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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

森と樹木の社会福祉

 ペーター・ヴォールレーベン著『樹木たちの知られざる生活-森林管理官が聴いた森の声』(ハヤカワノンフィクション文庫、2018年)を読みました。森と樹木の生活をつややかに解き明かしています。

 樹木には「コミュニケーションを交わし、ときに助け合う」能力と社会性があるといいます。驚いたことに、森と樹木の世界には「コミュニケーション」があり、「木の学校」や「社会福祉」の営みがあると言います。

 まず、森の「社会福祉」とはどのような内容でしょうか(同書、「社会福祉」27‐32頁)。

 「ブナなどの木は仲間意識が強く、栄養を分け合う。弱った仲間を見捨てない。」

 ヴォールレーベンさんの管理するブナ林の木々は、「どれもまるで申し合わせたかのように同じ量の光合成をして」います。それぞれの木は、土壌の質や日光の当たり具合など、異なる環境に立っているというのに。

 申し合わせたかのように同量の光合成となるのは、地中の根と菌類の巨大なネットワークによって木々が情報を交換し、「豊かなものは貧しいものに分け与え、貧しいものはそれを遠慮なくちょうだいする」ことによって、「太い木も細い木も仲間全員が葉一枚ごとにだいたい同じ量の糖分を光合成で作り出せるよう」支え合っているのです。

 そこで、ヴォールレーベンさんは、「立場の弱いものも社会に参加できるようにする社会福祉システム」が森と樹木の生活世界だと表現します。ドイツの森林管理官には、社会福祉についても的確な理解と教養があるようです。

 森の土は、ティースプーン一杯に数キロメートル分の菌糸が含まれていて、これが「インターネットの光ファイバーのような役割を担い」、木々が情報と栄養を交換するネットワークを築いています。

 葉を食べる害虫や草食動物の到来があると、このようなネットワークを通じて情報を伝達します。情報を受け取った木々は、葉を不味くするための物質や毒となるものを体内に駆けめぐらせて防衛するシステムとなっています。

 また、ブナ林の森の中では、親木による若い木の「教育」が営まれています。ドイツの林業の世界では、昔から「教育」という言葉を使ってきたと言いますから、業界の常識なのでしょう(同書、「ゆっくり、ゆったり」45‐51頁)。

 子どもの木の傍には頭上に大きな枝葉を広げる親木が立っており、親木の枝葉を通り抜けて子どもの木に届く日光は、わずか3%に過ぎません。そこで、子どもたちは、「ゆっくり、ゆったり」と育てられるのです。

 ゆっくりと育てられる若い木は、「柔軟性が高く、嵐がきても折れにくい。抵抗力も強いので、若い木が菌類に感染することは殆どない」丈夫な木となり、長生きできる体質になります。

 日光が届かないために子どもたちの木が我慢を一方的に強いられているのではありません。人間の母親が赤ちゃんに母乳を与えるように、親木は根を通じて子どもたちに栄養を分け与えつながり合っているのです。

 ヴォールレーベンさんによると、樹木には学習能力のあることが確認されているそうです。でも、森の木は「3歳を過ぎたら遅い」から「早期からの英才教育が必要だ」とか、若いうちは「ハングリー精神で耐え抜けるようにならないとダメだ」などとは考えない。

 では、親子関係を含む森のネットワークの中で育てられなかった木はどうなるのでしょうか。その例証が、北アメリカの森からヨーロッパに連れてこられたセコイアの木の「ストリート・チルドレン」です(同書、「ストリート・チルドレン」191‐201頁)。

 ヨーロッパのセコイアは、街中の公園などに植えたものが多いそうです。北アメリカの森にいる親や親戚から遠く離れたところに移植されてしまったため、幼木をサポートする保護者はいません。

 公園には様々な種類の木が、人間の勝手にしたがって植えられています。しかし、他の種類の木が幼木のセコイアを育てるのは、「カンガルーやザトウクジラが人間の赤ん坊を育てるようなもので、うまくいくはずがない」と指摘します。

 だから、北米出身のセコイアは、「一人ぼっちで生きていくしかない」という孤独を強いられて生きているのです。

 公園に植えられたセコイアの若木は、日光がたっぷり当り、土壌が乾燥すると公園職員が水を撒いてくれて、「やりたいほうだい」に育ちます。

 しかし、「ゆっくり、ゆったり」育ててくれる親木のいないために、根や幹が弱く、長生きできないのです。北米のセコイアは本来の樹齢が数千年であるにも拘らず、ヨーロッパにきた「ストリート・チルドレン」のセコイアは、百年を過ぎた頃に生長が止まります。

 しかも、公園や並木道の木々は、樹冠の形を整えるため刈り込まれたり枝を切り落とされたりします。このような「手入れ」は木々にとっては「暴力」だといいます。虐待された街の樹木は、抵抗力を弱め、根も痛めてしまう結果、短命に終わると言います。

 森に佇む木々と街路樹の生気がまるで違うと感じてきたことには、ちゃんと訳があったのですね。

 数百年~数千年というタイムスパンの中で樹木の生長を見ない人間の勝手さが、木々に対する虐待を産んでいるのです。SDGs何ていいながら…。

 「社会の真の価値は、そのなかの最も弱いメンバーをいかに守るかによって決まる」という言葉は、「樹木が思いついたのかも知れない。森の木々はそのことを理解し、無条件に互いを助け合っている」と(同書、32頁)。

北海道の原生林

 さて、PCR検査を受けました。感染者との濃厚接触が疑われたのではありません。内視鏡検査でポリープが見つかって切除した場合に一泊入院することになるため、あらかじめ検査を受けることになりました。

 検体となる唾液2mlを出すことに少し時間はかかりましたが、検査結果が出るまではわずか2時間余りでした。PCR検査の結果は陰性で、ポリープの切除もなく安堵しました。しかし、今でも公的保障によるPCR検査の実施体制が行き届かない現実には、苛立ちを覚えます。森と木々の助け合いを見習うべきです。

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