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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
terada@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第41回④ 堂園春衣 NAGAYA TOWER
賃貸住宅の良さを活かし、足りないところはカバーしながら、
住人の方の考え方を尊重して暮らしを見守る。

NAGAYA TOWER
堂園春衣(どうぞの はるえ)
1982年横浜生まれ。東京で転職を考えていた27歳の時、医師である父から「NAGAYA TOWER」の構想を聞き、当時はあまり手伝う気もなかったが親孝行のつもりで立ち上げだけを手伝おうと鹿児島に戻る。助成金申請などの書類関係を始め、建物も設計段階から関わるなど実務を一挙に引き受ける。現在は「NAGAYA TOWER」の事務局長を務めながら、住人を見守っている。

取材・文:原口美香

―前回は堂園先生に資金面や未来にかける思いをお話いただきました。
最終回では、実際の暮らしの様子を中心に春衣さんにお聞きしていきたいと思います。

―「NAGAYA TOWER」の特長はどんなところですか?

 鹿児島の中央駅に近く、新幹線の駅にも近いので「サービス付き高齢者住宅にしたらどうだ?」という話も一時あったのですが、そうすると階数ごとに入居者を限定しなければならないので、それはやめました。できるだけ普通の賃貸住宅のように自然な形、老若男女がごちゃまぜであるという形を取りたかったんです。
 鹿児島はもともと高齢者の一人暮らしが多いのですが、部屋を全部高齢者仕様にはせずに、段差をなくし玄関以外は引き戸にするなどの工夫にとどめました。最初からこちらの押し付けで設備をつけてしまうと車椅子や歩行器具を使用している場合に却って使いづらいので、その都度改修はできるというようにしました。
 下は「ファミリーホーム 冨永さんち」の小学校一年生、一番上は92歳の方が住んでいて、今はコロナでちょっとお休みしていますが、こども食堂を開いているときは0歳の子も来ています。イベントを週一回くらいやっていますので、それに参加していると大体顔見知りになっていきますね。エレベーターの中や一階の掲示板にイベントの告知や報告を提示したり、イベント時に私たちが呼びに行ったり、徐々にコミュニティの中に入ってこられるような工夫はしています。でも常日頃べったりとしているわけではなくて、付かず離れず。みなさんもイベントもちょっと気が乗らないときは参加しなかったりして、そこは自由にしています。

―「ファミリーホーム 冨永さんち」が始まった経緯を教えてください。

「NAGAYA TOWER」の基本設計の時からファミリーホームのための4LDKは入っていました。建ててから1年くらいは空いたままでしたが、当時、児童養護施設に勤めていた冨永さんが施設に入所していた子どもたちを連れて「NAGAYA TOWER」の交流イベントに来てくれて。空いている部屋と構想の話をしたら「自分はずっと負の連鎖を断ち切りたいと思ってきた。そのためには子どもたちに家庭の形を見せてあげることが必要だと思っていた」と話してくれました。ちょうど冨永さんのお子さんも高校生と大学生になったタイミングだったので、「これからは自分のやりたいことをやる」と手を挙げてくれたんです。それからもう9年になります。
「NAGAYA TOWER」の中には自分のお子さんがいらっしゃらない方もいますし、「ファミリーホーム 冨永さんち」の子たちからすれば、自分のおじいちゃんおばあちゃんがいないんですよね。
「NAGAYA TOWER」に入居をご希望の方には、最初に「ファミリーホーム 冨永さんち」のことを必ず話すようにしています。事情があって親と暮らせない子も住んでいるということを理解してから入居いただいくようにしているんです。社会的養護下の子どもたちが悪さをするんじゃないかと、世間では知らないが故の不安を持つ方がまだまだすごく多いと感じます。「NAGAYA TOWER」では、住人の方がみなさん温かく見守ってくださって、冨永さんも「ありがたいです」とおっしゃっていました。

―「NAGAYA TOWER」で最期を迎える方もいらっしゃるのでしょうか?

 自分の足で歩いて買い物に行ったりご飯を作るのがもうきついとなったら、そこは賃貸住宅の良さで、サービス付き高齢者住宅に移ったり、施設に入られたり、ご家族の元へ帰られたりという方もいらっしゃいます。
 看取りについても考え方はいろいろで、家族が遠方にいる場合ひとりの時間も多いですよね。それを「かわいそう」と思う人もいれば、「私はこれがいいんだ」と考える人もいます。看取りに対する考えは、できるだけ元気なうちに聞いておくようにはしているんです。「ウっと来た時に救急車を呼んでほしいですか?」「延命治療はどこまでしますか?」「ご家族の意向はどうですか?」「ある朝、安否確認で回っている時に出てこなかったらカギを開けて入っていいですか?」など。看取りまでご希望の方は、訪問介護や訪問看護を使用しますが、サービス事業者は自由です。「NAGAYA TOWER」ではこれまで5人、看取った方がいらっしゃいます。

―住人さん同士のトラブルなどはありますか?

 ゴミの出し方や「こんなこと言われちゃったのよー!」という話は、日常の中で普通にあります。そんな時は、事務局が間に入って上手く解決できるようにしています。夜間は事務局も不在になりますが、住人さん同士声を掛け合って問題を解決したということもありました。70歳以上の方からは生活支援費をいただいて相談は24時間電話で受け付け、必要があれば行くという形にしています。

―今後の課題があれば教えてください。

 二階のシェアハウスの部屋がいくつか空いているんです。児童養護施設を卒業した人などで、住むところプラスちょっとしたサポートが必要な人と繋がれるようになれれば。「NAGAYA TOWER」は今高齢の方がメインですが、社会的養護を必要としている人たちを支えられるような仕組みを考え、使用できるようにしたいと思います。

―ありがとうございました。

みんなに見守られ、ここでゆっくり大きくなっていく。

【インタビューを終えて】
「NAGAYA TOWER」に入居される方は、口コミが多いそうです。その他、たまたま通りかかって知った、子どもさんがインターネットで見たなど。中には県外から入居される方もいるのだとか。賃貸住宅の自由さに安心できるサポート体制がプラスされ、ちょうどいい距離感も魅力です。血縁にとらわれずに多世代が触れ合って暮らす。どこで誰と住むかは人生の大きなテーマのひとつですが、「NAGAYA TOWER」の存在は、その選択肢を豊かなものにしてくれると思います。
【久田恵の視点】
戦後の核家族は、子どもの自立と高齢者の介護、その二つ躓いたと言われています。そんな中、NAGAYA TOWERは、まさに家族の失われた機能を取り戻す役割を実現したのですね。お互いの存在そのものが、自然な形でお互いを支え合うという場所を実現したのだと思います。