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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第146回 飲食店の店長から介護職へ
人生が知れる、人間が知れる、こんなステキな仕事は他にない

相良 勇さん(42歳)
グループホームこまば ホーム長
介護福祉士/社会福祉士/ケアマネージャー
(東京・目黒区)

取材・文:原口美香

事業所の悪いサービスを変えたい

 この業界に入るまでは飲食店の店長をしていました。僕が29歳の時、姉がヘルパー2級の講習に行っていて、そのテキストが家にあったんです。軽く読んでみたら、すごくおもしろいなって思って。それで有給休暇を利用して、僕もヘルパーの講習を受けに行ったんですが、実習先の特養で、あまりの酷さにびっくりしました。職員が利用者さんをからかっているんです。利用者さんが持っていた人形を取り上げたりして。食事も、利用者さんを並ばせて、食事介助をする職員が座っているところに、利用者さんが椅子に乗ってやってくる。終わったらまた違う利用者さんを他の職員が連れてくるんです。僕はその頃、サービス業をやっていてたから、サービスは最終的にホスピタリティーに行きつくと思っていました。その人が何を求めているかを察して、それを提供する。要は思いやりですよね。だからその施設の足りない部分がすごくよく見えた。それは変えられるんじゃないか、僕の力を発揮できるんじゃないかと思ったんです。それで、前職を辞め、新規オープンする特養に就職しました。

 新しくオープンするといっても、集まってきた人たちは、どこかで経験のある人たちだから、結局は実習先の特養と変わらないんです。利用者さんをからかったり、今までがこうだったからという理由で何の疑問も持たない。第一に働いている人に目指すものがないという印象を受けました。

 その頃、別のユニットのリーダーと親しくなって、いろいろな話を聞いたんですね。本も読んだりして、当たり前の感覚が大事なんだということを、改めて認識させられました。それでおむつをしているけれど、トイレに座れそうな利用者さんをトイレに連れて行くということから始めていきました。後に異動があって、そのリーダーの下で働くことになったんです。おむつ外し、機械浴から個浴へという試みを一緒に進めていきました。

 その特養にいた6年のうちには、85%くらいの方のおむつが外れ、お風呂はほとんど個浴になっていました。

伸び伸び生きれるグループホームへ

 ある時、おむつ外しをしたいけれど、出来ていないという駒場苑の方に誘われて、移ってくることになるんですが、業界に広めていこうという気持ちで、迷いはなかったですね。

 3年経って駒場苑の特養は、機械浴ゼロ、おむつほぼゼロとひと段落しました。それで今度は、他で自分の力を試してみたいと異動の希望を出したんです。ホーム長兼ケアマネとして配属されたのが「グループホームこまば」でした。

 すごく管理的だったんです。食事にちょっとでもむせてしまったらミキサー食で、その理由は誤嚥して何かあったら対応できないと。歯がないという理由でミキサー食の方もいました。ミキサー食は、ほとんど水分なので利用者さんはすぐお腹がすいちゃうんです。ずっとミキサー食のままだと、すごく痩せてきちゃう。実際、僕が来た当初は、ある利用者さんはすごく痩せていたし、向精神薬も飲んでいました。今、その方は普通のご飯を食べているし、向精神薬も飲んでいない。結局自分たちは医療職じゃないから、何かあったら困ると、やらなくていいことをやったりして、予防しすぎちゃっていたんですよね。

 まずはケアプラン会議を変えていきました。今までは職員だけで会議をしていたんですが、そこにご家族、または利用者さんに入ってもらって、その方のできること、できないこと、やりたいこと、やられたくない介護、どんなふうに生きていきたいかなど、利用者さんを中心にしたプランを考えていきました。そうすることでご家族も利用者さんと関われる。ご家族も、利用者さんを一緒に支えていく大事なピースになれたら、それは幸せなことだし、ご家族からの目線を気にして、施設側が管理的になるのは間違っていると思って。ご家族が求めているのは、お母さんの笑顔だったり、お母さんが伸び伸び生きていることなんですよね。

認知症対策ではなく「人」として

 トイレの後、拭いた紙を便器に流さずにゴミ箱に捨てる利用者さんがいました。そこになぜゴミ箱があるのかというと、手を拭くためのペーパータオルを捨てるゴミ箱だったんです。普通のご家庭ではタオルを使用しますよね。ここにゴミ箱があるから分からなくなるんだな、と思ってゴミ箱を片付け、ペーパータオルをやめて、タオルを使用することにしました。お風呂も、シャワーを使えない利用者さんがいたら、じゃあ手桶にしようと。利用者さんも自分の好きなタイミングで使用出来て、満足してくれる。職員も楽になる。僕たちの感覚ではなくて、利用者さんの今までの生活を紐解いて、仮設を立てて考える。それが介護の専門性じゃないかと思うんです。ヒントはその方の人生の中にあったり、僕たち自身の中にもあったりする。だから現場では、認知症の介護は普通の感覚、当たり前のこと、という流れを作ってきました。

 ある利用者さんが、病気で旦那さんを亡くしてここへ来ました。夕方になると亡くなったことを忘れてしまって、旦那さんの心配をしてウロウロするんです。その方にとったらそれは本当に切実だと思うんですよね。それでご家族にも話して、騙しだましの対応はやめて、旦那さんが亡くなったことを分かってもらうことにしたんです。嘘の上塗りは根本的な解決にはならないと思って。ここがその方の生活の場だと認識してほしいという願いもありました。それで仏壇を置くことにしたんです。仏壇っていうのは、僕の解釈ですけれど、残された者がその死を乗り越えるために開発したものだと思うんです。「悲しいけれど、お父さんは死んだんだな」「だけど近くにいるんだな」って。だんだんとその方も現実を受け入れて変わっていきました。

 そういうことが、僕自身も毎日毎日チャレンジだし、職員もみんなが考えてやっている。その職場環境もいいなと。やらされていないということは、すごく幸せなこと。その試みはこれからもやっていきたいと思います。

一日一日を大切に生きる

 去年の9月に、僕、息子を亡くしたんです。小2の時に「小児脳幹グリオーマ」で余命1年と宣告されました。なんで俺なんだ、なんで息子なんだ、ってすごく思いました。僕にとっては大変な時期。でも突き詰めていくと、みんな同じだなと思ったんです。そこには差なんかなくて、目の前の利用者さんも、今、今日この1分1秒、大切な一日。職員にとっても大切な一日。そして目の前で利用者さんが、亡くなった旦那さんを探してウロウロしていたら、専門書にこう書いてあるからこうだとか、認知症はこういうパターンで動くからこうだとか、そんなことじゃなくて、それはその人にとっては本当に切実で、当事者の大変さは本人にしか分からない。それは本当勉強になったなと思って。

 一日一日をその人らしくっていう考えは、僕は介護をやっていなかったら生まれていなかったなって思うんです。介護をやっていたからこそ、一日を大切にするべきなんじゃないかと思った。残されたその1年を、息子らしく普通の小学生のように生きてほしいなって。実際、副作用を考えて抗がん剤は使用しないことにし、1年間普通に学校に行けて、最期まで息子らしく生きれたかなと思います。

 今は高齢者の2割が認知症になる時代。認知症だから諦めるのではなくて、認知症でも生きれるんだと自信を持ってもらうことが、僕たち介護職の仕事です。地域の人も、認知症でも普通に生活できるんだということが分かれば、意味のない不安もなくなる。そういう社会を創ることが介護の大きな使命だと思うと、こんなに楽しい仕事はないなって思うんです。

みんなで神社に行ったり、買い物に行ったり、こまばの日常は歩く。 いつまでも自分の足でしっかり歩けるように。

「大きくなったらお父さんみたいな介護士になりたい」と言っていた息子さんと。 相良さんは、将来、誰もが介護職を誇れる世の中にしたいと考えている。

【久田恵の視点】
 「誰もが不安なくその人らしく生きられる社会」を創る、まさに現場から発せられた切実な介護観ですね。相良さんのような日々の具体的な実践を通してしか伝えられないメッセージだと思います。