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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

雨ニモマケズ 調子二モノラズ

 先日、岩手県社会福祉事業団様からのご依頼で、従事者による高齢者・障害者虐待の防止研修をさせていただきました。

 会場は、盛岡駅近くの「いわて県民情報交流センター」という、建物も設備も非常に立派なところです。

 事業団のご担当者によると、会場等の関係から、申し込みのあった数十名の方々は、泣く泣くお断りしたほどであり、皆さんの関心は高かったそうです。

 実際の研修は、午前は座学中心に2時間、午後は演習中心に3時間、1時間ごとに10分の休憩をはさみながら行いましたが、私は、約100名の参加者に共通するものを感じました。

 それは、全員が必ず、開始数分前には着席して、受験生のような面持ちで待つ姿勢など、参加態度の端々に、「雨ニモマケズ」の県民性が体現されている、といった感覚です。

 ですから、「いつ何時でもくだけていないと居心地が悪い」ところがある私は、内心では、少々戸惑いましたが、「参加者の皆さんは、特殊な場合を除いては、虐待者にはならないだろう。定説どおりだ。だから、コンサルタントやスーパーバイザーとして求められる内容に多く触れた方が良さそうだ」と、研修方針の微調整がし易くなり、助かりもしました。

 ちなみに、特殊な場合とは、「自らを型にはめ過ぎて追い詰めてしまい暴発する」です。

 たとえば、「過ぎたるは及ばざるが如し」を地で行く「過剰適応」に陥る場合や、階層が下がるほどに成員は自分の頭では考えなくなるという、ヒエラルキー組織の副作用が、虐待行為を誘発する場合などです。

 ところで、自らが虐待者とならないための従事者研修については、よく「参加意志があるなら、実は研修は不要であり、参加意志がない人や事業所こそ必要」と言われます。

 ですから、参加意志のある参加者の方々と、休憩時間にする「オフレコ話」は、とてもためになります。建前的なものが前面に出やすい研修とは違って、オフレコ話には例外的なことが話題にのぼりやすく、従事者のよりリアルな現実が掴めるような気がするからです。

 今回の研修も例外ではありませんでしたが、オフレコなので、ここに書くわけにはいきませんが、オブラートに包んでご紹介します。

 たとえば、「貴方の言うことにYESと言いたいのはやまやまだが、そうするとと、貴方にとって為にならない。それは、私の専門家として判断だ。だから、あえてNOと言う」ということがあります。

 通常は、クライエントの主訴や希望を第一に解決の道を探るけれど、それではダメだと思うときには、まさに引き裂かれるよう心境になるので、「引き裂かれ対応」などと呼ばれます。

 「一般論としては◯◯するのが良いが、もし△△が□□なら、一般論とは違う方向だが、むしろ××したほうが良い」というわけです。

 もっとも、虐待対応の経験を増すごとに、例外的な経験も増えてきますから、なかには、それらを過度に一般化するようなことも起こってきます。たとえば、「裏ワザ」ばかりを強調するような例です。

 ですが、「自動者の運転に慣れてきた頃が最も危ない」というのと同じく、ある程度経験を積んでも調子に乗らず、「過度の一般化」をしないようにしたいものです。

 あるいは、これは、対応の上級者となる関門の一つだと言えるかもしれません。

「話ガ ツマラナクテモ ケシテ怒ラナイ」参加者の皆様と、気持ちよく話す筆者(右上)