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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

みんな修験者になりたがるのか


 前回のブログで、「頑張れば成功できる」「働いても貧しいのは努力が足りないからだ」という強迫的なメッセージの問題を指摘しました。この新自由主義的メッセージを補強する消費コンテンツはさまざまなメディアに溢れています。

 一つは、オリンピックを代表とする競技スポーツの「感動ストーリー」です。

アスリートのとてつもない鍛練の努力があり、それでも挫折や行き詰まりに直面して悩み抜いた挙句の果てに、人との出会いや新たなアプローチが展開して、「栄光の架け橋」を渡り切り、金メダルに輝く。

 競技スポーツの実況中継とともに、アスリートの感動ストーリーを重ねて流すのは、我を忘れて(自分の現実や環境を正視させずに)「頑張れば成功する」という感動的な幻想世界に視聴者を囲い込む常套手段です。

 この文化戦略は、かなり以前から若い人たちをターゲットの中心に据えてきました。

 実に分かりやすい単純さで感動物語を描いた映画作品に、シルヴェスター・スタローン主演の「ロッキー」があります。食肉加工の労働者である主人公が、人知れず努力を重ねてボクシングのチャンピオンに挑み、勝利を手にするという感動物語です。

 若かりし時代にこの映画を観た私は、主人公が鍛練を積む早朝の場面にいささか心を動かされました。トランペットの奏でるテーマソングのBGが流れる中で、生卵を数十個飲み干してランニングするシーンです。「俺も明朝から生卵飲んでランニングしよう」と。

感動ストーリーは、そのような主人公になりたいという人間の欲望を駆り立てるところに、強迫性の真骨頂があります。

 一流のアスリートの努力と成功の物語は、一握りの人間にのみ贈与される感動に過ぎません。普通に働いて暮らす多くの人々とは別世界の出来事です。一流のアスリートのような鍛練を凡百の衆生の努力の雛型にはできないのですが、成功物語に描かれる努力を鏡にして、「自分は頑張りきれていない」と自らを囲いの中に追い込んでしまうのです。

 ここで、公益財団法人スポーツ安全協会の「スポーツ安全協会要覧2020 ▶ 2021」をみると、スポーツ事故は山のように起きていることが分かります。次のデータは、安全協会の傷害保険加入者に限った数値ですから、実数はもっと多いでしょう。

 傷害事故の発生件数は166,455件で、傷害種別で見ると、捻挫58,137件(34.9%)、骨折51,658件(31.0%)、挫傷(打撲)21,817件(13.1%)が主なところです。あらゆる競技スポーツで事故は発生しており、その多くは通院153,344件(92.1%)で済んでいますが、入院は13,108件(7.9%)、死亡15件(0.01%)、後遺障害408件(0.25%)となっています。

 しかし、このような事実にメディアが光を当てることはめったにありません。オリンピック、高校野球、プロ野球、Jリーグ、サッカー・ワールドカップの「侍ジャパン」と「撫子ジャパン」(このネーミングは家父長制的共同体主義そのものです!!)など、ほとんどすべてを美しい感動ストーリーにもっていく。そうしないとスポンサーはつかない。

 これをドキュメンタリータッチで企業活動や普通の人の日常生活世界に引きつけようとするのは、古くはNHKの「プロジェクトX」、今は「逆転人生」というところでしょう。

 エンタメ系で強迫性に彩られている代物もあります。たとえば、テレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」です。出発地から限られた日数で、ひたすら路線バスを乗り継いで、乗り継げなかったらバスの途切れた間を歩いてつないでまで、ゴールを目指します。

 スマホ等でバス路線や時刻表を調べてはならないルールがあるために、地図を頼りに現地でそれを確認しなければならない。毎回、路線バスがつながるかつながらないか、ゴールまで到着できるかできないのかというハラハラの連続的展開がストーリーの味噌です。

視聴者のほとんどはこのような旅だけは絶対にしようとは考えないし、廃れゆくローカル路線バスの存続に役立っているとも思えない。「路線バスをひたすら乗り継ぐことに強迫されてあくせく努力する」シーンをつないでいった最後に、ゴールできれば「達成感」を演出して視聴者が共有する仕組みです。

 もう一つは、今月末に最後を迎えるNHKの「グレートトラバース‐日本三百名山・全山人力踏破」です。プロ・アドベンチャー・レーサーの田中陽希さんが全国に点在する三百名山を一切の公共交通機関を使うことなく、自力で踏破する前代未聞の企画です。

 この番組は、「百名山」のシリーズの時であればまだ、若かりしときに観た映画「ロッキー」の時と同じような気持ちに傾くこともありました。しかし、「三百名山」となって、自分も齢を重ねた分、「こんな強迫的な登山だけはしたくない」と思います。

 登山者を最も悩ませる体のトラブルに膝痛があります。膝痛で最も怖いのは、登山を重ねながら加齢が進んで膝軟骨が摩耗し、変形性膝関節症を引き起こすことです。

軟骨の回復は難しいから、膝を酷使しないことがトラブルを防ぐ唯一の方法だというのが、登山者の宿命です(https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1238)。

 この「グレートトラバース」は、山と山の間の移動も徒歩、山の中腹までロープウェイがあってもそれを使うことはご法度で、登山の起点は低い高度の登山道入口ですから、登山の累積標高差はとてつもなく大きい。もちろん、番組のナレーションは行程のすべてを感動ストーリーに運びます。

 それぞれの登山は通常のコースタイムよりもかなり早く、登山道の途中で走る場面もしばしば出てきます。とくに、下山はメチャクチャ早く、駆け降りているような感じ。いずれの場面も、集中力を途切らせることのない超人的な技の登山で、感嘆します。

 (ただし、何年か前から、登山マップのコースタイムは中高年の登山者を標準とするようになりましたから、プロ・アドベンチャー・レーサーの田中さんが登山マップに記されたコースタイムより早いのは当たり前のことではないでしょうか。)

 春先の北海道日高山脈大縦走では、何日もかけた過酷な縦走の最後の方で「内臓がかなり傷んでいます」という台詞まで出てきます。全身を鍛え抜いたアドベンチャー・レースのプロですから、普通の人とはまったく次元を異にする挑戦なのでしょう。

 それでも、不世出の冒険家である植村直己さんの冒険や登山のような孤高な偉大さとは異なる違和感を抱きます。メディアとインスタグラムによる感動物語への演出はない時代で、冒険の事実のみから滲み出てくる偉大さだった。

 この番組は、ドローンによる雄大な山岳映像と登山の様子を描き出し、感動物語に仕立て上げるナレーションに番組内外の「応援団」のかまびすしさも加わって、逆に、この挑戦のもつ奥行きに視聴者の側から想像力を働かせる間を剥奪しているのではないでしょうか。

 単なる消費コンテンツに貶められているような気がしてなりません。むしろ、はじめからこの点に番組作りが焦点づけられているのかもしれない。率直に言うと、50~60歳を超えた頃に「はたして膝軟骨は大丈夫なのか」と考え込んでしまうような登山は、「不健康で非文化的な挑戦」だと思ってしまうのです。

 「頑張れば成功できる」という感動ストーリーにメディアが仕立て上げる消費コンテンツの氾濫は、若者のテレビ離れを加速させる要因の一つです。

羅臼岳

 でも、山は確かに美しい。直前の「グレートトラバース」に登場した知床連峰の羅臼岳です。思わずうっとり眺めてしまう佇まいです。わが国ではこのような山の風貌への憧憬と畏怖が山岳信仰や修験道とつながりました。ひょっとすると「グレートトラバース」は修験者の世界を描いているのかも知れません。