、「8050問題」にみられるように「親の年金・預貯金・不動産」へのパラサイトの期待から「大切なものとしての家族」を選択するようになっているのか。

 この点について、家族形成ができない「6030~9060」世帯や、結婚しても夫婦・親子の関係が破たんして虐待ケースに接近してしまう家族に対する社会的排除とセットにして、「家族を感動ポルノの対象とする」エピソード作りやイベントが盛んに追求されているところに深刻な事態の全貌あるように思えてなりません。

 高齢者や障害のある人の介護・養護の営みに係わって「家族の美談」を取り上げる一方で、不適切な養護や虐待に関与する家族のケースはアンタッチャブルに押しやられて表だって語られることはない。

 とくに、障害者支援施設のほとんどの開設は、専業主婦と親族・家族ネットワークが生きていた20世紀に進められた取り組みの所産ですから、障害者施設をめぐる「家族の美談」「家族と施設関係者が一丸となって施設を作る」話だけが、山のように出てきます。

 しかし、そのように家族が機能する時代はとっくに去って、若い親・親族の多くは組織化されていないにも拘らず、今日でも20世紀に開設された障害者支援施設の運営では20世紀型の家族組織と一体となった仕組みや方針を続けているところが多いのではありませんか。

 この現実は、制度的支援サービスそのものが、家族機能の縮減と解体にほとんど対応しなくなっていると同時に、新しい福祉サービスを創出する処方箋を支援現場が編み出しきれていないことを指し示すものだと思います。

 すると、虐待対応支援を除く通常の支援サービスの範囲内では、20世紀型の日本型福祉社会論の枠組みの下で、未だに「感動ポルノの対象としての家族」を『鶴瓶の家族に乾杯』よろしく時代錯誤に持ち上げ続けていることになります。家族幻想の下で、制度サービスの届いていない現実を支援現場ははっきりと見据えるべきです。

4月27日のピンクムーン

 さて、先月末のピンクムーンの画像です。太陽光を垂直に受けて地球に反射する満月の写真は、クレーターの陰影が乏しく「のっぺらぼう」に写ります。しかし、私の高校時代はこの程度の満月の写真を撮影するのも容易ではなく、大掛かりな機材が必要でした。時代は大きく変わるのです。