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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

障害分野とダイバーシティ

 私のゼミでは、障害のある女性のお洒落に関するテーマがときおり取り上げられてきました。これらは、障害者権利条約第17条のインテグリティの保護にも係るテーマです。

 ここで、いささかややこしいことを指摘しておきます。条約の政府公定訳には随所に問題があることを指摘されてきました。その一つが17条の「インテグリティ(integrity)」です。障害のある人の「心身がそのままの状態」であることと訳されていて、意味不明の条文になっています。

 「インテグリティ」がキーワードとして使われる領域は多いのですが、そのいずれもが定義や日本語への訳に難しさがあるとしています(たとえば、ドラッガーのマネジメント論におけるインテグリティなど)。しかし、人間としての「完全性」「尊厳(高潔さ)」「不可侵性」「その人らしさ」の擁護に係る概念であることは共通しています。

 差別や虐待を含む人権侵害がそこかしこに認められる障害領域では、インテグリティの保護は人権擁護の重要な課題です。

 実際、養護者による虐待で見ると、障害のある女性の被虐待者は毎年、男性のほぼ2倍の人数が確認されてきました。施設従事者等による虐待では、虐待者の7割以上が男性職員であり、家父長制的なパワーバランスの支配する職場で発生する人権侵害の構造は一向に改善されていません。

 Covid-19の問題によって失業し安定収入を失うのは女性の労働者に多く、それは非正規雇用が女性に著しく偏っていることに起因すると指摘されています。

 そこで、就労に係る問題についてILO(国際労働機関)は、障害のある女性は、女性であることと障害のあることが交錯し、複合的な差別を被っており、この問題を是正するための特別の社会的対策の必要性を指摘しています(ILO「ディーセント・ワークへの障害者の権利」1.30~1.30.1)。

 このような問題に加え、わが国では1996年まで旧優生保護法が強制不妊手術を実施してきました。

このようにみてくると、わが国における障害のある女性には、自らの尊厳、不可侵性、自分らしさを確かめる術さえ、社会的に剥奪されてきた歴史があるということができます。

 この課題の克服には、社会的対策の強化と共に、障害のある女性の日常生活世界からアプローチすることも必要不可欠です。

 冒頭でふれた障害のある女性のお洒落に関する研究は、さまざまな日常生活の場面で、自分らしさを侵害され続ける日常に抗して、自分らしさを取り戻し、自分らしい社会参画を実現する営みの一環として、整容やお洒落のあり方を明らかにしようとするものです。

 障害のある女性が、自分らしさを見失うことなく、市民の一員として社会に参画し、それぞれの人らしい多様な力を発揮することのできる家庭・学校・職場・地域社会等を実現することが、今日のダイバーシティ推進の課題です。

 障害領域の支援現場では、残念ながらこの課題の重要性に関する自覚はかなり希薄です。障害のある人の支援のあり方について、「性」の問題が深く捉え切れていないことと、支援現場に根強い家父長制的な文化に由来するものでしょう。

 さらに、社会的に根深い問題があります。それは、大学などの「ミスコン」に象徴されてきた「女性らしさ」と「ルッキズム(外見による差別)」の横行です。

 大学の「ミスコン」は、ダイバーシティ(多様性)に反するとして批判を受け「曲がり角」にあると指摘されています(9月26日朝日新聞夕刊)。すでに、法政大学や早稲田大学では、「ミスコン」などの「主観にもとづいて人を順位づけ」するコンテストを禁止しています。

 このような批判は、今に始まったものではなく1980年代から続いて来ました。私見によれば、大学が「レジャーランド化」した1980年代に「ミスコン」がもてはやされ、「女子アナへの登竜門」のように位置づけられたのが、時代錯誤の頂点でした。

 この文脈にある「ミスコン」の評価基準は「消費文化的価値」です。今日なお「コンテスト」を実施している大学では、SDGsなどへの見識を問う課題を評価基準に加えているようですが、次代の人材発掘と言うより「今ここでのアピール性」への傾きを強く感じます。

 これらのコンテストは、何らかの価値や能力を物差しとして人間を「順位づけ」「格付け」し、その主催者は「格付け機関」の役割を果たしているのでしょう。

 このような「格付け」は、評価の仕方にいかなる工夫を粉飾しようとも、あらゆる多様性の尊重を否定する、または低く見積もることによって、生き辛さを余儀なくされる「多様な人」を社会的に産出する根本問題のあることを免れることはありません。「人間性」に順位をつける大学の「コンテスト」はただのアナクロです。

不時現象のサクラ

 さて、本来は春に咲くサクラが秋に間違って開花することを「不時現象」と言います。ときおりテレビのニュースで観たことがありましたが、近所の桜並木に思わず発見しました。
 台風等で葉がはやく失われると、春まで開花しないように指令を出す「休眠ホルモン」が行き届かずに開花してしまうそうですね。これも、「この花らしさ」なのでしょう。