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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

現代の差別について考える

 先日、私の授業のゲスト講話に出ていただいた下肢障害のある人は、わが国に特異な障害のある人への特別視・偏見があるとお話しされました。

 この人は歩くときに跛行します。欧米を旅行している最中には、街中で誰も跛行して歩く自分の方をじろじろ見る人はいませんが、日本では成田空港に着いた途端に、歩く姿をジロジロ見られて、それは街中までずっと続くと言います。

 「ジロジロ見る」人の中には、「何か困っていることがあるなら支援しよう」という考えの運びからの人もいるでしょう。

 しかし、わが国では欧米にはない「あちこちからの視線の圧力」を感じ、自分の歩く姿を見ていきなり「お前は、ハクチか」と暴言を吐いてくる人までいるというのです。

 この方の義足は、130万円を超える製作費がかかり、東京都の制度による自己負担分は4万円弱となります。この制度をどのように評価するかは、人によって意見が分かれるかも知れません。少なくとも、インターネット上では「大した生産性もない人に、自分たちの多額の税金が使われるのは許せない」という膨大な数の書き込みが確認できるのです。

 医療的ケアの必要な子どもたちへの支援についても、インターネット上では「経済的価値のない人間に、税金で手厚い医療保障をするのは間違っている」という書き込みが氾濫しています。

 子どもたちのいじめの舞台がサイバー空間になりつつあるのと同様、偏見と差別に係わる主戦場としてのサイバー空間を軽視することはできません。

 しかし、これらの特別視・偏見・差別は、陰湿な性質のものがある一方で、人間を経済的価値から一刀両断にするという単純な乱暴さの目立つものもあります。これらの背後に一体何があるのでしょうか。

 わが国の日常生活世界の地盤を掘ってみると、大きく3つの地層で構成されているのではないかと考えています。

 最も深いところの地層は「家父長制的共同体主義」で、まことに厚く硬い岩盤のような性質をもっています。

 その上に、人権を基礎にして自由と平等を尊重する「近代層」がありますが、薄く剥がれやすい雲母状の地層で、注意深く地面を掘らないと見落としてしまうこともあるでしょう。

 そして、現在の表面をなす地層は「超近代層」で「新自由主義と反知性主義」から構成されています。

 東京2020オリ・パラ大会組織委員会委員長の男性政治家が女性差別発言をして大問題になりました。国際的には猛烈に批判されているにも拘らず、本人と組織委員会はあまり深刻な問題ではないかのように振舞い続けました。この鈍感なまでの「前近代性」は、家父長制的共同体主義の地層に根を張っていることを示しています。

 私は以前、「拡大家族としての社会福祉法人」について論じたことがあります(一般社団法人知的障害者施設家族会連合会編著『地域共生ホーム―知的障害のある人のこれからの住まいと暮らし』、46‐51頁、中央法規出版、2019年)。

 「親亡き後」の問題を共有する縁で結ばれた障害のある人とその家族が、それぞれの家族だけでは守れない障害のある人たちの暮らしを、疑似的な拡大家族として社会福祉法人と施設を作ります。

 そして、当初は家族と関係者の「運動」から作られた社会福祉法人でありながら、そこで構成される権力構造は、「拡大家族」の存立基盤を守ることを盾にした家父長制的共同体主義に行き着きがちであることを明らかにしました。

 社会福祉法人だけでなく、お役所や民間企業を含むあらゆる組織が既得権益にしがみついて温存し続けようとする土台にもこの地層が据わっています。

 ここで、このムラ社会の支配的秩序に抗う人間に対しては、ムラの掟としての「ムラ八分」を実行します。私自身もある社会福祉法人でこのような目に遭いました(この時の理事会を録音した電子データを保存しています)。

 一部の障害者支援施設の業界団体の幹部が『地域共生ホーム』の内容から発言する当事者家族に対して「退会を迫る」蛮行を平気でするのも、「ムラ八分」の掟を盾にした行為です。

 このような社会福祉法人と障害者支援施設は、人権を基礎に自由と平等を据えた市民性が欠如していますから、サービス利用契約と個別支援計画への同意・捺印についても、形式的で一方的な儀式に変質させてしまいします(拙著『施設利用に伴うサービス利用契約と個別支援計画に関する実態調査報告』、前掲書、196‐246頁)。

 また、家父長制的共同体主義によるわが国における差別には、「より下の層」を作っておくある種のショックアブソーパーが組み込まれていました。

 江戸時代に起源をもつわが国の家父長制的共同体主義は、身分・性別による差別から秩序を構成します。支配層である武士が、民衆から年貢を巻き上げる不満の矛先をそらすための装置は、最下層の被差別部落を配置することでした。

 この仕組みが、民衆の日常生活世界の中に、「より下の者がいれば、自分は最下層ではないから安心できる」という精神構造を作り上げたのではないでしょうか。

 冒頭でふれた障害のある人を「ジロジロ見る」特別視は、共同体の異分子に視線で圧力をかけて「下に見る」ことによって、ムラ八分的に排除しようとする傾きを持ちます。今日のヘイトスピーチの根っこもここにあるような気がします。

 深層にある家父長制的共同体主義と現代の表層である「新自由主義・反知性主義」層が重なって増幅されたところでは、今日的な別の差別が発生します。

 それは、「生産性がなく金融価値の認められない人間」を徹底してムラ八分にしようとする考え方です。これが「生産性のない人間」に「税金を使うのはムダ」だとする主張の基本構造です。

 家父長制的共同体主義を土台に据えた新自由主義・反知性主義が、障害のある人の人権を挟撃することによって、特別視・偏見・差別を産出しているのではないでしょうか。

花梨と柿

 秋が深まりつつあります。選挙カーが行き交う中で散歩をしていると、花梨(かりん)と柿が並んで実をつけていました。総選挙に突入していますが、不思議なことに、膨れ上がったオリ・パラの経費問題について、どこの候補もあまり発言しません。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」方たちなのでしょうか。