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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

男女の生きづらさの行き違い


 11月19日の「国際男性デー」に合わせて河北新報の実施した、男性を対象とするアンケート調査の結果に眼がとまりました。男性の4割が「生きづらさを感じる」と回答しています(https://kahoku.news/articles/20221117khn000009.html)。

 女性支援団体「Lean In Tokyo」が実施した調査でも、これと同様の結果が出ていることを神奈川新聞が報じています(https://www.kanaloco.jp/news/social/article-951128.html)。

 女性を対象とするジェンダーギャップはしばしば取り上げられてきましたが、これらの調査結果は男性もジェンダー別分業の価値規範の下で「生きづらさ」を抱えている実態を明らかにしました。

 男性には「家計を支えること」、「力仕事や危険な仕事」、「忍耐を重んじる精神性」、「伝統的な家父長制・家の継承」、「女性をリードし、デート費用などを多く出す」という家父長制的な性別役割分業と価値が求められる一方で、「仕事と家事・育児の両立」することも求められるという「股裂き状態」の辛さが明らかにされています(河北新報の調査)。

 女性支援団体の調査でも、「収入が高く安定的な職業・職種を選ばなければいけない」「昇進に対して野心的でいなければいけない・競争に勝たなければいけない」など、いまだに男性には「一家の大黒柱としての役割」が求められていることに生きづらさを感じていると指摘しています(神奈川新聞の報道)。

 以前のブログでも書いたかもしれませんが、子育ての渦中にあった時代に経験した私の苦衷があります。大学の委員会の会議が長引く中で、娘の保育所・学童保育のお迎えの時間が迫ってきたため、止むを得ず事情を皆さんにお話しして退室しようとしたら、お偉いさんの「大先生」から「お前は何をやっているんだ」と大声で罵倒されました。

 その時、私はこんな輩に反論しても相手は理解する気もないし無意味だと考え、「子育てしています」と答えて退室しました。後悔の念は全くありませんが、世間を相当狭めることになったのは事実です。

 職場の支配的な年配者が「男は仕事」「女は家事・育児」という価値意識を保持している場合、「自分は仕事一筋で頑張ってきたからこそ今日の社会的地位がある」という家父長的なプライドを持っています。

 すると、「仕事一筋だからこそまともな仕事ができるというのに、貴様は仕事と家事・育児に二股をかけるというのか。この不届き者め」となるのです。家父長制的な男の存在理由とプライドを傷つけられることを防衛するための抑圧的暴言です。

 その一方で、男女共同参画の波が職場にも押し寄せ、男だからと言って必ずしも正規雇用にありつける訳でもないとなると、現在の男性の多くが自分をどのように定位すればいいのか分からない。そうして、職場や家族の中で男性は「息苦しさ」や「生きづらさ」を感じてしまうのではないでしょうか。

 その一方で、妻の「ワンオペ育児」は男性の長時間労働に起因するのではなく、「家事や育児をしないことが男らしさ」という根強い夫の意識から発生しているという指摘があります(藤田結子明治大学教授、11月7日朝日新聞朝刊)。

 ここには、ジェンダー分業にもとづいて、妻に家事・育児をさせようとする支配志向があると言います。この記事では総務省の調査結果も引用され、6歳未満の子がいる共働き夫婦世帯の1日当たりの家事・育児関連時間の差は、妻の方が夫より4時間38分長く、「15年前と全く変わっていない」といいます。

 ここでも、「男性の生きづらさ」を明らかにした調査と同様の、「男は仕事」「女は家事・育児」という家父長制的価値規範が登場します。このようなジェンダー別役割分業を正当化する背景には、「夫の方が稼ぎは多いのだから当然」だという意見が根強く存在します。

 しかし、分け入って実態をみると、このような言い分は根本的に間違っています。様々な機会の不平等がもとから男女には存在します。女性がマタハラや出産後に主要な仕事から外されてしまう「マミートラック」に遭遇し、仕事を一度辞めざるを得なくなって非正規に転じるという社会構造的な問題が厳然として続いてきました。

 世界の中で男女の機会均等が最も進んだ国として評価されているスウェーデンでも、以前は「男は仕事」「女は家事・育児」という価値規範と現実に彩られていました。私が大学院生の1980年前半、北欧の視察から帰ってきた研究者から、「スウェーデンでも男女の平等の実現には苦労している」と伺った記憶が残っています。

 スウェーデンは、他の欧米諸国と同様、1960年代にラジカルなフェミニズムの運動の洗礼を受けています。「男の性役割を変えなければ、女の性役割も変えることはできない」として、「男女の伝統的な性役割を同時に変更することが社会改革の条件である」という意識改革が社会に広まりました(岡沢憲夫著『おんなたちのスウェーデン-機会均等社会の横顔』、133-135頁、日本放送出版協会、1994年)。

 「女性問題はそのまま男性問題である」というテーマの枠組みが明確に据えられたことから、「男女の連帯」に向けた粘り強い討議と社会制度の具体的な改革が進められるようになり、「男は仕事、女は家事・育児」という伝統的な性役割二元論は、スウェーデンで説得力を失っていったのです。

 男女の機会均等に向けた社会改革の大きな力となったのは、女性の社会参画の拡充です。女性が社会的就労や議会に進出することによって、性役割二元論を根本的に改革していた経緯は、前掲書に詳しく書かれています。女性の社会への参画が経済をさらに発展させ、社会をより豊かにしてきた姿が描かれています。

 わが国は、フェミニズムの洗礼を受けていない唯一の先進国だと言われてきました。実際、東京2020のオリンピック組織委員会のボスが女性蔑視発言で辞任を余儀なくされ、女性議員の中にも、女性差別を助長するかのような言動を続けている人がいます。

 わが国とスウェーデンの大きな違いは、二点あります。

 まず、わが国はこれまでの性別役割分業の変革に向けた真剣な話し合いを、男女が、夫婦が積み重ねてきたとはいえない点です。不満や生きづらさをそれぞれにうっ積していく傾向が強く、事態を改善するために互いに向き合い、討議する姿勢が弱い。

 もう一つは、男女の討議が進まないことを土台に、社会制度の具体的な改革が遅々として進まない点です。子育て支援策は親子のニーズとちぐはぐに進められ、マタハラやマミートラックは放置され、男性の育休取得もなかなか進展してきませんでした。

 それでいて、政策主体の口先では「ハラスメント防止対策」や「男性の育休取得」の推進に努力してきたとしているのです。男女の機会均等の実質的な改善に資する制度改革は不十分だった事実をどうして正視しないのでしょうか。

 男女の機会均等の不平等や差別の多くは、障害者差別も同様ですが、日常生活世界の多様な状況の中に紛れ込んでいます。「産休に加えて育休まで取得することは職場に迷惑がかかる」という古典的なものもあれば、義務教育の体育の学習指導要領の中にまで「男性を標準とするカリキュラム」が組まれてきたことによって、「女性の体育嫌い」に拍車をかけてきたという事実もあります(『「体育嫌い」を考える』、11月20日朝日新聞朝刊)。

 日常生活に紛れ込んでにわかには見出しにくくなっている男女の不平等に気づき、互いに向き合って話し合う文化を育むことから始める必要があるでしょう。差別との闘いには、粘り強い民主主義的な討議と制度改革を積み重ねるプロセスが必要不可欠です。

もみじ

 紅葉の美しい季節です。私たちの目にする紅葉は、太陽光を葉が透過した光と反射した光が混じって紅く見えています。この紅葉を見た目通りに撮影するためには、フィルムカメラの時代なら、CIRCULAR POLAR(偏光)フィルターをレンズに装着する必要がありました。今のデジタルカメラは、何もせずにドンピシャです。