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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

松本哲也さんのゲスト講話

 先週、私が担当する埼玉大学の全学開放科目「福祉と出会う」に、シンガーソングライターの松本哲也さんをゲストとしてお招きしました(松本哲也さんについては、 8月24日9月7日のブログ参照)。

オンライン授業-右端中央が松本哲也さん

 受講生の皆さんには、すでに薬物依存症に苦しんでいた母親との関係や養護施設・教護院での暮らしを含むお話をしており、先週は松本さんの最後のセッションとして受講生とのやり取りをしながら進めました。

 率直な語りの中から、松本さんの自らの人生・他者・音楽と向き合う信実さが滲み出るような授業となりました。松本さんは今、新しいアルバムの制作中で、ご多忙であるにも拘らずゲストとしてご協力いただけたことに改めて感謝申し上げます。

 当日の松本さんの語りにあるかけがえのなさは、私にはとても代弁することができません。そこで、授業の中で明らかにすることのできた二つの点に絞って、皆さんにお伝えしておきましょう。

 一つは、被虐経験や母親との関係にあった辛い過去をどのようにして受容するに至ったのかについてです。

 養護施設で過ごした小学生時代から、ずっと母親と一緒に暮らしたいと思い続けていました。教護院を出てコック見習いとして東京で暮らすようになっても、この思いは変わらなかったと言います。

 そして、ミュージシャンとしてメジャーデビューを果たしてようやく母親と一緒に暮らすことが実現できると思った矢先に、母親は他界してしまうのです。

 この生い立ちにある辛さや不条理を受けとめる契機となったのは、『空白』(2004年、幻冬舎)の執筆でした。この本のタイトルは「母親との関係の空白」を意味しており、生い立ちの事実を丹念に明らかにしながら、本の最後は「この空白を愛することに変えたい」で終わっています。

 松本さんにとってのこの本の執筆は、「自分の中に閉じ込めていたことを引き出し、思い出したくないことを思い出し、はっきりしないことは当時の関係者に取材して明らかにして」書く作業だったと言います。

 しかし、過去の事実を詳細に辿るだけでは、松本さん自身はとても納得できず、受容できるような気持にはなれなかったのです。このもやもやとした濁りある気持ちを転換することになったのは、2009年制作の映画『しあわせカモン』(TCエンタテイメント)です。

 この映画は、お母さんを主人公(鈴木砂羽)に据えたストーリーとなっており、母親が覚醒剤中毒に喘ぎながらも、わが子をいつくしもうともがいてきたプロセスが描かれています。この映画によって、大人になった松本さんは「少年松本哲也」と再会し、ずっと「空白」になっていた母親との積極的な関係性を取り戻すことになります。

 そして、「あの時、母親はこんなことを考えていたのかな」、「今でも、母親は天国から応援してくれているのだろう」という現在の心境を松本さんからお話しいただきました。

 このお話の中にはとても重要な中身が詰まっています。著書『空白』の執筆から映画『しあわせカモン』の製作までのプロセスは、辛かった過去の体験に対する効果的な暴露療法(被虐体験やトラウマに対する認知行動療法の一つ)を構成し、今でもお母さんは松本さんの心の中で親密圏を構成しているのです。

 もちろん、母親自身の人生と子どもの人生を苦しみに追いやった薬物とその依存症については、憎んでも憎み切れないと明言されました。

 もう一つは、松本さんにとっての音楽とは何かという点です。

 養護施設で過ごした時代に、ある若い職員がギターで弾き語りをしていた姿に打たれます。ギターは「素晴らしい音を奏でる魔法の箱」で、それを1人で奏でながら歌い、演奏者の世界を拓くことができることにはかりしれない憧れを抱きます。

 小学校では、一般家庭の子どもたちと同じようなお菓子やテレビゲームの話ができない寂しさがあったものの、養護施設を出て中学生になったら「あの魔法の箱を絶対に買う」ことが夢となって松本さんを支えていたそうです。

 非行に走る中学生時代に、中古のアコギを手に入れて練習をしはじめますが、その当時から曲作りをしています。「自分が荒れているときはガーッと弾くし、優しくなりたいときはポロンと優しく奏でる」と、音楽が自己表現であり、かけがえのない自分そのもののようです。

 教護院の音楽の先生にギター演奏を「すごいわ」と褒められたことは、大人から認められた貴重な体験であり、教護院の運動会のテーマソングを作曲してみんなが喜々として歌った事実は、音楽を通して人を元気にして輪=和を作る力を実感することになります。

 東京に出てストリートライブを始めてみると、「何かを抱えた若者」が聞きに来るようになりました。ストリートライブの場は、いつの間にか「いろんな若者の居場所」になるとともに「自分の居場所」にもなっていることを実感したと言います。

 自己表現としての音楽が、人を勇気づけ、仲間の輪を広げていく営みそのものに、松本さん自身のレーゾンデートルを感じておられると思います。だから、松本さんの音楽は、「儲けるための手段」に堕することはないのです。

 松本さんは今でも教護院(現、児童自立支援施設)や養護施設(現、児童養護施設)の子どもたちを支援する活動を続けています。養護施設や教護院にいる子どもたちのほとんどは、未来を諦めがちだと言います。

 そこで、松本さんは、苦しかった子ども時代の自分自身に会いに行ったつもりで、「子ども時代の辛い体験は必ず生きる希望に転換することができる」のだから、これからの未来も切り拓くことができるのだというメッセージを伝えようとしているとお話しくださいました。

 短いこのブログの文章ではとても語り尽くせない内容が豊富にあったと思います。少なくとも、松本さん参加していただいたこの授業は、受講生にとっての希望を灯したことは間違いありません。オンライン授業だからこそ盛岡から参加して頂けたことも含めて、貴重な授業だったと受け止めています。

 松本哲也さんの昨年末のクリスマスコンサートがYouTubeで無料配信されています(https://www.youtube.com/watch?v=MOg-Wnklfxg)。素晴らしいコンサートですから、みなさんもぜひ視聴してみてください。

試験会場の入口にある体温測定期

 さて、先の土日ははじめての共通テストでした。大学が試験会場のところでは、ソーシャル・ディスタンスをとる空間的ゆとりがありますが、高校が会場の場合は3密を回避できたとはとても思えません。不思議なことに、この点を報道したマスコミはまったく見当たりませんね。緊急事態宣言の最中にある、巨大な人流と3密であるのに。