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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

就学前に里親へ75%目標

 7月31日、厚生労働省は、児童虐待などで親元で暮らせない子どもの受け皿について、就学前の子どもの75%以上、就学後の50%以上を里親に担ってもらう新たな目標を公表しました。

 この目標は、この日に開催された社会的養護の新しいあり方を議論する有識者検討会に示したとあります(7月31日朝日新聞夕刊)。この検討会を傍聴した人の感想を伺うと、どうみても唐突な感は否めなかったと言います。

 遅ればせながらの感が否めないとはいえ、施設養護に偏重してきた社会的養護の里親へのシフトに、異論は全くありません。子どもの乳幼児期は特に、特定の大人とのアタッチメントの形成がとても大切ですから、十分な条件と資質のある里親の下で育つことの方がいいのは当然です。

 この施策の今後については、多くの方々に注目し続けていただきたいと考えます。社会的養護の里親への転換には、里親の募集・研修・支援のすべてにこれまで以上の財政支出が必要だからです。

 社会的養護の施設から里親への転換は、ヨーロッパでは1970~80年代にかけて行われました。ただし、里親への社会的養護の転換が、子どもたちにとってすぐさま家庭的環境の保障につながったわけではありません。当初は里親の虐待が大問題となってしまったのです。養護施設はなくしてしまいましたから、里親の研修と支援の充実への手直しにはかなりの労力と時間を要しました。

 里親関連支援事業を4つの自治体から受託しているNPO法人キーアセットの渡邊守代表は、この時代には「8年間で養育里親が60回以上変わった少女がいた」事例のあったことを明らかにしています(http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/03/foster-parents-key-assets-_n_10287830.html)。

 わが国の里親の現状は、以前と比べると質的に改善しつつある面もあるようです。子どもがいないために、将来の養子縁組の対象を探すチャンネルとして里親を利用しているのではなく、子どもを育むこと自体に社会的なやりがいと責任を感じて養育里親をする方も増えてきたと言います。

 福祉行政報告例でみると、わが国の里親の実態は次のように推移してきました。

 1955年1985年2014年
登録里親数16,200人8,659人9,949人
委託里親数8,287人2,627人3,644人
委託児童数9,111人3,322人4,741人

 2014年は、ファミリホームも含めると5,903人の児童数となりますが、登録里親数と委託児童数の両方でかつてより縮小しているうえに、登録里親の中で実際に養育里親となっている方の割合は、必ずしも高くないのです。

 登録里親の中で実際に里親を委託されている割合が高くない原因の一つは、児童虐待にあります。虐待に遭遇した子どもたちの多くは、密度の高いケアが必要です。たとえば、愛着障害のある子どもの里親をするには、里親に専門性をつけるための研修と里親への支援を欠かすことができません。

 虐待児童の施設入所を停止して里親委託を原則とする場合、里親支援のための労力と時間は膨大なものとなるでしょう。いささか形式的ですが、事態は次のようです。

 虐待児童を乳児院や児童養護施設に措置した場合、その後の子どもたちのアフターケアについては、児童相談所や福祉事務所のワーカーは児童福祉施設としての基準を守り組織的な支援経験の蓄積を信頼して見守ることとなります。

 しかし、これが里親となると事態は一変するのです。子どもたちが、それぞれの里親に分散して、特定の里親と子どもとの相性を含む養育関係の形成に、個別的な支援を実行しなければなりません。委託した初期段階はこのことが必要不可欠であり、この点を軽視していると、かつてヨーロッパで起きたように里親の下での不適切な養育が新たな社会問題となってしまうのです。

 乳児院や児童養護施設へのアフターケアとの対比でいうと、里親への支援は数十倍の労力と時間が必要となるはずです。増加し続ける虐待対応に児童相談所や福祉事務所のワーカーの手が奪われる一方で、里親支援のための専門要員をさらに確保することになるというのですから、子ども虐待と児童の社会的養護に配置する人員の大幅な拡充を回避することはできないでしょう。

 「虐待児らの施設入所停止」という画期的な目標を公表したのですから、里親の募集・研修・支援には財政支出を伴う実効的な施策の拡充があるものと期待しています。

わが国の電車の出入り口―内側では広告が

 さて、「見通しを欠く」事態には、誰しも苛立ちを覚えるものです。社会保障制度の手直しが実行されましたが、国民の生活基盤としての社会保障制度の変更は、それぞれの人生の見通しを狂わしてしまう点で罪深い施策です。

 この3月に台湾を旅行したとき、台北の地下鉄車内のすっきりした光景に驚いた記憶があります。車内に一切の広告はなく、乗客が車内でお化粧やペットボトル飲料を飲むという光景を一度たりとも見ることはありませんでした。

 それらに比べて、日本の公共交通機関で最も腹立たしく品性がないと感じるのは、ガラスに張り付けた広告です。出入り口のガラスの、ちょうど人の目線の高さに合わせて真ん中の視界を遮るように、見たくもない広告が張られています。

 ガラスにしておいて、視界を遮る広告を張り付けるのであれば、もともとガラスにしておく必要はありません。車窓を眺められるためにガラスにしているのに、眺望を剥奪した上で、広告が強制的に視界に入るようにしています。目障りで強迫的な広告-広告による心理的虐待といっていい。

 ガラスに目障りな広告を張り付けた商品やサービスについては、個人的には不買運動を決意する習慣を身に着けるようになりました。ときとして、日本の社会保障制度はガラスに張り付けられた目障りな広告のようにさえ見えてくることがあります。

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