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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「個別の学び」に疑問符

 文部科学省の教育将来像報告に向けた動向を6月3日の朝日新聞朝刊が報じています。この記事では、6月5日に報告書が公表されるとありますが、未だに見当たらないため、新聞記事による情報だけで書き進めます。

 新聞報道によると、小中学生たちの学習状況や成果をデータ化して蓄積し、一人一人の特徴に合う「学びの個別化」の研究開発に、文部科学省が乗り出すというものです。

 この背景には、AI(人工知能)技術の発達が人間の多くの仕事を代替するようになり、必要な能力が刻々と変化するようになったことがあります。このような状況を踏まえて、それぞれに合う学びの「個別最適化」を進め、「自ら考え抜く自立した学び」を実現しようとするものだそうです。

 また、高校段階から理系と文系を分けることを改め、大学で人文・社会科学系の学部に進んでも数学や工学などAI技術にかかわる素養を身につけさせるようにするなどの提案を盛り込んでいます。

 時代に応じた教育の在り方が求められることは言うまでもありませんから、文科省の今後の政策が新しい時代にふさわしい国民の学力と教養の向上に結実することを期待しています。

 しかしまず、「時代に応じた人づくり」と言われると私くらいの年代になると、ちょっとやそっとでは信用しない癖が身に沁みついています。

 私は高校生の時代に「石油ショック」があり、それ以降、長い「円高不況」期を経て、バブルの時代に突入し、バブル崩壊後の「失われた20年」があり、好景気が「戦後2番目の長さも給料増えず」で「じっと手を見る」だけの毎日という現在に至っています。

 それぞれの時代に光の当たる「花形分野」は、10年もたたずに陳腐化する一方で、あらゆる職場が「即戦力を求める」という下劣な要求を叫ぶようになる現実をつぶさに見てきました。「即戦力」とは、特定の時代の求める能力が陳腐化すれば「即リストラ」となる人材に過ぎません。

 司法制度改革や社会福祉基礎構造改革などは、資格制度と一体化した大学教育と制度そのものの「大改革」だと叫ばれて実行されました。ところが、弁護士の年収平均は400万円台となり、法科大学院はどんどん店仕舞いに追い込まれ、保育・福祉・介護現場に働く職員の月収は全産業平均よりかなり低くて人手不足が慢性化しているとか、芳しい話題はほとんど出てこないのです。

福祉分野は、人材確保そのものにさまざまな課題が山積みです。介護福祉士養成指定施設の定員充足率をみると、2007年の定員26,095人に入学者16,696人で充足率64.0%が、10年後の2017年には定員15,891人に入学者7,258人で充足率45。7%と下がり、定員自体が6割に、入学者は4割にまでそれぞれ縮減して充足率が大幅に下がっていることが分かります。

 それぞれの時代に求められる「有為な人材」の養成に期待を込めた学生と教育機関は、はたして振り回された嫌いがなかったとでもいうのでしょうか?

 子育て・家族形成を安心して見通すことのできる雇用の仕組みとワークライフ・バランスを配慮した「働き方改革」を放置したままの「新しい時代にふさわしい人材養成」は、結局、離職率を高めて国力を下げることにしかつながっていないのではありませんか。

 次に、「個別の学び」というコンセプトを素直に受け止めること自体が私には難しい。

 先の新聞報道によると、従来の授業は、教師が集団に対した「一斉一律」で個々の理解よりも「平均を優先」させるのに対し、「学びの個別化」は子どもの学習履歴や成果をデータ化した上で、「それぞれに合う学びを選択」するといいます。

 これは、社会福祉基礎構造改革の核心部分にあった論理と同様です。それぞれにふさわしい「個別支援計画」を自己選択してもらうことによって「支援の最適化」をはかる。個別支援計画と支援は、断片化されたニーズ・サービスの組み合わせから構成し、それぞれの支援サービスに対して介護報酬または事業者報酬を支払う。

 このような仕組みに「構造改革」することによって、「授産施設」「更生施設」「通勤寮」等の支援の枠組みと基盤を構成する施設種別は廃止される。そこで、生活ニーズの全体性に対応するサービスの基盤と枠組みは消失し、施設等の最低基準は国家基準から規制緩和して条例による地方分権に替え、サービスをどのように実施していくのかはサービス利用契約・個別支援計画と事業所の経営・運営の課題とする。

 これらのことを義務教育に当てはめるとすれば、一定の要件を満たすことを条件に、個別の教育サービスがニーズに即して提供されてさえいれば、フリースクールも塾も「公教育」と認定されて「教育事業者報酬」が支払われることになる。

 少子化の進む地域で増加している「小中学校」(児童人口の減少のために小学校と中学校を単独では設置できないことに対応する設置形態)を「義務教育学校」として小中の区分をなくし、「飛び級」も「個別の学び」として自由にできるようになる。

 学校の基準面積や施設設備等については国家基準を廃止し、自治体が条例で定める仕組みにする。教員免許状の仕組みは廃止して国家資格化し、民間が提供する「教育サービス」の質を担保する要件として機能させる。現在の教員免許状更新講習は、「日本学校教育士協会」(こんな感じの名称になる?)の更新講習ビジネスに引き継がれる。児童生徒数に対する教員の配置基準では「常勤換算教員」という用語が使われ、非正規雇用の教員の比率を上げていく。

 現在、発達障害のある子どもたちへの取り組みを一部の塾が盛んに取り組むようになっているのは、将来の義務教育が「学びの個別化」をテコに多元的供給主体によって担われるようになることを見越した動きではありませんか。

 この背後には、少子高齢化の進展による市町村と義務教育諸学校の統廃合問題があることは間違いありません。学校という教育の基盤と枠組みを解体して「個別の学び」に断片化する「改革」は、これらの統廃合につきまとう自治体間と地域住民間の軋轢を回避する方便ともなり、義務教育に係る公的独占を「規制緩和」「岩盤改革」し「多元化することが必要」だと主張されるようになるのではないでしょうか。

 どうか、私の妄想か杞憂に終わってほしい「個別の学び」の今後です。

山形のさくらんぼ

 さて、山形のさくらんぼのシーズンです。さくらんぼは、子どもから大人まで心ときめく果物ですね。さくらんぼの芳香に甘さと酸味のバランスがとてもよく、食べ始めると夢中になります。アメリカンチェリーと山形の佐藤錦とは、私にとってまったくの別ものです。佐藤錦は実に美味しい!