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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

俺たちの中年を返せ!

 先日博多で、障害のある子の親御さんや施設・事業所の支援者とともに、障害のある人の地域生活の充実とこれからの支援のあり方について話し合う機会を持ちました。

 ここに集う人たちは共生社会の形成視点に立って、すべての障害のある人たちの生活の豊かさを本気で考えて議論する人たちです。自分たちの利害を優先的に考える方向に傾かないところに、社会的な信用と信頼があります。

 バブルがはじけた後のわが国は、一方では、中高年のリストラの嵐が吹き荒れ、他方では、若者に就職氷河期と非正規雇用の厳しい現実が襲いかかりました。

 結婚して、子どもを産み育て、住居を確保し、子どもの高等教育と就職による自立を確保した後に、落ち着いた老後を迎える……。多くの勤労者は、このような展望を共有することができなくなりました。
 命と暮らしをつないでいくことに難しさの拡大していった時代に、障害のある子どもを育てることには「ご苦労もさぞや」としばしば思います。

 子育てを営むことのできるプロセスには、親が子を育み、親が子に救われる相互作用の中に暮らしの喜怒哀楽があり、いずれは子どもの自律の達成によって親役割から解放される時を迎えます。また、そうありたいと多くの親は願っています。

 このプロセスに社会的な支援の行き届かない暮らしの現実を余儀なくされると、「親の心配」からなかなか解放されず、そのことがまた、子の自律する契機を見失ってしまう事態さえ引き起こしています。

 子どもの自律していくプロセスには、親が安心して距離をとれるような社会的支援の充実が必要です。このような支援の貧しさは、親子の共依存や果てしない親の心労を生み出す元凶です。子どもが思春期に入り、親が中年になったときこそ、人間と社会の豊かさと充実を感じとることのできる社会こそ、活力ある社会というのではないでしょうか。

 しかし、わが国はどうもそうではありません。親は、わが子の障害のある無しにかかわらず、「俺たちの中年を返せ!」と叫び、貧困と自律困難に喘ぐ若者は、「俺たちの青春を返せ!」と叫ぶ構造になっている。

 世が世なら、「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(のりをこえず=自然の法則から外れない)」と、孔子様の御教えに従った人生を運びたいのはやまやまです。

 ところが今や、「15にして親の失業と学費を心配し、30になって精神的にも生活面でも自立できず、40にして人生をますます疑って迷い、50にして天命を恨み、60にして聞くところの多くが不合理でとても受け止めがたく、70にして法制度をひっくり返したくなる」というような展開になりかねない。

 人生全体にさまざまな格差と困難を放置することは、新たな保険商品のビジネスチャンスを拡大することにつながっていますし、まじめに働いて人生を充実させていくという当たり前の営みと価値を掘り崩します。それはすなわち、社会的排除が横行する分断社会を構成することになります。

 このような社会的排除に抗した営みが社会のあらゆる領域で追求され、福祉的支援の重要な課題と位置づいて努力が続けられた度合いに応じて、私たちはソーシャル・インクルージョンに接近することができるでしょう。

博多の水炊き-とり田薬院店で

 さて、博多名物の水炊きを頂戴しました。実は当初、「いくら美味しいといっても、水炊き何てありふれた料理でしょうよ」程度に構えていました。今、博多の食文化に対する私の無知と不明を恥じています。

具と薬味

 丸鶏を6時間煮て取った白濁の出汁には極上の旨みがあり、鶏の肉と骨から出やすい臭みやえぐ味はまったくありません。この出汁を最初にいただくのですが、本当にピュアな鶏味です。出汁を取るときにショウガやネギを一緒にぶち込んで臭みを取っているような形跡がなく、ただひたすら、新鮮な鶏肉を真水だけで煮て、丁寧にアクを取り除く作業を6時間したのではないかと思いました。

 鶏肉は、骨付きモモ、モモ、ムネ、そしてツミレです。どの部位を食べても、それぞれの部位にふさわしく美味しくいただけます。素材の良さもあるでしょうが、部位に応じた下ごしらえをしているのではないかと感じます。

胡麻さば

 とくに、ツミレは逸品です。モモとムネと砂肝を粗びきにして団子状にしたもので、肉と脂の旨みが実に塩梅よく、砂肝がほどよい歯ごたえを生み出していました。ここに完熟柚子の自家製柚子胡椒を薬味にして戴くと言葉を失い、〆の雑炊まで無言のまま完食。

〆の雑炊

 博多の水炊きは、他の地域ではお目にかかることのできない極上の料理です。ご馳走様でした。

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