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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

納得できない判決

 6月27日、神戸地裁(村川主和裁判官)は兵庫県三田市の長男監禁事件の被告である父親に懲役1年6月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。

 この裁判の初公判は、6月19日に開かれましたから、それからわずか8日後に判決を出したことになります。わずか1回の公判で、冒頭陳述と検察による被告人質問が行われて即日結審しました。とても十分に審理が尽くされたと、誰も考えることはできません。

 兵庫県内の障害当事者の団体からは、判決を急ぐのではなく実態解明に資する十分な審理を行うように嘆願書を神戸地裁に提出していました。この声を何ら考慮することなく開かれた判決公判の法廷では、「障害者の人権を軽んじるな」「実態解明に時間をかけろ」と怒号が飛び交ったと報じられています。

 判決の要旨は、長年にわたって長男を檻に監禁してきた「悪質性」は非難されるべきであるが、地域社会の支援体制が不十分だったことも一因であるとして「執行猶予」を付けたものです。難しい法理については分かりませんが、この判決は、この種の監禁事件や虐待の今後の発生防止に何の役にも立たないことだけは明らかです。

 このご家族には、この事件の犠牲者の他にも障害の重いお子さんがいて、この人は障害者施設に入所していると報道されています。また、この裁判のたった1回の公判の中でも、被告人の父親は、1993年頃に檻を市職員に見せたと証言しています。

 市に相談しているからこそ、相談の記録が市の台帳に管理されていたのであり、家族全体の状況に対するアセスメントがどのような内容で、それでいて有効な支援を何もしなかった市行政の明白な不作為責任はないのか、今年の1月16日に虐待通報を受けてから安否確認は2日後で分離保護はさらに4日後という三田市の虐待対応の怠慢ぶりなど、この事件をめぐっては、再発防止のために裁判所が責任をもって明らかにすべきことは山のようにありました。

 障害者権利条約が批准され、障害者虐待防止法が施行され、この種の事件に対する裁判のあり方に関する批判が連綿と続いてきた事実が一切何もなかったかのような「古典的判決」のように思えてなりません。つまり、一般人には訳の分からない法理をこねくり回して、量刑を導き出すためだけの裁判です。

 素人である私個人の感想は「不当判決」以外の何物でもありません。もし、被告人の父親が判決に納得できないところがあるとしても、自身の高齢に加えて、多額の裁判費用がのしかかるのですから、裁判所の圧倒的な力の優位性の下では成す術はほとんど何もない。これが日本国憲法のいう基本的人権の保障なのでしょうか。

 再発防止に資する公判指揮にもっと心を砕くことはできるはずです。裁判官人生を大過なく過ごすことしか考えることのできない木っ端役人型裁判官だったのでしょうか。行政職員の証言から不作為を明らかにして、「パンドラの箱を開ける」ような面倒なことは避けたかったのでしょうか。

 日本の裁判は、事件の再発を防止するための教訓を導き出す審理をあまりにも等閑視してきました。オウム真理教に係る裁判についても同様のことが指摘されています。このような裁判に終始するなら、明日からすべての裁判官を人工知能ロボットにしてもいいでしょう。

 「機能する刑事裁判とは何か」をテーマに、森達也さんがノルウェー元法相から取材した話を中心にまとめた記事があります(「厳罰は有効な刑事罰なのか」、雑誌『世界』8月号、第833号、176-183頁、岩波書店、2012年、2012年7月9日ブログ参照のこと)。

 この中で、ノルウェー元法相の注目すべき発言が次のように紹介されています。

 「むしろ事件後に国民的な議論になったのは、犯人を死刑にすべきだとか、できるだけ長く刑務所に閉じ込めろなどの観点ではなく、裁判によって事件の構造を徹底的に解明することと、同じような事件が再び起きないようにすることについての考察でした」と。

 つまり、量刑よりも再発防止の観点が重要だということです。凡百の人間にとってこれほど当たり前に重要なことが、頭のいい人たちで構成される日本の裁判所でどうして等閑視されているのかがまったく理解できない。

 私の知人に、司法研修所の教官として司法修習生の研修に当たっていた裁判官がいます。法理や法律実務に係る間違いのない専門性だけが司法修習の目的ではない、とりわけ裁判官を志す人間には「正義に関する深い考察と自覚が必要」だと彼が常々言っていたことを思い出します。

 人権を擁護するために最善を尽くす裁判所であること-この当たり前の責務の履行をすべての国民が求めています。

月山筍

 さて、仙台、花巻、山形と仕事で東北を転々としてきました。山形の旅館で最初に出てきたのは、何と月山筍! 蒸した月山筍をみそマヨネーズで戴きます。美味しい噂は耳にしていましたが、市場の流通はほとんどない上、鮮度が重要な山菜です。

 高山に自生する月山筍は、虫に食べられないようえぐ味や苦みを蓄える必要がないため、実に甘く、山の幸にふさわしい芳醇さが口の中に広がります。いやっ、本当にごちそうさまでした。