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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

受験生・若者の福祉離れ


 今、受験シーズンの真っただ中です。18歳人口の減少が止まない中で、大学の入学定員は増加していますから、全入や定員割れに直面する大学は増えています。

 まことに残念ながら、福祉系の大学・募集単位の不人気はひときわ目立ちます。多くのの募集単位は、「Fラン大学」や「Fランに準じる大学」に陥っています。

 東京のある福祉系大学の総本山ともいえるところは、ネット上のあるFランサイトで、「関東圏域の大学の中で、偏差値の下げ幅の最も大きい大学の一つ」と評されているほどです。

「Fラン大学」とは、河合塾によるボーダーフリー(BF)大学の定義に由来して、偏差値35以下、または定員割れに伴い偏差値の産出が不可能であることを判断基準としています。

 インターネット上の複数の「Fラン」サイトを見ると、実際には、偏差値が概ね40を割る大学が「Fラン」扱いされているようです。偏差値が40を割ると受験倍率を上昇させることを見込むことが一段と厳しくなるため、偏差値40未満を「Fラン」と評価することはあながち不当だとは言えません。

 1987年社会福祉士及び介護福祉士法の背景の一つには、2000年以降の受験生人口の減少問題がありました。福祉関連の資格制度を作り、その取得を学生集めの目玉材料に使うことを見込んだところに、社会事業学校連盟の呉越同舟が成立したのです。

 今や、このような学校側の目算が外れたことは明白です。しかし、ここで福祉系の大学や資格制度のあり方について論じるつもりはありません。私が最も気になっている点は、福祉・介護の営みや職業領域に、多くの若者が魅力を感じることなく、むしろ敬遠するようになっているのではないかという問題です。

 ここには多様な要因があるでしょう。もっとも基本的な問題は、仕事の大変さや責任の重さにふさわしい待遇が社会的に保障されていない点にあることは明らかです。

 先日、報じられた「稚内はなます学園」の虐待事案は、多くの職員の目のある中で
発生した2年前の虐待事案が、施設職員によって「すみやかに通報」されることもなく、今になってようやく明るみに出ました。

 ここの施設長は、通報義務を「怠っていた」と述べているようですが、隠蔽できるなら伏せたままにしておこうと考えていたのではないでしょうか。施設長ともあろうものが、通報義務のあることを知らないはずはありません。

 障害者虐待防止法の施行から10年が経過する間に、私はこのような施設が決して例外的なのではなく、むしろ障害者支援施設のスタンダードであると認識せざるを得ない数々の事実を目の当たりにしてきました。

 稚内の虐待事案に対するネット上の書き込みを見ると、「責任が重く大変な仕事なのに、非正規は多く、待遇も良くないから、このような問題がなくなることはない」というものがあり、そこには「いいね」が数百ボタン押されていました。

 この書き込みをした人がどのような素性の人であるのかは分かりません。ただ、福祉・介護の支援現場の実情は、インターネットを通じて瞬く間に広がる時代ですから、表向きの理念や「作り話」で取り繕うことはおろか、それらを額面通りに受け止める若者など皆無だと思います。

 支援現場の待遇は割に合わず、虐待が発生しても誰も通報しない違法行為がまかり通っている現実がある限り、それはたとえすべての支援現場に共通する事態ではないとしても、障害者福祉の支援現場は「ブラック企業」だという若者が抱いてしまうイメージを払拭することは難しいのではありませんか。

 実際、多くの高校の進路指導では、「福祉・介護は待遇が悪いから止めた方がいい」と語られ続けています。大学在職中に、私はいくつかの高校からの依頼で、福祉系の大学への進路に係わるオリエンテーションの講義をしたことがあります。

 2000年以降になると、大学への進学率の高い高校ほど、「福祉・介護は大切な領域であるとは思うが、自分は進みたいとは思わない」という高校生の感想が圧倒的となりました。2000年の社会福祉基礎構造改革以降に、若者の福祉離れが著しく進行していったという印象を強く持っています。

 福祉・介護サービスを利用する側にも、気になる問題点があります。利用契約制にもとづく「選択幻想」です。

 放課後デイサービスやグループホーム、障害者支援施設等のサービスを利用する場合、「自分で調べていいところを選択する」ことがある程度可能だという幻想を抱いている人がまことに多いように思います。実態は、「例外的に選択が機能する」程度です。

 支援者に一定の質を担保するに十分な待遇が保障されない限り、先の「稚内はまなす学園」の虐待事案ヘの書き込みにあったように、不適切な支援や虐待が現場で克服されることはあり得ないでしょう。

 質の高い人材を支援者に集めるためには待遇を上げるしかないという労働市場の原理原則を放り投げたまま、利用者のメガネにかなうサービスの選択が可能になることは望みえない。

 私の学生時代は、保育所や共同作業所・障害者施設を作るために多彩な人たちの協力がみられた時代です。たとえば、障害者施設を開設するための資金集めについても、さまざまな団地や社員寮・社宅単位で組織的に協力をしてくれるところもありました。

 私の娘が利用した保育所は、無認可の共同保育所から始まって父母・職員・地域住民が力を合わせて認可保育所を作ってきた経緯がありました。それは、認可保育所以降の全員参加型の民主的運営や地域との交流に引き継がれていたと思います。

 現在、自治に立脚した民主主義にもとづく施設・事業所の運営によって、関係者の運営への参加とサービスの質的改善を不断に努力している現場はどれほどあるのでしょうか。

 保育所に子どもたちが入っても、「個人情報保護」の観点から子どもたちと父母の氏名や連絡先を明らかにすることはなくなりました。メールによる連絡も希望者に限られています。「父母会」を作るイメージや諸条件は、ほとんどなくなっていると言っていい。

 施設や事業所の財政的支援にかかわるバザーも、ほとんど開催されなくなりました。ネット上のオークションやフリーマーケットのサイトが盛況となりましたし、中古品を売買する地域の店舗も溢れるようになりました。中古市場のシステム化によって、バザーで売り物になる「品物」や「良品」は地域から出てこなくなったのです。

 多彩な人たちが協力するための日常生活世界も様変わりしました。「子ども食堂」の取り組みについても、自助・共助・公助の積極的な組み替えに向けた意識的な活動であるとはとても思えないところが多いし、私見によれば、19世紀的慈善事業の域を全く出ていないところさえあると考えています。

 福祉・介護の主役は、福祉・介護サービスを活用して幸福を追求する市民です。支援が必要となる困難や悩みに無限の多様性があるとすれば、支援サービスを介して、市民が実現していく幸福のあり様にも無限の多様性があるはずです。

 すると、福祉・介護の世界には本来、魅力的な営みがあるはずです。このブログでは今後、資格養成のカリキュラムによって福祉本来の魅力を剥奪しがちな学びの現実に抗し、福祉・介護の領域にある多彩でゆたかなテーマを深めていきたいと考えています。

ノドグロの塩焼き

 ノドグロの美味さについては論評不要です。富山湾や陸奥湾では、大量のイワシが海岸に打ち寄せ、太平洋沿岸でも黒潮の蛇行から不漁が続き、東北地方ではこれまで見られなかった暖かい海の魚たちが大量に獲れるようになっています。市場経済に支配された人間の営みは、海や地球のゆたかさを破壊しつくしかねないところまで来てしまいました。