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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

大人の幼稚園児はイタ過ぎます

 9月、台湾で開かれる「ジェンダーに基づく暴力に関する第2回アジア太平洋サミット」という国際会議に出席することになりそうです。この会議は、米国で始まったセクシャルハラスメントへの抗議運動「Time’s Up」のキャッチフレーズを借り、ジェンダーに基づく暴力についての革新的なアドボカシーとなることを目指しています。

 ジェンダー(文化的・社会的性差)に基づく暴力(Gender-Based Violence)には、相手の意に反して害を与える行為全般が含まれており、人身安全関連事案全般に関する分野横断的な情報交換や議論がなされるものと思います。それに、アジア太平洋の国々の事情も知ることができるため、良い勉強になることと、大いに楽しみです。

 私も本邦の高齢者虐待についてプレゼンテーションをする予定なのですが、被虐待者の多くは女性で虐待者の多くは男性であり、ジェンダーという切り口は興味深い着眼点ですから、「乾いた雑巾でも絞れば一滴くらい水は出る」と思い、無い知恵を絞ろうと思います。

 国による調査結果をみる限り、法施行以来、養護者による虐待では、息子による母親虐待と夫による妻虐待が、従事者による虐待では、男性による女性利用者虐待が多いのですが、どうしてそうなるのか、やはり気になります。

 男性の方が女性より「腕っぷし」に頼りたがるというのは納得できる気もします。しかし、不思議なこともあります。他者を従わせたあとには、自分でやったほうが早いことでも、あえて他者にやらせたがるように見える点です。

 ボスがタバコをくわえると、部下がスッとライターの火を差し出す風景は、主従関係の定番ですが、奥さんが夫に靴下をはかせたりネクタイをしめたりする風景も含め、お迎えのバスに遅れそうで、母親があれこれ支度を手伝う幼稚園児の姿に重なりはしないでしょうか。

 支配者といえば、何かに優れた者が競争に勝ち残ったイメージがあります。それなのに、命がけの競争に勝ち残った者が最も望むのは、母親におんぶにだっこの幼稚園児になること、というのでは些か割り切れません。

 しかし、最近目立つ権力者の悪行三昧の姿は、我儘勝手を押し通す質の悪い幼稚園児にしか見えず呆れます。否、周囲がその非を指摘すると、どんな汚い手を使ってでも排除するとあっては、比較すること自体、幼稚園児に対して失礼かもしれません。

 もっとも、社会には、こうした駄々っ子要素を、「男らしい」として推奨しさえする側面があります。つまり、社会が良しとする男性像は、ある意味では良くても、度を越すと手がつけられなくなるわけです。

 「少しくらいヤンチャな方が良い」は「力が制御できないならただの危ない人」、「言い訳をしない」は「巧妙に嘘をついてひたすら隠蔽する人」、「弱音を吐かない」は「弱い者いじめでストレス発散をする人」になるというお粗末です。

 「厳格なジェンダーへの型はめ」さえしなければ良いだけなのに、私たちはどうも、至極当たり前のことさえ苦手な生き物のようです。

園長「演目はズバリ『社畜』です!」
保護者「何とリアルな!!」