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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


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http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第5回① 松田朋子 ちいさなこかげ
あしほ総合クリニックの田中正顕院長らと、
医療的ケア含む重度心身障害児のレスパイト施設を立ちあげ

ちいさなこかげ
松田 朋子
1969年神奈川県生まれ。
看護専門学校卒業後、神奈川県立こども医療センターにて幼児内科病棟、ICU/脳外病棟勤務。脳外病棟時代に、重度心身障害児レスパイト施設「ちいさなこかげ」を発案した田中正顕医師(現・医療法人秋陽記念会・あしほ総合クリニック院長)から、声をかけられ賛同、立ち上げから運営全般を担っている。


取材・文:石川未紀

──「ちいさなこかげ」は重度の心身障害児のレスパイト事業を2004年からおこなっていますね。当時では、めずらしく医療的ケア児も対象にされています。始めるきかっけを教えてください。

 この運営の責任者は、医療法人秋陽記念会のあしほ総合クリニック院長でもある田中正顕先生です。田中先生は脳神経外科の専門医で、いくつかの病院をまわられたあと、神奈川県立こども医療センターに勤務していました。看護師である私が出会ったのはその病院です。
 実は、その病院に勤務していたとき、⽥中先⽣のお⼦さんが、⽣後46⽇に新⽣児無呼吸症候群で倒れ、心肺停止に。救急処置で一命はとりとめたものの、障害が残り、呼吸器をつけることになったんです。先生は医師として親として、その病院でご自身のお子さんを診ていたわけなのですが、1年後に退院することになったときに、預かってくれる保育園がないことにとても困ったそうなんです。ご夫婦は共に医師で、どちらも仕事は続けたい、けれども預ける場所がない。それで、いろいろ調べたところ神奈川・鶴見に「カンガルー保育園」という健常児も重度の障害児も一緒にあずかる保育園の存在を知ったそうなんです。それで鶴見に引っ越して、カンガルー保育園にご自分のお子さんを預ける一方、医師として働きながらも、この自分の医療のスキルを使って、同じような状況で困っている人たちの居場所をつくることはできないかと考えたのが、「ちいさなこかげ」が誕生する第一歩でした。
 まずは、こことは違う場所のクリニックの一部で、「やしのこかげ」という、医療的ケア児を含めた重度心身障害児の日中一時支援をスタートさせました。

──きっかけは、息子さんのためだったのですね。

 残念ながら、田中先生の息子さんは、「ちいさなこかげ」ができる前に亡くなってしまったんです。

──それでも、「ちいさなこかげ」は始められた……。

 はい。とてもつらいことだったとは思いますが、やはり自分のように大変な思いをしている親の手助けがしたい、子どもたちにも居場所を提供したいという思いに迷いはなかったのだと思います。その後、現在の場所に移して、病児保育も始めています。

──子ども医療センターにいらした松田さんはどのような経緯で?

 私は田中先生のお子さんも看ていたのですが、その時の看護師で、「重度の障害児の日中一時支援をはじめようと思うのだけど、一緒にやらない?」と声をかけられ、今日に至っています。立ち上げから関わり、現在では運営全般に至るまで、ほぼ任せてもらっています。
 私は、子どもの頃、学校の近くに養護学校があって、よく交流が行われていました。でも、その時は、うまくかかわることができなかったんですね。心の中に、もっと自然にかかわれるようになりたいという思いがありました。それで看護師になって子ども病院の看護師になりたいという夢を追いかけてきました。神奈川県立こども医療センターに就職して、幼児内科などでがんの子どもを看たり、ICUや脳外病棟などにもいました。
 看護していくなかで自分も元気がもらえるようなかかわりができるのが、子どもの看護師なんじゃないかと思っています。重度の障害が残ったとしても、そこにも希望があるし、いい時間を過ごせるように援助できるというのは、私の喜びでもありました。
 田中先生にお声をかけていただいたとき、今度は病院を退院した子どもたちとご家族に寄り添っていきたいと思ったのです。

──そこからちいさなこかげづくりがはじまったのですね。

 はい。たくさんの方に関わってくださいました。

──ありがとうございました。
  次回は、実際にどのように運営されているのかを伺います。

写真は発案者でもある田中正顕院長と松田朋子さん。
「松田さんは、きっかけから今日に至るまで何でもわかっている人だから…」と田中院長。
インタビューは松田さんが受けてくださいました。

田中正顕院長
日本脳神経外科専門医。横浜市立医学部付属病院、横浜赤十字病院、茅ケ崎徳洲会総合病院、横浜市民病院、小田原市立病院、神奈川県立こども医療センターにて脳神経外科担当。やしの木クリニック院長を経て、現在医療法人秋陽記念会・あしほ総合クリニック院長。