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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

「介護はプロに」への道半ば


 資料の整理をしていたら、茨城県保健福祉部長寿福祉課様の「高齢者虐待対応マニュアル 改訂版」(平成27年3月)に、興味深い事例を見つけました(p.119~p.120)。認知症の母親に医療や介護を受けさせない娘の事例です。

事例は小説より奇なり

 本人と虐待者の三女夫婦とその子ども2人が同居しており、三女には別に暮らす兄弟姉妹もいます。本人は女性85歳。要介護5で認知症のため意思疎通が困難です。一方、三女は50歳でパート勤務です。

 虐待は、ケアマネジャーと訪問看護師が発見し、地域包括支援センターに相談しました。訪問時に、本人が自室に閉じ込められていて、栄養剤を渡すとすごい勢いで飲んだため、食事や水分が十分に摂れていないのではないか、と考えたからです。

 これを受け、地域包括支援センターと市の職員が訪問しましたが、本人は脳梗塞で緊急入院となり、その時の状況からネグレクトだと判断しました。三女が経済的理由をたてに本人の気管支喘息や心不全の治療と介護サービスを中止していたためです。

 加えて、食事や水分を十分に与えず排泄介助もしないうえ、本人が自室から出られないようにしていました。その後も三女は、地域包括支援センターと市の職員による訪問やサービス利用の勧めも拒否し続けます。

 入院時にも経済的理由をたてに入院を拒み、「どのようになってもかまわない」とさえ言っていました。しかし、三女の夫による説得により入院となり、病院で本人の心身の状態が確認されたため、三女夫婦も虐待の事実を認めました。

 その後、本人は回復して退院許可も出たのですが、市は、自宅に戻れば医療拒否・介護拒否の繰り返しになると判断し、やむを得ない事由による措置により、本人は特別養護老人ホームに入所となりました。

俺のところに来い!

 興味深いのは、三女が本人を引き取ることになった経緯です。三女以外の兄弟姉妹は、死亡や離婚や破産などの問題を抱えていました。そのため「比較的安定しているから」ということで、どうやら三女が本人を押しつけられたらしいのです。

 そして、三女が納得しないままの介護生活が始まってしまいます。しかも、三女をフォローする家族や親族はいなかったといいますから、この虐待事例は、起こるべくして起こった、と言えるかもしれません。

 それにしても、未だに「介護の押しつけ」があるとは、「さすが家族中心主義の強いわが国ならではだ」と思うとともに、かつて「夫の親の介護はしたくないから次男と結婚したのに、介護をする羽目になった」と嘆いていた女性がいたことを思い出しました。

 なんでも、次男の夫は、何かと長男と張り合っていて、母親が長男夫婦と折り合い悪くなったと聞きつけて、妻の意見も聞かず「俺のところに来い!」と言ったそうです。マウントを取りたい一心で勝手に同居を決めてしまったのです。

 どうやら「介護はプロに精神的な交流は家族に」という時代への道は未だ半ばのようです。

「世襲議員だらけだネ…」
「政治も家族中心主義?」