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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

世之介曰く「ただのアホとちゃうか」

 永井義男さんの『江戸の性の不祥事』(学研新書、2009年)は、江戸時代における性の多様性を実によく表しています。

 たとえば、徳川将軍の様々について(前掲書、第1章「将軍の筆おろし、好色な大名」、13-38頁)。

 三代将軍の家光は22歳の時に、京都の公家の娘孝子を正室として迎えていますが、夫婦の営みは全くなかったそうです。さまざまな情況証拠から、家光には「男色癖」があったようです。

 乳母の春日局や側近がこのままでは後継の男子が得られないことを心配し、あの手この手を使って家光に「女の味」を覚えさせようとしたそうです。そして、側室のお振の方が第一子を産んだのは、家光が34歳の時でした。

 十一代将軍の家斉は、15歳にして将軍となり、奥医師の進言に従って16歳にしてお女中から筆おろしを受け、それ以来、正室と40人以上の側室との間に、合計55人の子どもをもうけています。

 十五代将軍慶喜の父である徳川斉昭は、尊王攘夷の巨頭として知られていますが、私生活では「好色で精力絶倫」であり、正室と側室との間に34人もの子をもうけたそうです。

 戦国時代の武士の間で「男色」が一般的だったことは良く知られています。江戸時代の初期、このような戦国時代の風情がまだ濃厚に残っていた時のエピソードが紹介されています。男色関係のもつれから、豊前小倉藩の若い侍二人が切り合い、結局、両名とも絶命したと(同書、79-82頁)。

 江戸時代の1600年代に活躍した上方の俳諧師であり浮世草子作者の井原西鶴は、『好色一代男』(1682年)、『諸艶大鑑-好色二代男』(1684)、『好色五人女』『好色一代女』(1686)、『男色大鑑』(1687)と矢継ぎ早に「好色もの」を著しました。

 『好色一代男』の主人公「世之介」がバイ・セクシュアルとして描かれていることは、よく知られています。巻一の「けしたところが恋のはじまり」には、「五十四歳までたはぶれし女三千七百四十二人、少人のもてあそび七百二十五人、手日記にしる」(54歳までに戯れたのは女が3,742人、男が725人であったことは、日記で知ることができる)とあります。

 西鶴は、「好色」という性愛と欲の自由をテーマにして、身分制度と家族制度で固められた当時の封建体制の下では、多様で人間的な性愛を貫こうとすると反道徳とされるだけでなく、刑罰さえ与えられかねない社会現実を描いています。

 つまり、個人的性愛を貫くことは、当時の社会制度や道徳的価値規範と対決することを避けて通ることができないテーマであったことを活写しました。このテーマの遥かな展望の先に、近代社会における市民の自由の実現があることは言うまでもありません。

 徳川家の人たちをはじめとする武士の間や、井原西鶴の描く町民の世界では、同性愛やバイ・セクシュアルはありふれた個人的性愛のあり方でした。

 それでも、江戸時代の武家にとって、お世継ぎを絶やすことはすなわちお家断絶ですから、何としてでも後継の男子を作らなければならない。そこで、将軍については大奥を総動員し、「あの手この手を使って、女色に染める」ことをしなければならなかったのです。

 一般的に言うと、生産力の低い時代に、家族共同体の維持・存続を図るためには異性愛主義を柱に据える以外に手立てがなかったということです。それでも、人間的性愛のあり方は本来的に多様ですから、大奥を使って「あの手この手」の苦労をしなければならなかったのです(笑)

 では、家斉や斉昭が武家の長として、お世継ぎを絶やさないことを使命としてお励みになったかと言うとそうではありません。ただ「好色」で「絶倫」だっただけです。もし世之介が今生きているとすれば、家斉や斉昭を「生産性が高い」と評する人に対しては「ただのアホとちゃうか」とにべもなく言うでしょう。

 性的マイノリティに関する社会的抑圧は、異性愛主義への偏重を柱とする近代社会の制度と価値規範によって強められてきました。しかし、アメリカ精神医学会のDMS-2(1973)から世界保健機関(WHO)のICD-10(1993)に至るまでの間に、性的マイノリティのあり方は異常ではない=自然な状態であるとする理解が明確になりました。

 キリスト教は、聖書の中で性的マイノリティを禁じているとする誤解があります。これについては、永易至文さんの『虹色百話~性的マイノリティへの招待第26話』とともに、雑誌『福音と世界』(2015年6月号、特集「教会と性」)をぜひお読みいただければと思います。

 わが国では、HIV感染を同性愛者の問題に捻じ曲げて偏見を拡大した歴史があります。血友病治療をめぐる深刻な問題への世間の批判をそらせるためだったのでしょうか、とても容認することのできない差別を性的マイノリティに拡大したことは間違いありません。

 先述の『福音と世界』誌には、次のような考察があります。一つは、市立堺病院のHIVカウンセリングの実際から、性的マイノリティをめぐるスティグマからの解放をめざす取り組みを考察した論考です。

 もう一つは、「同性愛をめぐるドイツ福音主義協会の取り組み」から、2001年ドイツ「パートナーシップ法」の成立とともに、聖書の執筆者の生きた時代の歴史的制約を排し、主の被造物のすべてを肯定することによって、同性婚や聖職者のカミング・アウトに踏み出して取り組まれるようになったことを明らかにした労作です。


川越氷川神社の縁結び風鈴

 さて、川越氷川神社は縁結び風鈴祭で、若い男女でごった返しています。七夕の短冊や風鈴に結びつけられたお札には、個人的性愛を通じたそれぞれの人の多様な幸福と夢がつづられており、性愛と「生産性」は無関係であることを示しています。性愛のあり方は、個人の尊厳と幸福追求権の課題です。