メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

よっこらしょ

 この春、私の娘は大学を卒業して就職し、家を出て自立することになりました。とにかく、やれやれです。これまでの子育てを振り返り、わが子の新しい人生への旅立ちに安心しつつ、親としての幸福を感じています。

 重いリュックを背負って、麓を出発したのが今から20年余り前。山頂がどこかも分からず、ルートの取り方に長さや時間も定まらないままの歩きはじめでした。山あり谷あり、にわか雨に雷と道中様々なことに直面しましたが、山頂が近づくにしたがって薄日が差し、青空が広がるようになって、何とか到着することができました。

 今、「よっこらしょ」と両肩から荷を下ろし、足を投げ出して座り込み、まずはホッとしているところです。

 世の中にはかずかずの子育て指南書がでています。その多くは私にとって実に疑わしく、リアリティが丸でありません。そもそも子育てに見通しを持とうとすること自体、姑息で不遜なことではないかとさえ考えてきました。「わが子のため」と称した「子育ての見通し」のほとんどは、親の「欲」と「安心」を繕うためのものではないでしょうか。

 子どもがまだ小さかった頃、私は自分の子育てを「フツーの親よりは科学的知見に裏打ちされ考え尽くされた営み」だと勝手に思い込んでいました。「俺は見通しをもって子育てをしている」と。でも、それはとんでもない思い違い。子どもが小学校に上がる頃には、自分の子育ては大雑把な営みに過ぎないと冷静に受け止めるようになっていました。

 米作りを生業とする一人の農民でさえ、生涯に(20~70歳と仮定すれば)50回の米作りをするに過ぎません。工業的なモノづくりの世界であれば、試作の域を出ない回数です。これが現代の子育てとなると、ほとんどの家族が1回、多くても2~3回です。「一人目が試作品」だったから、「二人目はと気合を入れたら、駄作品になった」なんて悪態をつく知人さえいます(笑)。

 自分の1~2回に過ぎない子育て体験を、本にしてみたり売り物にする人がいます。まことに見苦しい。「当事者主権」には、ときとして厚かましさがつきまとうのでしょう。

 育児は、米作りにもまして限られた回数です。そこで従来は、先行世代による子育て経験の伝承によって、親の浅はかさを補ってきたのでしょう。しかし、今や多くは伝承のない核家族。この親の制約を育児書や心理学的知見でもっぱら補おうとするのは、土台無理なお話です。家の中に閉ざされた子育てを、顔の見える地域社会の親密な間柄に支えられた営みへと再構築しない限り、子育てにつきまとう困難と不安が無くなることはありません。

 1回きりの私の子育てが大雑把な営みだったと言い放つだけでは、娘に申し訳がありません。日常の単純なことは、私なりに大切にしてきたのです。ミクロな発達論や中長期的な見通しは殆どなかったものの、日々を彩る大きな柱を何とか守るようにしていました。