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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

だからこそ・せめて


 自宅名古屋を離れて19日目となりました。
 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が6日以降延長されましたが、6日まで在宅ワークに徹していた僕も、電話やメールではこなせない物理的事情が発生し、7日、連れ合いに東京まで車で送ってもらい、そこから仕事漬けの毎日を送っています。

 こうして長きにわたり自宅を離れ、自宅以外の滞在場所が快適か否かではなく、「自宅ではない」ことから、自宅で長く滞在するのと自宅以外で長く滞在することの違いを考察しはじめていて、考察すると「自宅とは何か」が見えてきているのと、「自宅を引きはがされた利用者の心模様」にリアル感をもてました。

 僕の今の状況における「自宅」と「自宅以外」の違いは、自宅は「自分の意思に基づいた環境」で、自宅以外は「自分以外の人の意思に基づいた環境」といえ、目に映るモノにその違いがくっきり表れています。

 テレビ・冷蔵庫・布団といったモノの機能は整っていたとしても、自分がチョイスしたものではないので、当たり前のことですが自宅のモノとは違います。そう考えると自宅以外の場には、ほぼ自分の意思に基づいたモノがありません。

 もうひとつの違いは、僕の場合はそばにいる「人」に違いがあり、これも家族とは違う人だということです。

 つまり自宅って、自分の意思に基づいたモノと人に囲まれている環境で、それが日常では当たり前にように存在するため空気のようなものになっていたとしても、こうして長期にわたり自宅を離れると、そのことが自分に与えている好影響、言葉でいえば「安らぎ」「平穏」「安心」「気楽」「安堵」「好き勝手」「わが・まま」といったようなものの環境下にあることが見えてきます。

 もちろん自宅には自宅なりの制約等もありますが、こうして長期にわたり「離居」すると、そんなものも含めて自宅だといえ、自宅での人間関係が崩れると「別居」「離縁」を、モノへの愛着や機能不全を感じると「取り換え」を自分の意思で行動に移してきたってことがわかりますが、それだって「自分の意思の反映」だということでもあります。

 そんな風に考えてグループホームや特養を俯瞰すると、入居者は自分の意思とは無関係にその自宅生活をほぼ強制的にはぎとられるわけで、その人を支援していく僕らにとって、その心模様を感じとることが欠かせないのではないでしょうか。

 だからこそ、できるだけのことしかできなくとも、せめて愛着のあるモノに囲まれた居室生活にできないかと考えるし、せめてこれまでと変わらぬ暮らしの姿にできないかと考えるってことで、自分の意思とは無関係な環境に追いやられた状況下だからこそ、意思を確認し、意思が反映できるような仕組み・支援策にして、自分の意思が反映される環境づくりを追求するってことです。

 同時に、どれだけ他人から見て乱雑・汚れた自宅でも、そこで暮らす人にとっては欠かせない要素が詰まった環境で、それを他人の価値判断だけで変えてしまうことは無謀・暴力で、要素と心模様をくみ取りながらコトを進めていくべきでしょう。

 僕の東京生活滞在・滞在地は自分の意思の反映であり、強要されているわけでもなく、ホテルなどと違って、とっても快適であり不自由さは感じていませんが、どれだけ快適でも自由でも自宅ではなく、わが・まま(意思)と家族に囲まれた自宅生活の良さを実感しています。

 また、これは滞在させていただいている僕の側からの視点のみ述べていますが、僕を受け入れてくれている滞在場の方々も「日常の自宅」ではなく、窮屈な思いをしているでしょうからね。

 コロナの影響で介護施設に泊まらざるを得ない状況にある医療や介護の従事者は、僕とは比べものにならない「自宅以外」を感じ取っていることでしょうが、介護施設に入居せざるを得なくなった入居者の心模様を感じ取ることの大事さを周りの方々に発信していただき、「だからこそ、せめて」の発信基地になってもらえれば、「コロナ財産」ともいうべきコトを、この国に残せるのではないでしょうか。

写真

 東京滞在二週間になる先週末、ちびからお手紙が届きました。そのあともうひとりのちびからももらったのですが、その六歳のちびはポストに投函するときポストに向かって「トット(僕のこと)に届きますように」と柏手を打ったそうです。
 入居者も、面会やお手紙といった「心の贈り物」は心に響くことでしょうね。
 今はコロナでやむなく面会を禁じているところが多いでしょうが、「心の贈り物」は他にも手立てはあって、Web活用も一手だし、お手紙も一手、職員が家族からの言葉をひとこと伝えるのも一手。その上に「柏手のエピソード」が加わることで、さすがに僕も泣けましたからね。
 東日本大地震のときもそうでしたが、「心の贈り物」は人の豊かさを呼び起こしてくれます。

 ちなみに手紙には、上のちびから「コロナにかからないよう気をつけてください」と書かれ、下のちびからも「ころなにかかんないようにしてね」と書かれました。また下のちびからは出発前「トットお願いがあるの。東京のお仕事には行かないで」とも。
 名古屋も東京も同じようにコロナ渦にあるはずですが、子供たちにとって「東京は危ないところ」と思っているってことで、テレビの影響は大きいなって改めて思いました。