メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第10回 居酒屋経営から介護の道へ 
笑いの絶えない終の棲家へ

鈴木理恵子さん(53歳)
バナナ園 ほりうち家(神奈川・川崎)

取材:藤山フジコ

介護の仕事は割に身近に感じられた

 夫と居酒屋を23年経営していました。35席もある大きな居酒屋だったので、子どもの手が離れてからは私も手伝うようになりました。

 2011年の東日本大震災があった年の暮れに主人が体調を崩して倒れてしまって、「もう無理をさせてはいけない」と思い、これを機に自分も自立しようと決めました。そのとき私は50歳。「何ができるかな・・」と考え、福祉関係に進むことが一番自分に向いているんじゃないかと思ったんです。お客さんにも介護職の方が結構いらして、介護の仕事は割に身近に感じられたのですね。それに長年居酒屋をやっていて、人に接するのは慣れていましたし、故郷の大分に暮らしている高齢の両親のことも頭にありました。

 それで、川崎市の人材育成事業を通じて介護の道に進みました。今までの人生の中で一番の転機ですね。「やってみればいいんじゃないの」と家族が背中を押してくれたことも大きかったです。子どもたちも自立し、私も働くことで家族全員が頼もしい世帯主という感じで、気持ちがとても楽になりました。

わかってなかったな、甘かったんだな

 最初は大きな施設で働きました。認知症対応型の施設だったのですが、はじめていろいろな症状の方たちをみてものすごいショックでした。頭では理解していたつもりだったのですが、実際目の当たりにするとカルチャーショックというか、涙がポロポロ出てきてしまうような感じで、「わかってなかったな、甘かったんだな」と思い知りました。

 そこはワンフロア48名くらいの利用者がいらして、3~4人のスタッフで介護にあたるのですが、何でも速さ優先で、きめ細やかな介助ができなかったんです。もっと寄り添った介護をしたいと思い、こちらのグループホームに移りました。大きな施設は多くの症例をみることができ、いい経験になったとは思います。

 こちらのグループホームも認知症対応型です。利用者の人数が少ないので、関係がとても密になります。

 入所したときは寝てばかりだった方が、こちらから毎日声かけしていくと、どんどん明るくなって皆の輪に入っていけるようになる。そんな嬉しい変化を感じることのできるこの仕事は、やりがいがあります。誰ともしゃべらずムッツリ過ごすことが一番病気を進めることだと思います。泣いたり笑ったり怒ったりの感情を出すこと、特に笑うことが大事なことだと思っています。

 介護、介護と真っすぐに向かうのもいいけれど、利用者と一緒に笑える時間をつくらないとお互いにストレスというか、やりすぎてしまう介護になってしまう。自立支援に向けてのグループホームなのですから。

よく観察するということと待つということ

 この仕事をしていて、居酒屋経営の経験と子育ての経験がとても生きていると思います。居酒屋ではさまざまなタイプのお客さんと接してきましたし、3人も子どもがいましたので、子育てで忍耐力が養われました。一人ひとりの状態をよく観察するということと待つということは、介護にも通じるとても大切なことだと思います。

 認知症にはいろいろな症状があり、物集めにこだわる方もいます。ナイロン袋一杯に職員が使うゴム手袋が入っていたり、事務所に入って押しピンやティッシュを集めたり。ティッシュは全部、畳んでポケットにしまってしまうので、施設のティッシュがすぐになくなってしまうんです。紙類にすごく執着のある方でしたね。そんなときも「洗濯に困るからティッシュをポケットにしまわないでくださいね~」と、決して非難はしません。

 帰宅願望の症状のある女性の方ですが、夕方になると「母に食事の支度をしなくてはならないから」と以前住んでいたご自宅に帰りたがるんですね。お母さんはかなり前に亡くなっているのですが、絶対に認めない。職員が「お母さまは亡くなっていますよ」と言うと、涙を浮かべて、「この人は私の心をえぐるようなことを言う」と悲しそうな顔をされるんです。当時私は、辛い思いをさせるのだったら本当のことは言わなくてもよいのではないかと思ったのですが、ご親戚の方からは「事実を伝えてほしい」と言われていました。どうしたらよいか今でも葛藤はありますが、その方の症状が出たときには「お茶を飲みましょう」とか、「体操しましょう」と誘導して気をそらせることも学びました。

 一番神経を使うことは、利用者が体調を崩されたときですね。お年なので急変ということもあるのでシグナルを見逃さないようにしています。それにはやっぱりチームワークです。自分一人で介護をしているわけではないので。常に「報告、連絡、相談」はしています。問題や気になることなど、職員皆で共有しています。

介護の仕事に就いて3年経ちました

 来年、介護福祉士の試験を受けようと思っています。人に物を教えるときにも、利用者の家族に対するときにも説得力がありますから。

 ここの管理者ともよく話しているのですが、施設の周りを整備して散歩道が作れたらなあと。そしてポーチや、あづまやがあってそこでお茶が飲めたり。「昔の暮らしの風景が再現できたら利用者が喜ぶだろうな・・」などと考えることは楽しいですし、そんな施設があったらなという夢でもあります。利用者にとって終の棲家なわけですから、我が家にいるような「ああ、楽しい」と思っていただくような介護を目指していきたいです。

いつも笑いの絶えないキッチンで

インタビュー感想

 グループホーム「ほりうち家」の名前の由来は、生前、社会福祉活動に尽力された大家さんに敬意を表してネーミングしたとのことです。そんな「ほりうち家」におじゃまするとアットホームで笑いが絶えず、利用者の方々も自然な様子で過ごされていました。インタビューに応じてくださった鈴木さんはエネルギッシュで明るく、介護の仕事は大変ではないときっぱりと言い切っておられました。子どもを3人育てた逞しさと大らかさが介護の世界にも存分に活かされていると思いました。故郷の大分で暮らしておられるご両親のことを想いながら介護に取り組まれているそうです。

【久田恵の眼】
 子どもを3人育て上げた経験、35席もある居酒屋を仕切った経験、働き続けてきた夫を傍らで支え続けた経験・・、すべての経験が介護の場では生かされる。鈴木さんが50歳で介護職のスタートを切った時には、すでに十分な介護力が身についていたということですね。介護の分野では、必ずこういう方に出会えます。資質を持っている方が、さらに現場の体験で磨かれ、専門知識を吸収していったら、まさに鬼に金棒。これからの介護の仕事世界を豊かに質の高いものにしていけるのは、こういう方たちです。介護は、目の前の自分の課題に懸命に取り組んできた方たちの活躍の場だということを教えられます。