メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

福祉をめぐるルサンチマン


 新自由主義に基づく福祉・介護の市場化(前回ブログ参照)が進み、社会福祉の領域本来の「健康で文化的な」価値とこの価値を実現するための仕事で働く魅力を引き下げてきた現実の背後には、「ルサンチマン」の問題があります。

 「新自由主義」は政府の力を組織的に利用することによって、「市場からの要請を強制する」ことを善とするイデオロギーであり、様々な領域において財やサービスの売買を基調とする市場メカニズムを導入する政策を推し進めます。実は、この新自由主義の進展にルサンチマンが絡んでいるのではないか。

これからしばらくの間、このブログでは福祉とルサンチマンをめぐる問題について取り上げたいと思います。いささか未分化な考察に留まる点もあるのですが、皆さんへの問題提起をしておく必要があると考え続けてきました。

 まず、ルサンチマンについて解説しておきましょう(森岡清美他編『新社会学辞典』、1492頁、1993年、有斐閣)。

 「復讐衝動、憎悪、嫉妬などの情動と自己の無力感や『不能』の意識が混ざり合って緊張している持続的な心的構えのこと。怨恨、遺恨と訳される。ルサンチマンは、強者に対する一定の情緒的な対応的反作用が繰り返し持ち越されて生き残り、弱者の人格の中心部にまで抑圧されることから形成される。」

 ルサンチマン論はニーチェに始まりますが、シェーラーは現代社会におけるルサンチマンの問題について考察しました。

 「シェーラーは、『未婚婦人』『姑』『僧侶』『没落していく職人層』『小市民層』『下級官吏層』などが彼らの社会的位置や境位からルサンチマンの担い手になりやすいことを社会学的に解明している。」

 「形式的には社会的に平等でありながら、事実上は権力、所有その他の生活チャンスに大きな格差がみられる現代の産業社会においては、『ルサンチマンの負荷』(シェーラー)は大きく、社会の内部に精神のデカダンス(退廃的精神‐宗澤注)が伏在しているといえよう。」

 この解説にある「ルサンチマンの負荷」は、1990年代以降のわが国における復古主義的ナショナリズムと新自由主義を支持する意識の広がりに結びついているのではないかという重要な指摘があります(沼尻了俊他著「公的主体に対するルサンチマンが新自由主義支持意識に及ぼす影響に関する実証的研究」、雑誌『実践政策学』第6巻2号、121-130頁、2020年、https://policy-practice.com/db/6_121.pdf、以下は、主にこの文献に依拠します)。

 これによると、わが国には公的主体(政治家、官僚、公務員等の政治と行政を構成する諸主体)に対するルサンチマン(否定的感情、怨嗟の念)が存在し、ポピュリズムがこれをテコにわが国の新自由主義化に向けた合意の調達を図ってきたのではないかといいます。

 高度経済成長を支えた官僚による開発主義的規制や、与党政治家による利益誘導政治に伴う構造的な汚職腐敗に対する国民の反発が、新自由主義に向けた合意の調達に用いられ、反国家主義、反官僚主義及び個人主義のイデオロギーを強化したとの指摘(渡辺治著「日本の新自由主義‐ハーヴェイ『新自由主義』に寄せて」、ハーヴェイ著(渡辺治監訳)『新自由主義‐その歴史的展開と現在』)、2007年、作品社)も同様の文脈で理解することができます。

 ルサンチマンを活用するポピュリズムの特徴は、次のようです。

1. ワンフレーズポリティクスを多用した善悪二項対立図式を強調する―例えば、郵政民営化に反対する議員を「抵抗勢力」として、「敵」と「味方」の構図を作り上げるなど
2. 既成のエリートや専門家集団を敵視する
3. 「普通の人」であることを強調する
4. 規制緩和・民営化などの「小さな政府」志向の新自由主義的政策を採用する

 既成のエリートや専門家集団、政治家、官僚は「敵」であり「悪」として括られ、「私たち普通の人」「素人」は身丈にあった者同士の「味方」であり「善」であるという構図をポピュリズムが作りだし、「小さな政府」に向かう諸政策を断行するのです。これらは既成のエリート・官僚・政治家(=公的主体)に対する怨恨を晴らすための「復讐」となる訳です。

 従来は、全国すべての地域を対象とする総合開発政策を展開し、産業政策の基本は「護送船団方式」を採用していました。それらは、小規模事業者をも巻き込んだ「草の根保守主義」が政治を支えていました。

 ところが、グローバリゼーションの進展はこのようなわが国の政策を行き詰らせ、地域・自治体、産業構造、教育・福祉・介護等のあらゆる領域における「選択と集中」を進めました。

 ここでは、「選択と集中」の対象からはずされてスクラップの憂き目にあう人たちが生み出されますから、政策を進める公的主体に対する疑念と反感は高まらざるを得ません。

 ここで、反官僚主義や政治家自身の「身を切る改革」という公的主体に対抗するイデオロギーを声高に叫ぶ政治家が登場し、従来の与党だけでは果たし得なかった民営化や規制緩和をさらに加速させ、公的主体に対する「復讐」を果たそうとする新しい型の「新自由主義連合」が形成されていきます。

 このような新自由主義化の流れの下で、障害福祉の関係者には自覚しきれていない盲点があるのではないでしょうか。障害のある人の多くは、福祉に係わる公的主体に対する否定的感情を持ち、ルサンチマンの担い手になりやすいという傾向的問題への無頓着です。

 支援者と障害のある人は「共に歩み、共に生きることができる」という命題をア・プリオリに前提にする、あるいはこのような確信を出発点にした支援の展開が当たり前のように成り立つと考える安易さはないのでしょうか。

 生活保護めぐる朝日訴訟や、児童扶養手当と障害福祉年金の併給禁止条項をめぐって争われた堀木訴訟、障害種別による著しい分断統治、生活支援とは無縁の障害等級表の問題など、障害のあるクライエントからみる福祉政策はまことに抑圧的で、裁判所が抑圧的な福祉行政にお墨付きを与える役割を果たすことさえしばしばありました。

 朝日訴訟の中では、日常的に血痰を吐く結核患者に必要十分な「ちり紙」さえ購入できないという低劣な生活保護支給基準の問題が明らかにされ、堀木訴訟では、障害のある父で構成する父子家庭には児童扶養手当と障害福祉年金が併給されるにもかかわらず、全盲の母である堀木文子さんは女性であるから併給が禁止されるという、法の下での平等に著しく反する制度の違憲性が問われました。

 これらの裁判はともに、最高裁判所が「行政の裁量権」を最大限に認める形で敗訴したのです。障害のある人たちが社会福祉に係わる公的主体に否定的感情を抱くことは、むしろ必然であると言ってもいいくらいです。

 しかし、戦後の一時期に例外的な時代が訪れました。1960年代末の美濃部革新都政による福祉行政の拡充にはじまり、国の1973年の福祉元年を経て、入所型の障害者施設や通所サービスの拡充が続いた1980年代の半ば辺りまでの間です。

 この間は、障害福祉のあらゆる領域において、公務員を含む支援者とクライエントの間に、公的主体のあり方をより良くしようとするある種の「共闘」が成立しました。この「共闘」を担保しうる社会福祉事業法第5条2項の「公的責任原理」が存在していたからです。

 ところが、21世紀に入り、日本型福祉社会論を基調とする社会福祉法は、公的責任原理を廃止しました。生活保護制度においては母子加算が一時廃止の憂き目に会い、老人加算は廃止され、介護サービスに係わる市町村は保険者として「銭勘定」を中心とする管理業務を遂行することが業務の柱となりました。

 今日では、保育所から介護保険施設、障害者関連の社会資源のすべてにおいて、虐待の発生とその隠蔽構造がいかに深刻な事態にあるのかが明らかになっています。神奈川県立中井やまゆり園のように、重症度の高い陰湿な虐待は公的な施設で明らかになるのです。

 さらに、市場化を進めた放課後デイサービスやグループホームで虐待の発生が顕著にみられるという事実は、障害のある人の人権擁護と新自由主義的政策が相容れない性格を持つことを証するところです。

 このようにみてくると、1970~80年代半ば辺りまでの福祉施策の拡充が、障害のあるクライエントに対するエンパワメントを広範囲にもたらした時代は、わが国の社会福祉の歴史において例外的だったといえるのではないでしょうか。

 この例外的な時代を除けば、わが国における障害福祉のクライエントは、福祉に係わる公的主体に対する怨嗟の念を抱く宿命を負わされ、ルサンチマンを複雑に重ねてこざるを得なかったという事実を正視する必要があります。

 しかし、障害福祉領域の支援者は、この例外的な時代を出発点とする(あるいは例外的な時代が「普通の時代」であると思い込んでいる)人たちが圧倒的です。そうして、ルサンチマンの介在に気づくことのできない多くの支援者がいるのです。

 以前にこのブログにも書きましたが、私はある精神障害のある人から、ルサンチマンの率直な吐露を受けたことがあります。

 私が福祉関係の大学に入学する直前に、統合失調症で長年入退院を繰り返し、親族からは縁切りされ、生活保護で暮らしを立てていた方から、「大学に行くのはやめてください」と懇願されました。

 発症して長年診てもらってきた自分の主治医は高級外車を乗り回している、生活保護の担当ワーカーは今や課長になっている、私と縁を切った京大出の兄貴は大銀行の部長に出世している。私は惨めな暮らしぶりが続いているというのに、大学出の医師やワーカー、そして兄貴はみんな出世している。

 支援者は私のような障害者を「飯の種」にしているだけで、私の幸せの実現に利する人たちではなかった。大学出というエリートや社会福祉の公的主体そのものに対する徹底的な否定的感情から、ルサンチマンを吐露しました。

 障害福祉のサービスと制度をより改善するためには、公的主体に積極的に働きかけてより肯定的なものとなるような不断の努力が求められる。しかし、公的主体の抑圧的な現実を変えるためには、障害のある個人の立場からは「千里の道も一歩から」と映る絶望感に襲われてしまう。

 そして、自分の幸福に利することのない公的主体=支援者と福祉制度に「復讐」しようとするルサンチマンが障害のある人を覆うところに帰結します。

 生活の質的向上と人権擁護に満ちた福祉サービスを実現してほしいという切実な願いは、強力な社会的抑圧が作用することによって、めくるめく日常的生活心情の中でルサンチマンに屈折させられるのです。公的主体に対する期待と否定的感情とのアンビバレンツな膠着状態の中で、無力感に晒されながら怨嗟の念に囚われる。

 障害福祉領域の現実の改善と変革のためには、ノーマライゼーションやソーシャル・インクルージョンを論じるだけでなく、貧しい障害福祉の現実とルサンチマンとの膠着からの解放を重要課題として受けとめる必要があるのではないでしょうか。

 「健康で文化的な生活ニーズ」がルサンチマンに屈折されてしまったところで何が起きるのか。地域や自治体における障害福祉施策の発展からわが国の障害福祉政策を再構築する展望を持つためには、この課題を避けて通ることはできないと考えます。(次回に続く)

田植えのシーズン

 私が小学生高学年の時、画像にあるような「田植え機」が開発され、ものすごく大きなニュースになった記憶があります。水田のぬかるみの中を、一直線に、一定間隔で苗を植えつけていく田植え作業だけは、機械化することが困難と言われ続けてきたからです。日本のメーカーがこの困難を克服して田植え機を完成させ、今や、世界の米作地域で活用されています。障害福祉をめぐる著しい困難も、克服できる道があるはずです。