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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

縦の糸と横の糸の織りなす布

 先日、ICTを用いた遠隔授業により、念願だった演習を行うことができました。「名画をどう読み解くか」というグループワークです。アメリカの大学が行った「名画鑑賞のコースを受講した医学生の診断能力は、受講しなかった医学生より有意に高い」という研究を知り、私も真似してみたかったのです。

 「私の担当している学生にも役立つのではないか」と「参加者の観察力や推理力や洞察力を養う」ことを狙って行ってみたところ、想像以上に奥深いものでした。名画鑑賞では、時代背景や画家個人の生活歴など、知れば知るほど解釈が変わっていくからです。

 実は、虐待を描いた名画も少なからず存在します。ベルギーの芸術家ルーベンスは「幼児虐殺」という絵を描きましたし、スペインの画家ゴヤの作品には「我が子を食らうサトゥルヌス」という何ともおぞましい絵もあります。

 宗教的な教訓話や神話をもとにしたのかもしれませんが、作者の心中に去来する思いはどのようなものだったのでしょうか。何だか、何百年も後の世を生きる私たちにも通じるところはあり、虐待問題は時代を越えて繋がっている気さえします。

 虐待の連鎖は、最近発生した3歳の娘を衰弱死させた母親の事件にも見て取れます。この母親自身、幼少期に両親から虐待されていたからです。母からは「身の回りのことをキチンとしない」などの理由で殴られ、全治2週間の怪我を負わされています。また、肋骨や腰骨が浮き出るほど痩せてネグレクトも疑われていました。

 結局、母は傷害と保護責任者遺棄、父は保護責任者遺棄で逮捕され、母親は児童養護施設から通学することになります。成長してからは、何人もの男性と交際しては別れるを繰り返し、子どもを出産した後も、当時交際していた男性と入籍してすぐに離婚しています。

 そして、最近では「ごみ屋敷」状態のなかへの娘の放置は常態化し、外出時にはドアを塞いで軟禁していました。その延長線上で、コロナ禍のなかでも男性に会うため遠方に外出し、娘を8日間も放置して事件化しました。

 ところで、この母親は、自分を虐待した母を決して悪くは言わなかったといいます。それどころか、今でも関係を保っています。私はこの点について、長年にわたる母からの支配により彼女は、ストックフォルム症候群のような状態に陥っているとみています。

 また、父からネグレクトされて育ち、異性への複雑な思いを抱えたのではないかと考えます。だからこそ、わが子より男性との関係を優先させる行動をとり、身を持って学んだコントロールフリークの支配方法を、わが子への振る舞いに反映させたのではないでしょうか。

 私は、このように虐待は連鎖するのだとしても、中島みゆき氏の楽曲「糸」の歌詞のように、人間関係という縦の糸と横の糸の織りなす布が、誰かの救いとなることを祈りながら、知恵を絞り続けたいと思います。

「糸の話をしているの?」
「切れない方のお話で・・・」