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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

授業のオンライン化の未来に

 2020年度は、すべての人たちがCovid-19禍と向き合うことを余儀なくされました。大学では、感染防止のために授業のオンライン化が必要となり、試行錯誤の連続でした。

 埼玉大学は、昨年の授業開始は5月からと一か月遅れのスタートとなりました。私は、すべてをリアルタイム配信として、学生と時間を共有することによって双方向性を担保しようと考えました。でも、初動段階は、初歩的なミスが多かったと反省しています。

 まず、ZOOMの使い勝手に不慣れなことからくるミスです。たとえば、映像資料を提示するときに「音声を共有」にチェックし忘れ、1回分の授業をやり直す羽目になったことがありました。

「双方向性を担保する」といっても、対面式の場合と授業の進め方が違います。チャットを用いる、ブレイクアウトルームを用いてグループ・ミーティングを設けるなどの工夫を私が無理なく使えるようになったのは、後期の授業からでした。

 また、オンライン授業ではパソコンと通信環境が必要不可欠となります。年度当初は、急速に広まったテレワークとオンライン授業のために、Webカメラの入手が困難を極め、夏を過ぎた頃にようやく調達できるようになりました。

 スマホしか持たない学生は、授業資料が読み取りにくく、パソコンの購入を迫られました。きょうだいでオンライン授業を受け、お父さんがテレワークをしているような家庭では、授業の最中にしばしば途切れてしまうため、通信環境そのものの改善にも出費がありました。

 私は、前年度にたまたま通信環境を見直してゆとりを持たせてあり、Webカメラとマイク搭載のノートパソコンを持ち合わせていたため、年度当初の授業からオンラインに対応できました。が、先生の中には、通信環境とWebカメラ・マイク等の購入に大変な苦労をした方もあったでしょう。

 少人数の授業ならオンラインでも遜色はないという議論があるようですが、基礎的な信頼関係を対面上で形成しきれていない場合は、議論の双方向性について私はいささか難しさを感じます。

 それでも、大学まで来ていただかなくても、遠方にいるゲストやモビリティに困難度の高い全身性障害のある方に授業で講話していただくことができたのは、私にとって新鮮な発見でした。また、学生の方も、世界のどこにいてもオンライン授業を受けることができ、実際、入国制限のかかっていた留学生は海外に居ながら私のオンライン授業を受けていました。

 このように、Covid-19の問題から「止むを得ず」に始まった授業のオンライン化の一年を振り返ってみると、とても大きな課題が大学に突きつけられているのではないかと考えるようになりました。ポストCovid-19の大学に、これまでのようなキャンパスと教師が本当に必要なのかという問題です。

 この点について、東京大学教授の吉見俊哉さんの「ポストコロナの大学論-キャンパスは本当に必要なのか?」(雑誌『世界』2020年9月号、221-233頁、岩波書店)を読み、かなり衝撃を受けました。

 大学教育の根幹は「教師と学生が学問的な問いを共有すること」にあり、オンライン授業における教育効果を上げるためのさまざまな方法論的工夫によって、この問題はクリアできると言えそうです。

 その上、授業のオンライン化は「オープン・エデュケーション」に通じています。大学教育がキャンパスを越えて市民に開かれていく「オープン・ユニバーシティ」は、すでに「アジアで40校以上、ヨーロッパで約20校、アフリカでは約10校」が設立されています。

 そして今や、マサチューセッツ工科大学のオープンコースにある人気科目の授業には、アクセスするユーザー数が数十万の単位にのぼっているというのです。

 すると、できあいの教科書を「学生に買わせるため」の授業や、政府当局の解釈をなぞるように教えているだけの、学問知とは無縁のつまらない授業はオープン・ユニバーシティの潮流の中で淘汰されるのは間違いありません。

 学問的に優秀な限られた先生の授業がオンラインで配信されていれば十分だということになります。見解の異なる学説を展開する複数の研究者の授業も、並行して受けることができるようになります。

 大きなキャンパスの維持費・光熱水費と教職員の人件費の必要から、授業料が高額化している問題は、授業科目のオープン化によって改善されるはずです。大学教育にアクセスする敷居は下がり、有名大学のある都市部での下宿生活や通学から解放されるでしょう。

 すると、大学とその教師は、かなり淘汰される可能性が出てきます。大学のキャンパスに残される機能は、実技・実習・実験による教育を対面でしなければならないものに限られることとなります。

 近代以降の大学の基本は、人文社会科学系ではゼミナールを、理系では実験をそれぞれの学問的な問いを共有するための根拠地にしてきました。この大学のあり方を根本的に問い直す必要が提起されているのです。

 実際、先の雑誌『世界』の吉見さんの論文は、キャンパスを持たず、オンライン化を徹底して、少数精鋭教育を実現しているミネルバ大学の取り組みを取り上げ、その可能性について考察しています。

オンラインを学生数の拡大に用いるのではなく、校舎・スポーツ施設・図書館・食堂などを一切持たずに大学の運営コストを大幅に削減しながら、オンラインによる最高レベルの学びを実現しています。

 ミネルバ大学が維持する施設は、世界各地の学寮です。「世界各地の七つの都市を渡り歩きながら学びを深めていくフィールドワーク型のカリキュラム」を採用しています。学外の「俗世間と切り離された」キャンパスの中に学びの「理想空間」を求めてきた幻想を払拭し、大学は「社会課題の現場の中で学問知の批判力や想像力を試し続ける」のです。

 このようにみてくると、たとえば福祉系の大学は、キャンパスを不要とする大学の最右翼にあると言えそうです。日本の大学は、オンライン化と少子化に伴う受験生の減少の両面から、新たなパラダイムへの転換が問われています。

枝垂桜

 さて、桜が満開になりました。自宅の近所に桜並木があり人出は実に多く、第4波へのリバウンドを回避しようする雰囲気は微塵も感じられません。「インスタ映え」を狙っているのでしょうか、「自撮り棒」に「一眼レフ」「ミラーレス一眼」が咲き乱れています。

ナズナと仏の座

 でも、この時節は、足元にも可愛い花が咲いています。ナズナの花言葉は「あなたに私のすべてを捧げます」、仏の座は「輝く心」ですから、実に豪華な協演です。