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山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術

山口 晃弘(やまぐち あきひろ)

超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。

プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)

介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。

お婆ちゃん達の聖夜☆

 若者達が心躍らせるクリスマスイブ。私の通勤経路である新宿、渋谷、自由が丘など若者の街は、クリスマスカラー一色です。

 日本でクリスマスが一般の人に知られるようになったのは、明治37年のこと。銀座の「明治屋」が大きなクリスマスツリーを飾ったことからだそうです。しかし、それも第二次世界大戦によって影を潜め、今のようにお祝いごとになったのは、昭和25年頃からといわれています。
 家族や恋人達が一緒に過ごすクリスマス。今、私たちが介護をさせていただくお年寄りは、クリスマスにどんな思い出があるのでしょうか。

 私は口癖のようによく言いますが、「お婆ちゃんは生まれた時からお婆ちゃんじゃないよ」。これは、たとえ今は寝たきりになってしまったり、認知症や物言わぬお年寄りになってしまったとしても、以前は私たちと同じように、学校で勉強をしたり、遊んだり、仕事をしたり、胸が苦しくなるような恋愛もしてきた…そういう人たちが高齢者になったということを忘れないでほしい、という意味で言っています。

 以前、いわゆる寝たきりという状態になっていたお婆ちゃんから、十代の頃の恋愛話を聴かせていただいたことがあります。

 「大好きでした。本当に大好きでしたよ。素敵な人でした。ハンサムでねぇ。優しくってねぇ。向こうも私が大好きで、大恋愛でしたよ」と笑って話してくれました。
 「で、その人とはどうなったの?」と聴くと、「戦争で死んじゃいました。特攻に行ったんです」と答えてくれました。私はつらいことを聴いてしまったと思い、「○○さん、つらいことを思い出させちゃって、ごめんね」と言うと、「いいんですよ。聴いてほしいです。私は、彼との思い出しかありませんから」と言いました。
 「その後、恋愛はしなかったの?」と聴くと、「ええ。お見合いの話も何度もありましたけど、私は彼のことが忘れられなくてね。結局、一生独身でした」と答えてくれました。
 「今でも彼のことが好き?」と聴くと、「ええ。今でも大好きです」と笑ってくれました。

 戦争…。
 どんなに愛し合っている恋人同士、家族であっても、奪っていってしまう戦争は、悪魔です。皮肉なことに、だからこそ命の尊さを理解していたのかもしれません。

 日本にクリスマスが浸透したのは、昭和25年頃。だとすれば、今85歳の人は、20歳ぐらいかな。恋人と一緒にクリスマスツリーを見ていたかもしれませんね。

 誰かを愛して、愛されて。そんな経験をしてきた人たちが高齢者になった。そんなことを忘れないで介護にあたりたい。あたってほしいな。