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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「老人力」再考


 赤瀬川原平さんの『老人力』(1998年、筑摩書房)が上梓されたのは、介護保険法の施行(2000年)を目前に控えた時代でした。当時のベストセラーであるこの本は、様々な点でエポックメイキングでした。

 老人と老いに係わるネガティヴな捉え方の転換点を作っただけでなく、「〇〇力」という本のタイトルのブームの火付け役になったようにも思います。

 『老人力』の出版以降、「〇〇力」「〇〇の力」という書名が大流行りとなりました。今や、わが国の政治家が「聞く力」をキャッチコピーにするまでになっています。

 本のタイトルに「力」が位置づく先例に、浅田彰著『構造と力』(1983年、勁草書房)があります。

 この書物は(私の勝手な解釈で、あるいは的外れかもしれませんが…)、「ポストモダン」の時代を迎え、「力」の捉え直しをテーマにしていました。つまり、1980年代に入り、1970年代までの日本に横溢していた社会変革の力がしぼんできた時代に対応する哲学的考察だったと考えています。

 社会福祉の世界では、わが国にようやく訪れた1973年の福祉元年が、翌年のオイルショックから雲行きがおかしくなり、1980年代からは福祉削減から社会福祉基礎構造改革に向かう時代に突入していきます。

 生活保護の現場では、保護費削減を目的とする窓口での「水際作戦」を実施する自治体まで出来し、一方では、保護の受給をめぐる問題から自殺者が出て(是枝裕和著『しかし…ある福祉高級官僚死への軌跡』、1992年、あけび書房)、他方では、生活保護を担当するソーシャルワーカーに「しらけ」が充満し、90年代初頭の「福祉川柳事件」(大友信勝著『福祉川柳事件の検証』、2004年、筒井書房)につながっていきます。

 このようにして、1990年代は、社会福祉の現実を地域と現場の力からなかなか変革できない閉塞感が渦巻く中で、高齢化社会の進展に対応する政策と支援サービスのあり方が焦眉の課題となっている時代でした。そこに赤瀬川さんの『老人力』が登場したのです。

 高齢化社会の進展は、介護問題を中心として社会の「危機」と捉える傾向が圧倒的でした。有吉佐和子さんの小説『恍惚の人』(1972年、新潮社)に登場する認知症問題の深刻さも相まって、老人と老いを「厄介さ」の側面から問題視する気分と風潮が広がっていました。認知症のことを当時はまだ、「痴呆症」と呼んでいた時代です。

 赤瀬川さんは、ボケてきたり、「ほら、あれがこうして…」などと名前が出てこない日常会話が増えてくると、「老人力がついてきた」と表現します。

 ふつうは歳をとって「モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいう」表現に代わって、「あいつもなかなか老人力がついてきたな」と言う。「そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい」(赤瀬川原平著『老人力-全一冊』、13頁、ちくま文庫)と。

 この着想は、単純な言葉遊びではありません。老人と老いに係わるこれまでの呪縛を解き放ち、それらを積極的で個別具体的に捉えるための新たな視点を提供したのです。

 老人は「なるほど、恰好いいなあとかいって、五万円払って老人になる、というわけにはいかないのである」から、「貴重で得難い老人力なんだけど、意外とみんなに嫌がられている」と指摘します(同書23頁)。

 「世間的な風潮としては、物を覚えたい、体力をつけたい、足取りをしっかりしたい、よだれは垂らさない、視力ははっきり、お話は簡潔に一度で、ということをモットー」とする、いわゆる「プラス志向」がもてはやされてはいるが、「プラスが全部プラスになるとは限らない」のです。

 その例証にプロ野球選手を取り上げ、「老人力に欠けているのは、なかなか一軍へ上がれない」とします。

 たとえば、二死満塁の場面で打席に向かうバッターに、監督がタイムをとって出てきて「力を抜いて行け」と言う。「力をつけにつけて、やっとプロ野球選手になったのに、ここへ来て、力を抜けといわれる」。

 「力を抜かずにリキんで打って、内野フライ、万事休す」となるところを、「うまく力を抜いて打ったら右中間まっぷたつで走者一掃の三塁打」になることがある。このように「力を抜くには抜く力がいるもので、老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける」。

 「でも若い間は自然には力が抜けない。意識して力を抜く、つまり意識して老人力を先取りする必要がある」から、監督がバッターに「力を抜いて行け」と言うのは、実は、「老人力で行け」と言っているのだと指摘します(同書24-25頁)。

 「力を抜くというのは、力をつけることよりも難しい」のであり、力を発揮するときには「足し算以外に、引き算がいるんだけど、これが難しい」ところを、「老人力がついてくる」と自然体で力を抜くことができる。だから、「老人力をばかにしてはいけない」と。

 老人力は、「長い社会生活の中で培われてしまったコセコセ力を殺ぎ落としてくれる」ため、こまごましたことに動じない「大人物のような要素をぽーんと与えてくれる」ものでもあります(同書47頁)。

 だから、老人力の中核をなす「忘れる力」は「テキトー」さに由来するといっても、努力せずに「怠ける力」なのではない。物質があって反物質があるのと同様に、努力があって反努力がある。この「反努力の力」というものが「老人力の実体」だと定義します(同書124-125頁)。

 そうして、「力の限界」を知るまで、若い間は「ムダな力ばかりで空回りしていた」とこころが、「力の限界内で何ごとかをはじめると」、力が有効に働き、「限界内の世界が無限に広がってくる」のです。

 このようにみてくると、「老人力」とは、「より強い力」で秩序を支配するという世界観を排し、力みなぎる「若さ」への肥大化した価値づけに抗し、一元的な能力観の呪縛から人間を解放する問題提起になっていることが分かります。

 人間はそれぞれ「老人力をつける」ことによって品性と魅力を無限に展開し、創造できるのであるから、人間と社会は多元的な社会の豊かさを展望できるのだというところに、赤瀬川さんの主張の核心があります。

 だから、「若い人にはまだまだ負けない現役だ」と力んだままの高齢者は、一元的な能力観の呪縛に支配された世界に自ら留まることによって、周囲から「厄介者扱い」されてしまうのではないでしょうか。

氷見漁港市場食堂の海鮮丼

漁師のあら汁

 用向きがあって北陸地方に足を運びました。「自然の生簀」と言われる富山湾は、とりわけ冬の鮮魚が絶品です。ガツガツ食べようとする力を抜き、「食べる力」の限界内で美味の無限の広がりを味わってきました。

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