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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

ちぐはぐな復興事業を乗りこえよう

 陸前高田のかさ上げ工事で有名になった巨大なベルトコンベアーの画像です。近くの山から直接かさ上げの現場に土砂を運んでいます。この画の下方に移る木の株は、国の名勝だった高田松原の松の遺構です。

陸前高田のベルトコンベアー

 かさ上げ工事に道路のインフラ整備と、被災者の住まいと雇用の復興には大きなギャップがあります。住民の立場からすると、毎日の暮らしと職業の復興が最優先課題となることは当たり前です。日々の生活は「今ここで」の連続であり、この営みに安心を取り戻そうとする目標を最優先にすることは、生活者としての健全さを表すものともいえるでしょう。

被災した雇用促進住宅-災害遺構として保存される

 かさ上げ工事にかかる7年間を被災者の暮らしは待つことができません。ここに大きな間隙があることは明白なのですから、被災地の安心と子どもから障害のある人・高齢者までのすべての人たちの健康で文化的な暮らしを、当面の間どのような具体的な手立てによって担保するのかを提示することにこそ、政治と行政の責任があるのではないのでしょうか。7年後の復興ではなく、「今ここで」の暮らしに対する政治と行政の責任です。

 現地を訪れる前に、木下繁喜著『東日本大震災 被災と復興と-岩手県気仙地域からの報告』(2015年、はる書房)を読みました。木下さんは、東日本大震災が起きた当時、大船渡市にある東海新報社という地元新聞社に勤めていた記者で、家や家財道具は丸ごと津波に流された被災者です。この本は、現地のあまりにもちぐはぐな復興の現実を住民の立場から詳しく明らかにしています。多くの皆さんに、一読を強くおすすめします。

 木下さんの書が明らかにする問題の一端には、次のようなものがあります。

 自治体の土地区画整理事業は、すべてを津波で失った被災者に追い打ちをかけているという現実です。家や家財道具・自家用車等をすべて津波に持って行かれたのですから、生活再建の原資として残っているのは土地だけです。この土地のかさ上げには区画整理事業を活用するしかないという行政の考えが、かさ上げ工事に時間をかけて復興の足取りを遅らせ、地権者には減歩(一部を行政に取り上げられる)を強いていると指摘します(同書20-45頁)。

 土地区画整理事業の問題は、阪神淡路大震災の長田区の復興事業においても大きな問題があると指摘されました。過去の復興事業の教訓が顧みられないまま、同じような困難を被災住民に強いているのです(52-54頁、228-249頁)。

 また、大船渡市では「人の住まない場所に商店街」を復興計画で構想する問題も指摘されています(45-50頁)。2011年12月にオープンした仮設商店街「おおふなと夢商店街」は、当初、被災地を訪れるツアー客もあってにぎわう時期もありましたが、「その後は閑散とした状態が続いて」おり、同時期にできた仮設飲食店街「大船渡屋台村」も、最初の年はにぎわいましたが、「その後はお客さんは減りました」と。

高田松原に近い道の駅-かつては賑わっていた

 このような仮設の商店街や飲食店街の店主は今でも経営が苦しい上に、復興計画にいう最終的な商店街の構想は「人の住まない場所」に設定されるというのですから、たまったものではありません。

 ところが、この最初の仮設商店街や仮設飲食店街のにぎわう時期は、マスコミがいかにも復興に向けた地域の運びがあるかのように画像を流して盛んに報道しますが、客が減ったところはほとんど取り上げません。現地では、「最初からストーリーを作ってきて、自分たちが取材したいことだけを取材して帰っていく」というマスコミへの不信感を募らせていると指摘します(220頁)。

 私が今回現地を訪れた時期は、この3.11の直前でした。木下さんの本を読んで現地を訪ねてみると、復興の現状にみえるちぐはぐな問題点を肌で感じることができるのです。ところが、埼玉に戻って4回目の3.11のテレビ報道には、率直に言って、失望を禁じることができなかったのです。大船渡や陸前高田を取り上げた在京の取材者やディレクターの中に、現地の記者である木下さんの著した本に目を通した人がどれだけいるのでしょう?

 陸前高田の商店街の復興を取り上げたテレビ番組の中で、私が現地で伺った決定的な問題点を指摘したものは皆無でした。それは、商店主たちが何とか商店街を復興させようと必死に努力している最中に、大手チェーンストアが進出してほとんどの商機を取ってしまった問題です。

 地方部に巨大なショッピングモールが進出して、地元の商店街が全滅するという古い型の地域振興策の誤りは、これまでに十分すぎるほど明らかにされ指摘されてきた問題ではないでしょうか。自治体は雇用を産むと主張するかもしれませんが、人口が急速に縮減している地域ですから、この地域の公共事業が終了し、残された住民の高齢化に由来する地域の購買力の減少がある地点に達したところで、東京にある本社はこの地域からの撤退を決めることは間違いありません。

 政治と行政に十分な責任の所在があるのでもなく、住民の参画による復興の枠組みがあるわけでもない。政治・行政と地域住民の願いがちぐはぐなまま、被災者の暮らしの復興はなかなか進まず、インフラ整備だけが進められていく。東日本大震災の当日、すべての人たちが津波や福島第一原発重大事故の映像に釘付けになったように、私たちはもう一度、被災地の現実に目を見張り、復興の歩みをともにする必要があるのだと考えます。

 木下さんの本の最後に、神戸市長田区の「大正筋商店街振興組合伊藤正和理事長に震災復興を聞く」という特別インタビューが掲載されています。ここで、木下さんの「長田の現状は思っていた以上に厳しいようですが」という問いかけに対して、つぎのような言葉が出てきます。

「東北は今、4年目ですよね。僕らは20年経って今、死にかけてるんですからね。もう、笑顔ないですもん。」

神戸とつながった「希望の灯り」-大槌町

 阪神淡路大震災から10年ほど経ったとき、神戸の街をくまなく歩いたことがありました。復興の真新しい姿を見せる表通りではなく、裏道を中心に歩いてみると、ところどころにブルーシートのかかっている家屋を発見することがありました。雲仙普賢岳の噴火から10年近く経過したときにも同じように、島原の街を歩き回ってみると、以前とは比べものにならない立派な道路がまぶしく整備されているにも拘らず、やはりブルーシートに屋根をおおわれたままの家屋が残っていました。

 わが国でこれまでに取り組まれた復興事業そのものに、捨てられた地域・被災者と生き残ることのできた地域・被災者の選別が生じてきた根本問題があるのではないでしょうか。この問題を正視して教訓にすることなく東日本大震災が発生した。そして、同じ問題が繰り返されている気がしてならないのです。すべて自治体の首長・議員はむろん、すべての自治体職員の皆さんは、この木下さんの本を読んだ上で、自分たちの防災計画にどれほどのリアリティがあるのかを今一度熟考していただきたいと願っています。