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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

松本哲也さんとお話しして

 先日、盛岡で松本哲也さんからお話を伺いました。コーヒーを飲みながら、あるいは、酒を酌み交わしながら松本さんとお話をすることのできた時間の流れは、とても有意義で心躍るひとときでした。

 シンガーソングライターの松本さんには、以前から一度お会いしてお話ししたいと願っていました。松本さんは、著作『告白』にあるとおり(8月24日ブログ)参照)、生まれそだった家庭に困難があり、虐待と非行にもとづく養護施設と教護院の暮らしをくぐって、現在シンガーソングライターとして活躍している方です。

 ぜひお会いしたいと最初にお電話した時のことです。電話口に出た松本さんは、いかにも腰の低い話しぶりで、私の期待が的を射たものであることを直感しました。

 松本さんは2002年にメジャーデビューしています。当時のマスコミの取り上げ方は、「父がヤクザ、母が覚せい剤中毒」で、養護施設・教護院出身者の「サクセス・ストーリー」を仕立て上げるばかりでした。

 人の人生をニュースのネタとして消費するワイド・ショー的な取り上げ方には、松本さんはもとより、松本さんとつながりのあった養護施設や教護院の関係者にも迷惑以外のなにものでもなく、とても辟易されたのではないかと思ってきました。

 生まれ育ちに著しい困難があって、それを「バネ」に「サクセス・ストーリー」を飾ったシンガーの一人に矢沢永吉さんがいます。その世界観は『矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG 』(角川文庫) に描かれています。

 生い立ちの困難をどのような方向で生き方の「バネ」とするのかは、人によって大きく異なります。松本さんには、「成りあがって金持ちになるほど幸せも大きくなる」という価値観とは対極にある音楽と生き方があると感じてきました。

 今回お会いできて、私の予感は確信に変わりました。「不断の甦りと共生」という私の予想してきた松本さんの価値軸は、岩手という地域に根を張って音楽を創り、多様な境遇にある子どもたち・若者と共に生きる音楽活動を追求してきた事実に表れています。

 それは、あたかも宮沢賢治の求めた生き方とイーハトーブに重なるイメージであり、目的意識的に「土くさい生き方」を選択されていると感じました。この生き方の形成と深化には、直面した困難に寄り添って支える人との出会いがあり、自分の生活と人生を表現する音楽があります。

 音楽の原点は、ギターをはじめて練習し始めたときに使った「フォーク大全集」にあるとのことでした。松本さんの曲のベースに1970~80年代のフォークを感じていましたから、この点はとても納得しました。

 矢沢永吉がロックの立場からフォークに挑戦状を叩きつけた点からいうと、音楽の世界観も矢沢さんとは対極のものだったといえそうです。

 非行に傾き学校にも行けない中学時代にギターを弾き始めています。いとこの持つオフコースのカセットを聴きかじる一方で、コード進行やアルペッジョ(arpeggio〔伊〕:和風には「アルペジオ」と言うことが多い。分散和音のことで、和音を構成する音を同時にではなく、1音ずつ分けて演奏すること)の練習に打ち込んだと言います。

 いうなら、ギターに夢中の「不良中学生」ですが、この時代から、自己流で作曲をはじめたと言います。当時から、生活のシーンやライフイベントから歌詞が湧き、それに音楽を乗せて行く作曲技法だと伺いました。

 ギターをいじり始めて即、作曲を試みていたという話にはいささか驚きました。これは間違いなく才能です。恥を忍んで告白しますが、私には作曲の勉強をした経験もあるのですが作曲は努力しても丸でダメでした。作曲には努力も必要ですが、才能が先にくると思っています。

 生活シーンやライフイベントから歌詞が作られるベースは、養護施設で毎日書かされた日記の習慣だったそうです。教護院を出た後の、東京でコック見習いをしていた時代に、先輩のコックがしている作業やレシピを細目にメモできたベースも、やはり養護施設時代の日記にあると言います。

 生活とモノづくりに生きる言葉の力があり、その言葉を活かして論理的に考える力のあることをお話しする中でも強く感じました。一言でいうと、話している中で気持ちのいい頭の良さを感じさせてくれる人柄です。実際、小中学校時代の成績はとても良かったそうです。

 そして、教護院を出た後も、崖っぷちに立たされてしまう多くの試練に直面します。しかし、その度に舞い戻って自己を新しく甦らせる活動は、必ず音楽でした。自己復元力を発揮させる活動が常に音楽だったといえるでしょう。

 困難と苦渋に満ちたライフイベントから歌詞が湧き、それをギターの音に乗せて行く音楽が、常に新しい自分と人生を切り拓く営みとなっていました。音楽を通じて、自己が被った傷を修復し、前を向いて立ち直し、新しい人生に歩みを進める-その象徴ともいうべき名曲は『ユキヤナギ』です(https://www.youtube.com/watch?v=uvw7u_NSg5M)。

 松本さんにとっての音楽とは、「ビッグになる」ためのものではなく、悲しみと喜びを噛みしめる自己表現であり、喜怒哀楽と労苦を多くの人たちと分かち合いながら、共に平和な世界を創る営みであると考えます。

 松本さんとの会話を通して、学校教育と福祉的支援に係る数多くの根本的な課題について、改めて検討し直す必要があると感じます。松本さんのこれまでの歩みは、生い立ちや人生の試練を肥しに変えて世界を切り拓く道が間違いなく存在することを指し示していますが、教育学や福祉研究がそのような「道」のありかを詳らかにしているとはとても思えません。

 困難や試練と闘いそれを乗り越えるための支援とは何か、血のつながりによらない発達と活動の根拠地となる支援者はどうあるべきか、家族の破綻した子どもたちと支援者が形成すべき親密圏とはどのようなものか、歌詞を創る力のベースは学校の国語教育ではなく養護施設の日記だったのはなぜか、音楽を創造するきっかけとエンパワメントとなったのは学校の音楽教育ではなく教護院の音楽だったのはなぜか、1980年代の「荒れた」中学校に巣食っていた学校と教師による児童生徒への暴力的な抑圧への反省を当時の教師たちはしているのか…。

松本哲也さんと-もりおか啄木・賢治青春館で

 2022年は松本哲也さんのデビュー20周年を記念する年になります。半生を著した『告白』の世界を踏み越えて、岩手に根を張った新しい音楽の世界を切り拓いていかれることを心から期待しています。