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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

賛成できません

 この2月9日、国土交通省は「多機能トイレ」の呼称を廃止し、「高齢者障害者等用便房(バリアフリートイレ)」に変える方針を明らかにしました。

 「多機能トイレ」を「誰でもトイレ」「みんなのトイレ」と呼称することが広がることによって、「必要な人が使えない」事態が発生していることへの対応に目的があるようです。

 この方針は、2020年改正の「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー新法)」に即し、「一般の人」の多機能トイレの利用を控えさせ、「高齢者障害者等用トイレ」としての利用限定に持っていこうとするものです。

 この方針に私は疑問を抱きます。「多機能トイレ」や「誰でもトイレ」という呼称にするようになった経緯にある歴史的教訓を十分に踏まえているとは思えないからです。

 以前、「身体障害者用トイレ」という看板を掲げていた時代がありました。建物の用途によっては、身体障害のある人の使う頻度が少ないために、下の画像のように物置にされてしまう事例が山のようにありました。

「障害者用トイレ」は物置

 物置にされていない場合でも、「身体障害者用トイレ」の多くは温水洗浄や自動洗浄の機能を使うための電源を切ったままにしてありました。私が点検を試みたある建物では、1階以外の「障害用トイレ」のすべてで電源が切られていました。

 残念ながら、今日でもこのようなケースに出くわすことがあります。バリアフリー設備の利用を一部の人たちに限定することによって、多くの人たちの当事者性を喪失させてしまうことが、バリアフリーへの無関心と施設管理のいい加減さや無頓着を産出してしまうのです。

 以前、川越駅の高架歩道橋から地上と地下駐車場につながるエレベーターを「障害者専用」にしていた時代がありました。あるとき、車いすを使用する女性がエレベーターを使うところでアクシデントが置きました。

 通りすがりの人がエレベーターのボタンを押し、車いすの女性をエレベーターの中に入れたのです。親切心からの行為だったと思いますが、「障害者専用」なので自身はエレベーターの中に入らず、扉が閉まると立ち去ってしまいました。

 ところが、車いすの女性はエレベーターの行先ボタンや扉の開閉ボタンを押すことができない方だったのです。エレベーターの中に丸一日閉じ込められたままのところを、次の利用者として現れた身体障害のある人に発見されたという事件でした。施設設備の利用を一部の人に限定することの弊害を端的に示す事例です。

 これらの例はいささか旧聞に属するとしても、使用者を限定する向きを設けることに弊害があることは歴史的な教訓であったはずです。

 バリアフリー新法にもとづいて、エレベーターや「多機能トイレ」の駅への設置が進められてきました。ところが、首都圏の駅でエレベーターを利用しようとする人が扉の前にあふれて待機していることは当たり前の光景になっています。

 利用者の中には、一見「障害者とは思えない人」もたくさんいます。Covid-19以前なら、海外旅行に行くのか、日本で爆買いした商品を詰め込んだのか、大型のキャリーバッグを使う人たちが駅のエレベーターを占拠して使用する光景をよく目にしました。

 ここには様々な問題点があります。

 まず、「障害者」をビジブルな状態像に限定して「障害者とは思えない人」が使っていると決めつけてしまうのはいかがなものでしょうか。バリアフリーの考え方は、福祉法上の高齢者や障害者だけでなく、妊婦や病人、体調を崩している人、ベビーカーを使う親子などを含めて「誰もが使いやすい」ことに核心があります。

 ここで課題をひとまず物理的障壁に絞るとすれば、段差や上下移動にある障壁や排泄・整容ニーズに係わる困難を施設設備の設計の力によって乗りこえることに課題の焦点があります(設計だけでなく施工と管理の問題も重要ですが、ここでは脇に置きます)。

 すると、バリアフリーが進展すればするほど、多くの人にとっての使い勝手がよくなるわけですから、バリアフリーを満たしている施設設備の利用が増えてしまうことは当たり前だし、それは望ましいといっていい。

 私自身も右足の膝を痛めたときに、駅のエレベーターを使いましたし、湿布薬の交換のために「誰でもトイレ」を使いました。このような使用は正当です。

 しかしここで、「高齢者、障害者等」にある「等」をつけて、この時のような私の利用を排除している訳ではないというアリバイを設けながら、実は「一見障害者とは思えない人」の利用を排除または制約するような傾きを設けることは、手の込んだ社会的排除の一種であり、間違っています。

 次に、量的拡充の整備課題を指摘しなければなりません。既存の施設設備に障壁が多いことから、駅のエレベーターや「多機能トイレ」の利用が拡大してきたのです。そこで、バリアフリー設備にかかわる需要の増大に対応して、施設設備の量的拡充を図るほかないのですが、この課題の重要性を十分に受け止めているとは思えないのです。

 量的拡充を追求してきた好例は、高速道路のSAの多機能トイレの整備にあります。男女に分かれたブースの中にも多機能トイレを増設するとともに、男女とは別の独立したブースはフルセットの多機能トイレに改良し、機能の分担と拡充がともに進められてきました。

 それに対して、駅と商業施設の多機能トイレは、それぞれの施設の利用者数に対してあまりにも数が少ない。簡単に言えば、障害のあるなしにかかわらず、また、多機能トイレか普通のトイレであるかにかかわらず、「用が足せない」ことは日常的に経験することです。

 このような状態を「必要な人が障害者用トイレを使えなくなっている」問題にすり替えるのは、「自助」を原則として「真に支援を必要とする人にだけ社会的手立てを用意する」という分断の発想です。

 高齢者の割合が増大し、障害のある人たちの社会への参画も以前よりはるかに進んできましたから、外出先で高齢者と障害のある人たちがバリアフリーの施設設備を利用する機会そのものは相当増大したはずです。このような事情からみても、量的な整備拡充の課題は避けて通ることはできないでしょう。

 エレベーターや多機能トイレの設置には、多額の予算が必要ですから、一挙に量的拡充を図ることは難しいとは思います。しかし、人々の間に従来設けてきた「忌まわしい垣根」をなくし、障害のあるなしにかかわらず誰もが暮らしやすい社会制作を進めて行くところに、バリアフリーやユニバーサル・デザインのスピリットがあることを改めて確認しておきたいと考えます。

 「高齢者障害者等用トイレ」への名称変更に、私は賛成できません。

農家さんの梅花

 今、農家の敷地に目を向けると、梅の花が満開であることに気づきました。ほとんどの農家さんが母屋の近くに、梅の木を数本植えています。自前の梅干しを毎年漬けてきたのでしょう。

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