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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

お姉さん指の如く


 普段は「何のためにあるの」と思うくらい気にならない「お姉さん指」も、ケガ等で機能を果たさなくなると途端に、その存在感を増し「ありがたい存在」であることに気づかされたりする。

 僕の仲間で結成している災害支援法人ネットワークもそのようで、このたびの台風災害で「お姉さん指的存在感」を示せた。

 2011年の東日本大震災を機に、北海道から沖縄まで20法人で構成している会だが、このたびの台風で、会員が初めて直接的被害に遭った。

 状況を知った近県の仲間が、翌日に職員を引き連れて支援に入り、別の近県仲間が物資をもって入った。

 続けとばかりに、遠方の法人からも支援に駆け付け、床上浸水したグループホームの後片づけにあたることで、早々に避難先から戻ることができたし、その後は介護職員の補佐として支援を行った。
 合わせて被災している職員宅の清掃支援にも入り、時間の流れとともに要請に基づく物資の支援も行った。

 年2回、学びながら遊んで「顔を描ける関係づくり」をしているだけでお姉さん指のような存在の仲間だが、いざとなった今、その存在感を示せた。

 よく「空気のような存在」と形容されるが、非常に重要なのに当たり前すぎてその存在の大きさに気づけていない様を表しているのだろうが、介護職として空気のような存在になれることを目指してきた。

 今の僕は、直接婆さん支援に当たることはないが、婆さん支援に当たってくれている職員にとって立ち位置ではなく、心から「いざという時の和田さん」になれるよう精進しなければである。

 もうすぐ10月31日、僕の産みの親である親父さんの命日。亡くなって53年になるが、この日だけは一度も忘れたことはない。
 占い師に「背後で守ってくれている霊がいますね」って言われたことが何度かあるが、きっと産みの父親が空気のように当たり前に僕を守ってくれているのだろう。感謝である。

写真

 このあいだハノイ市の「ベトナム軍事歴史博物館」に初めて行きましたが、これはそこに飾られているベトナムを焼き尽くすほど爆弾を投下したB52戦略爆撃機の残骸のようで、ベトナム軍が撃墜したものでした。
 この博物館には当時の戦車や飛行機など軍事品が陳列されていましたが、改めて戦争のおぞましさを感じました。

追伸

 10月11日、僕にとっても初体験となる「夜通し12時間に及ぶトークの会:介護の晩餐スペシャル」は見事史上最強の台風で流れました。
 「さすが嵐を呼ぶ男ですね」って多くの人に尊敬されましたが、この企画が来年2月14日開催される運びとなりました。
 ゲストの皆さんに確認すると10月に出てくださる方がそのまんま来てくださることに。ありがたいことです。
 主催者の事情で決めた日程ですが、ゲストでもある僕のボスから「バレンタインデーですね」って言われてハッとしましたが、バレンタインデーに夜通し来てくださるか方々って僕を含めて…。
 30人限定ですが、振り切るか一緒に、ぜひ来てくださいね、よろしくです!