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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

名画鑑賞の底力


名画鑑賞から学ぶ

 以前、名画鑑賞が対人援助者の能力を磨くことになると思い、大学生に行った演習をご紹介しました。これは、ハーバード大学が行う医学生の診断能力向上の取組みを真似たものですが、結果は上々でしたので、今もときどき研修で行っています。

 演習は、一枚の教訓画を見ながら、どのような教訓を伝えようとしているか推理するという単純なものです。しかし、描かれた人物の服装や家具調度など時代背景を知ったり、画家の経歴を知ったり、知識を増やすほどに推理が冴えることを実感できます。

 この過程は、事例対応の情報収集とアセスメントの過程に他ならず、文字中心の事例を用いた演習とは一味違った感覚の学びになります。皆さんやはり文字中心の事例には食傷気味のせいでしょうか、より真剣に取組んで下さいます。

 ところで、情報収集とアセスメントと言えば、以前から気なっていることがあります。それは「長男や次男」や「長女や次女」という表記がとても多いことです。この表記だと出生順がわかりませんから、人物像を推理しにくくなります。

 実際、私は学生の頃「第1子(男)、第2子(女)、第3子(男)」のように、出生順も分かる表記とするように教えられました。あるいは現在では、「人物像を推理」することは重要視されなくなっているのでしょうか。

中っ子の悲劇

 出生順と人物像と言えばこんな知見があります。それは「中っ子の悲劇」という「中間子あるある」です。この知見は、第1子の子育てから始まります。まず、親にとって第1子の子育ては初体験なので、緊張や心配から過干渉気味になり易いそうです。

 しかし第2子の子育てでは、すでに通った道であるため慣れてきて、過干渉さはとれてきます。一方、母親は第2子につきっきりになるので、父親が第1子の面倒をよくみるようになっていきます。

 そしていよいよ、第3子ができた時に中っ子の悲劇がはじまります。母親は第3子につきっきりになるので、第2子が父親に甘えようとしても、父親はすでに第1子に独占されています。つまり、第2子は行き場を失ってしまうわけです。

 そこで第2子は、寂しさに耐え自分で何とか切り抜ける機会が増え、自ずと自立心が強くなります。また、自分にも目を向けて欲しいので、人から褒められることを好み、後々「人からありがたがられる職業」につくことを望むようになる、と言います。

 むろん判を押したように皆がこうなる訳ではありません。しかし、「人からありがたかがれる職業」である介護職や看護職の方々にこのお話をすると、「合点がいった」という表情になる方が少なくありませんから、案外当たっているのかもしれません。

 いずれにせよ、こうした知見は増えれば増えるほど、推理力やアセスメント力はアップします。もっとも、簡単に増やせる訳ではありませんから、ハーバード大学の医学生に倣い、本当に名画鑑賞の講座に通うというのも一興かもしれません。

「この絵の示す教訓は…」
「押売にはご用心、でしょ!」

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